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社会科学の方法

2026年4月25日 資本主義的労働過程

 資本主義的労働過程・・・内田義彦、篠原三郎、田畑稔、大谷禎之輔


 ふと点が線になる。それは楽しい読書。篠原三郎『現代管理論批判』(新評論、1978年)に「特殊歴史的」と「歴史貫通的」の区別が自然に使われている。元はと言えば内田義彦『資本論の世界』(岩波新書、1968年)から始まった用語である。内田氏から10年経つと、篠原三郎氏のみならず、かなり多くの論者に共有された跡がうかがえる。

 篠原氏は、ただ用語だけでなく、内田氏の『資本論』の読み方にも内在している。例えば篠原氏は「労働過程が、資本の生産過程となることによって生ずる変化についての十分な展開は、第1巻第4篇の『相対的剰余価値の生産』のところで行われていると解釈する」と論じた。回り道をして一応第1巻第4編を見ておくと、第10章相対的剰余価値の概念、第11章協業、第12章分業とマニュファクチュア、第13章機械と大工業の全4つの章からなる。

 第13章の大工業論は、かつて芝田進午氏が『人間性と人格の理論』1961年において、大工業とその資本主義的形態のあいだの矛盾にスポットを当て、いわゆる科学技術革命論をまことに精力的に展開するうえで基礎に据えた有名な箇所である。まあ、イノベーション論といってもよい。

 しかし、第4編全体の意味を考えるならば、イノベーション論だけを抜き出して読むべきではない。マルクス自身が、『資本論』を初心者が読むとき第3編第8章労働日から読むことを勧めたというが、自由時間を求める闘争の激しさが、まだ読者の脳裏に残っている中、過酷にも資本は「一つの労働日の大きさが定まった」(MEW,Bd.23,S.331)前提の上で「どうすれば剰余価値の生産を増やすことができるだろうか」という問題への答えを、つまり新たな資本の戦略を打ち出してくるところを書いた。それが第4編である。

 考えてみると、『資本論』という政治経済学書はまったく先見の明のある、常識破りの書である。A・スミスの『国富論』1776は経済学とはそもそもどんな学問であるかというイメージを決定した。それは「見えざる手」に関する学問なのである。需要と供給の合致する絶えざる運動の中で自然価格は決まる。したがって、有名な冒頭のピンの分業の話も、実はただちにマーケット論に直結しており、交換という性向がおのずとマーケットをつくりだし、マーケットが分業を刺激するのだと続くものだった。続く、リカードゥ『経済学および課税の原理』1817は、マーケットをつうじて賃金、利潤、地代がどう変動するかを前提に課税と国際貿易の話をした。後に「機械について」という注目すべき章をつけ足し、これはマルクスに影響を及ぼしたのだが、リカードゥの扱い方はマルクスのそれよりも狭い。なぜなら、機械の導入が資本家と労働者のどちらに有利かという損得論になっているからだ。

 すなわち、従来の政治経済学というのは、ズバリ言えば、マーケットとプレイヤーの問題につきるのである。そして、マーケットは不滅である。ところが、史的唯物論を前提にして書かれた『資本論』第1巻は、資本主義の内部的構成がいかなる矛盾をはらんで展開するものなのか、という問題関心と不可分である。『資本論』は、『ドイツ・イデオロギー』以降の<大工業と世界市場>というシェーマを踏まえているから、私なりに言うと、商品、貨幣論という狭義のマーケット論が論じられた後、「貨幣の資本への転化」で労働力の商品化が捉えられ、それを転回機軸にして剰余価値論(絶対的および相対的)が、そして最後に資本蓄積論(世界市場の中での個体的所有の再建)で締めくくられる。労働力の商品化からあとは、全部「生産の社会化」論の展開であるとみてよい。

 もしそのように読んでよいならば、この書は、全800頁中労働力の商品化が論じられるところまでで約200頁が商品→貨幣→資本→労働力の商品化という広義の商品論である。あえてマーケット論と言い換えてもよい。しかし、労働力の商品化でガラリと舞台が変わり、そこからは「生産の社会化」論、つまりは企業論なのだ。

 あえて図式化すれば、マーケットという大海に企業という島が現れる。この島は、みるみるうちに巨大な組織となる。したがって『資本論』は、大きく二つのパーツからなる。マーケット/企業、あるいは社会の中の分業/工場の中の分業、無政府性/計画性の激しい対抗である。

 ひろく社会科学史ぜんたいの脈絡に『資本論』を置いてみると、古典派経済学のマーケット論が先行遺産としてあり、マルクスの死後、いかにして資本は労働組織を管理するかという経営学が誕生してくる。バーナード、サイモン、チャンドラーJr.、ドラッカー等々だ。くしくも、マルクスは古典派経済学と経営学をまたぐような射程で、しかも、資本主義的生産様式の矛盾、生産の社会化と資本の所有・取得の私的性格の間の矛盾を、原理的に再構成した書として書いた。

 だが、上述の経営学の主流学者たちは、この意味をまったく理解しなかった。いやそれどころか、バーナードなどはマルクスは人間が経済関心でのみ動くと見た功利主義者であって、そのいみではベンサムと同じだとまで言う。自分の目が曇ると他人まで曇って見えるのだ。

 だがそれは脇に置くと、資本論がマーケット論と企業論の双方をまたぐ書になっているのは、むろん1867年という出版のタイミングが関係していた。まさにマーケットが企業と相互作用する時代にマルクスは現実を見た。そしてここに「全社会をひとつの工場にしてしまう」という「呪いの言葉」(Ibid,S.377)が隠されていると洞察したわけである。

 ふりかえると1970年代に管理論論争が起こったときに、少なからぬ学者が『資本論』の協業章に異様な関心を向けた理由は、マルクスがマーケット/企業(労働組織)という二つのパーツで資本の運動法則を解読した遺産が残っていたからにほかならない。それが企業論を論じた経営学の台頭とちょうどクロスしたのだ。


 さて篠原氏に戻る。氏は「資本の労働過程」の発展を第4編「相対的剰余価値の生産」に見出した。そう解釈したのは篠原氏自身であるが、彼はそこに先行者を注記していた。内田義彦『資本論の世界』の102ページである。つまり『現代管理論批判』第2章「管理技術の継承論と史的唯物論」の注5で篠原氏は内田氏を引いている。

 あのコンパクトな新書の中で内田氏は、人間と自然との間の物質代謝過程(のちに斎藤幸平氏が引き出した概念)は経哲草稿から得た次元としながら、しかし『資本論』で単純な労働過程は、資本のもとで変化するとし、マルクスは①労働過程の指揮統制が資本家のものになる。②労働の生産物が資本家のものとなる。この二つの変化をあげたことに注意を促す。

 さて、ここから篠原氏は①②の変化を受けた労働過程は、もはや歴史貫通的な労働過程、同じことであるが単純な労働過程とは違うものだと掴んでいる。そうではなくて、「歴史的形態をとっている労働過程」であると論じる。だから、多くの管理の二重性論とは異なり、資本主義的生産過程は単純な労働過程➕価値増殖過程とは見ない。論理次元を合わせて統一的に把握するべきであるから、資本主義的労働過程と価値増殖過程という二側面の統一なのだという(篠原,81頁)。篠原氏は、この時点で田畑氏の見出したコンビネーションとアソシエーションの概念的区別について、おそらく気づいていなかったが、そうであるがゆえにただ氏自身の論理的推論によって資本主義的労働過程という次元がなくてはならないと論じた。だから、氏の論理学的力量に私は絶大の信頼を置いてよいと思う。後の『現代管理論の展望』(こうち書房、1994年)で篠原氏は、ずばり言う。「一般的規定としての管理の二重性は、資本主義では価値増殖的側面と資本主義的労働過程的側面の二重性となって定在していることになる、といえよう」(同218頁注5)。

 このあたりがとても勉強になる。ことは社会科学的な抽象Abstraktionに関わる。どういう水準の抽象がいま必要か、ということは論じたい目的に応じて変化する。もしも、私たちがいわゆる環境問題を論じたいのであれば、自然と人間との物質代謝過程まで降りていかねばならない。そのとき、歴史貫通的な自然と人間の関係あるいは歴史貫通的な労働過程というカテゴリーが必要になる。しかし、もう少し具体度を上げるべき必要が出てくるときが来れば、そこに歴史性を加味しなくてはならない。むしろ価値増殖過程によって規定された労働過程である。より一層具体的な対象を再構成することで、固有の課題が見えてくるからだ。

 こうして、環境という自然と人間関係の生態的循環の上に、そこに寄生するようにあるのは「歴史的な形態をとっている労働過程」、すなわち「資本主義的労働過程」という眼前の現実である。そこがこんどは適切な抽象次元となる。厚みのある抽象次元である。まさしくその次元をどうするのかが論者の課題意識に応じて出てくる。

 「資本主義的労働過程」は、経営学者たちの考えとは反対に、諸個体の協働ではない。労働力を商品化する私人たち、つまり個別的労働者の労働力交換を基礎にしてできあがった「特殊歴史的な労働過程」である。それは、価値増殖過程の同格の、歴史的に変化せしめられた労働過程だ。だから、資本主義的労働過程を価値増殖過程との関係において、どう変革するかが次に課題化される。

 資本家的指揮命令は、個体の複数化による協働とは異なる。「すべての比較的大規模な直接に社会的または共同的な労働は、多かれ少なかれ一つの管理Direktion(従来指図と訳されたが、歴史貫通的な意味に取りにくいから「管理」と訳しておく)を必要とするのであって、これによって個体的諸活動の調和Harmonie der individuellen Tätigkeitenが媒介され、生産体の独立な諸器官の運動とは違った生産体全体の運動から生じる一般的な諸機能が果たされる」(Ibid,Bd.23,S.350)。このくだりは、どの人も引用するが、各社どの翻訳でも「個別的諸活動」と訳している。これは誤訳である。なぜなら、せっかくマルクスは歴史貫通的労働過程を規定しようとしているのに、そこに歴史的な「個別者」を代入すると立論は壊れてしまうからだ。

 考えてみれば、篠原氏が示唆した通り、ヒューマン・リレーションズ、科学的管理法、意思決定の組織論、目標による管理、アメーバ経営など、実に様々な管理方法が歴史的に更新されて現れたのであるが、いずれも資本主義的労働過程の変化である。経営学という学問は、ふつう、大企業の組織を資本側がどうやって管理するかという課題に直面して出てきたものである。バーナードが経営組織論の祖とされるばあい、読めばわかるように、組織、協働、権威、忠誠心などは資本主義的労働過程の特徴である。単なる労働過程ないし歴史貫通的労働過程からなぜ権威や忠誠心などと言う「shit!」が引き出せるのだろうか。倒錯の至りである。

 このようにして、内田→篠原という線が浮かび上がった。実に楽しい。こういうふうに本を読めば現実が読めるよと教えてくれている。ありがたいことだ。

 

 さらに、田畑稔氏の『マルクスとアソシエーション』(新泉社、1994年)が出てきた。田畑氏はそれまで漠然とつかわれてきたアソシエーションを協働の未来形として限定し、アソシエーション概念をルソーから追いかけた。いわば西洋思想史の中のアソシエーション論の理想を追い求めたのである。田畑氏の仕事は画期的であり、とりわけ『資本論』でkombiniertとassozierteが平板化されて「結合」と訳されていたことを反省させた。すなわち資本主義的協働は資本によってコンバインドされた協業である。しかし、コンビネーションを、労働者たちが自主的にアソシエイテッドな労働へと主体的に転換するプロセスこそが近代共産主義運動の基本内容であると田畑は述べた(同、27頁)。コンビネーション/アソシエーションの鋭い対置である。

 田畑氏の仕事は周到なのであるが、私なりにつけ足すと、コンビネーションとはかつて内田義彦が『資本論の世界』で論じた「資本のもとでの労働過程の変化」をうけた概念であることに触れていない。そして、篠原三郎氏の「資本主義的労働過程」をマルクスが自覚的に用語上の区別にまで至らしめたものだということへの接続がないのである。

 マルクスは、第2編第4章の最後の箇所で、「貨幣所持者が資本家として先に立ち、労働力所持者は彼の労働者としてあとについていく」(MEW,Bd.23,S.191)と述べていた。商品→貨幣という次元で、貨幣所有者と商品所有者では、圧倒的に貨幣所有者が有利である。この有利はたまたま有利ということではない。貨幣という媒介Mediaはそれじたいとしてみればどこにでも流動する「天下の回りもの」にみえるが、媒介をたえず有利に占有する者が存在する。およそ、権力とはつねに、媒介の占有である。こうした権力観をもつマルクスは、商品・貨幣次元では貨幣所持者/労働力所持者とまことに消極的に規定しているが、単純な流通部面から去って、資本と賃労働の核心に入るところ、つまり生産過程にはいるところで、登場人物の顔つきが変わることをマルクスは鮮やかに印象づける。これを受けて第3編第5章「労働過程と価値増殖過程」が開始されていたことを忘れてはならない。そして、まさに労働過程の最後の箇所で、内田氏が引いた「労働過程の変化」が現れたのだった(MEW.Bd,23,SS.199-200)。

 そして、この変化を篠原氏は「資本主義的労働過程」と呼んで、いわば訳語問題抜きに、協業の資本主義的形態としてのコンビネーションを事実上言い当てていた。

 それゆえにいまから振り返ると田畑氏の奮闘努力は決して孤立したものではなかった。点と線で、きれいに並んでいたと私は言いたい。田畑氏は触れていないが、先に引いてきた内田、篠原両氏の解読と内的に繋がっていたのである。しかも、今日では明らかだが、ほとんど真っ直ぐに接続していると思われる。

 なぜなら、内田氏の言う「資本による労働過程の変化」を、篠原氏が「資本主義的労働過程」と規定した、その後で、田畑氏がコンビネーション/アソシエーションという概念区分をやった。この系譜で読むと、「コンビネーション」とは、ほかならぬ「資本主義的労働過程」のことである。これは、線の中で読むと、決してマルクス哲学の内部問題ではない。

 田畑氏の仕事は、狭い意味でのマルクス哲学の再読にとどまらない。「ああ、社会主義の原理念はこういうものだったのだ」では終わらない。なによりもコンビネーションは「資本主義的労働過程」を切り出す分析概念である。

 ところがまったく意外なことであるが、「コンビネーション」概念が資本主義的労働過程であると位置づける論議を私はまだ見たことがない。もしも、このことを重視すると、その分析概念を使って、日本や世界の職場のことを一挙に問題化できる。私たちが、学校を卒業して毎日上司や部下や同僚と働いているこの職場とは一体になにかということへ、田畑氏のコンビネーション論が刺さってくる。だから、コンビネーションとは内田ー篠原が注目した「資本主義的労働過程」のことだったということを一層強調しておきたい。マルクスという人は、何か面白い記述をすると、ただそれだけで放置しない。それを分析概念に高め、いったん流通から生産へ入ってからは、貨幣所持者が資本家となって指揮監督者となって工場に登場し、労働力所持者は実行者となって訓示を受け、生産プランを命じられて、心身を動かし始める。一日の一定時間、働く者はボスのもとで、およそ自分では考えたこともないことを、まるで自分で考えた事柄であるかのように実行する。この表象の豊かさを資本論はコンビネーション概念で語り続ける。これが分析力というものなのだ。

 こうして、内田→篠原→田畑(大谷禎之介氏の『マルクスのアソシエーション論』桜井書店、2011年もこの延長である)という太い線が繋がった。

 学問というのは、本当に、人が後から先人の達成を受け継ぎ、拾いあげて、小さな石を積み上げるような作業である。点は線となり、線は面となり、面は地層となるのであろう。生きることは、決して捨てたもんじゃない。

 

 さて、資本主義的労働過程をここまで主として論理的に、あるいは学説史的にたどってきた。では、現実の資本主義的労働過程は現在どのような有様になっているのであろうか。従来は、新自由主義というと、市場万能とか自己責任とか、自助とか小さい政府とか、いろいろな立論の目的にあわせて特徴づけられてきた。だが、おそらくは新自由主義が固有に刻印するような次元での資本主義的労働過程の特徴というものがありそうである。いまの私にはそれを説明するほどの力はない。ここでは問題提起にとどめ、今後考えて行きたい。2026年4月日 他人の振り見てわが振り直せ


 中越みずき、稲増一憲という方々の共同論文「投票行動におけるシステム正当化の役割ー経済システム正当化への着目ー」年報政治学、2024年Ⅱ号、pp.286-305がある。高所得者と低所得者を対比して、いずれが自民党支持に高い確率を示すかについて分析したものである。手法はアメリカの行動主義的政治学であり、私は年齢的にも思想的にも、こういった分野にまことに疎い。だが、相関係数とか多次元解析とかという魔法の言葉を無視して読めば、分析結果はきわめてシンプルである。Economic System Justificationの頭文字をとってESJと呼ぶとすると、投票において現経済体制を正当化するという価値観がある程度(?)高い場合(著者たちの言うようにESJが高い場合)、高所得者よりも低所得者の方が自民党に投票する確率が高いという傾向があるという結果が出た。これが本論文の結論である。

 中越、稲増氏らの研究動機は、ハッキリしている。すなわち、自民党は高所得者に有利な政策を打つにもかかわらず、なにゆえに低所得者は自己にとって不利になるはずの自民党を支持するのだろうか。これは研究者自身が自民党支持か否かを問わずに客観的に問いうるものらしい。手法とは、包丁のような道具である。そして、所得別階層の自民党支持との相関を計算して、低所得者には経済システムを正当化する社会心理的要素があると二人は結論づけている。

 別段ショッキングな分析ではない。ある程度年齢を重ねた人なら誰でも知っているように、高度経済成長期には自民党支持は農村部で強かった。それはGHQによる農地改革を自民党が継承したからだ。小作人にあまねく平均Ihaの土地を配分したので、小経営者層が生まれた。フランス革命期の革命的小経営者とは違い、この層は一挙に保守化し自民党を支持した。ところが、そのうちに都市部に矛盾が集中し、東京、沖縄、京都、横浜、大阪(頭文字からTOKYO包囲網と言われた)で革新知事や市長が生まれ、空前の政治的対立が生まれた。そういう時期に、前尾繁三郎だったか、はっきりしないが、ある明敏な戦略家が「都市サラリーマンにウィングをひろげる」と選挙戦略の転換論をどこかの雑誌に発表した。

 日本の支配者層の学習能力は非常に高い。都市サラリーマンを自民党支持者に変えるのに自民党は成功した。どうやったか。第一に都市インフラ整備を革新勢力から奪還した。宮本憲一氏の『社会資本論』1967年は、革新自治体のバイブルであったが、その領域を自民党は徐々に奪還した。第二に、都市サラリーマンが長く居る会社にアメリカ流経営組織論を導入した。現在、NHKのプロジェクトXという番組があるけれども、「地上の星」になったヒーロー像をみると、あれこそサラリーマンの鏡であろうと推察される。

 つまり、自民党は住と職を押さえることに成功した。いま、都市サラリーマンの住と職は、いずれも非常に厳しい状況にあるから、ふたたび流動状況に入りかけている。

 とはいえ、すぐに企業支配の構造が壊れるわけではない。政治学者の渡辺治氏が鮮やかに分析したとおり、『企業支配と国家』1991年において、サラリーマンが競争的出世主義と組織忠誠で固められた経過をみると、下級管理職、中間管理職、トップマネージメント層に対する日本のサラリーマンの尊敬と羨望は相当に高いのである。たとえば京都を見て見たまえ。京都でもっとも有名な財界人は、稲盛和夫と永守重信ということになっている。稲盛は、京都市美術館を京セラ美術館にし、京大の敷地に稲盛寄付の豪華ビルを進呈したばかりか、京都賞というノーベル賞と分業関係をめざす文化戦略を展開した。他方永守は、京都学園大学を京都尖端技術大学に変え、京都の大学地図を一部塗り替えた。理工系中心への組織改革のため法学部を廃止した。実は、永守氏は私の住居のご近所様で、最も門構えが立派なお宅にお住まいだ。

 社会科学の方法という、このコーナーを新たに立ち上げた理由は以上のことと無関係ではない。戦後の日本の大学が拠点となって社会科学という新しい科学が広がった。戦前の社会科学はヨーロッパ主流であった。敗戦後、戦前の遺産を残しながら、徐々に社会科学はアメリカ化した。しかし、北大、東北大、東大(法学部、経済学部)、一橋大学(社会学部)、法政大学、名古屋大学、京都大学、立命館大学、大阪市立大学、神戸大学などは、社会科学のアメリカ化に執拗に抵抗した。争点は、ヨーロッパ的自由主義+マルクス主義 VS. アメリカ近代化論(日本ではケネディー・ライシャワー路線と呼ばれる)であった。社会科学は、思想と手法の両方を含む「方法」という汽水域をもっている。思想というやっかいなものを会得しないと手法は使えないのであるが、近代化論の方は手法じたいが見えないイデオロギーを含んでいるのであった。

 そして、自民党長期政権のなかで、日本社会科学のアメリカ化は順調にすすめられた。アメリカ化に抵抗した社会科学者として、たとえば丸山眞男のケースを考えると、彼はまったくヨーロッパ的思想を基礎にしていた。そして、敗戦後「ウルトラ・ナショナリズム」というGHQ用語を使い日本を対象化するすぐれた論文を書いた。最もアメリカ化したときにパーソンズ社会学を部分的に摂取した。しかし、そのあとは、専門に徹した。簡単に言えばヨーロッパ的知性を基準にする立場に戻って、日本政治思想の通史をまとめた。いまこの文章の文脈からすれば、社会科学のアメリカ化にぎりぎりまで近づいたが、懸命にそれと闘ったと言って良いだろう。丸山はヨーロッパ自由主義とマルクス主義を自在に往還できる立場であったが、上にあげた抵抗拠点の大学には、濃淡様々なマルクス主義がより片寄って、散在した。しかし、1990年代の大学大綱化の時期に、マルクス経済学が次々に廃止され、いわば断種手術が行われた。それは1970年代から進行していた社会科学のアメリカ化の決算であった。

 この文脈から稲盛和夫と永守重信を観察するならば、次のようなことが言えるし、また言わねばならない。すなわち、稲盛和夫は、鹿児島大学工学部応用科学科卒である。有機化学専攻であったが、就職難のため無機化学に変更し、がいしメーカー松風工業へ就職した。しかし、当時1960年前後の会社は労資闘争の頂点であり、稲盛はそれに耐えられず、つまり、労働者側に立つことから「逃亡」し、1959年自ら仲間と京セラを起業し、1966年には34歳で社長に就任した。ここからは私の想像であるが、稲盛は鹿児島大学工学部に在籍し、まったく日本の社会科学上の争点から離れたところにいた。1960年代以降日本は労使協調路線に圧倒される。稲盛はその風を読んでいたのだろう。後に稲盛が人文・社会科学分野のノーベル賞と自賛する京都賞を思いつくのは、自分の経営哲学(労働者に経営者の意識を植え付ける管理論)に自信を持ち、梅原猛や五木寛之に近づいた過程においてである。永守重信は京都の職業訓練大学校電気科主席であった。永守の経営手法もまた一種のたたき上げであり、徹底したトップダウン経営で、効率と成果主義を中核にした。

 稲盛の「アメーバ経営」とか永守の「すぐやる・必ずやる・できるまでやる」という超現場主義というのは、日本社会科学のアメリカ化と完全に平行した現象だ。都市サラリーマンにウィングをひろげたい自民党とそのパイロットケースである稲盛、永守の経営論は、密接につながっていたのである。二人は新しいタイプの財界人となったが、かれらの経営手法は、ほとんど学者によって分析されることはない。しかし、私見では、二人の経営論はバーナードからサイモン、ドラッカーにいたるアメリカ経営学の組織論や意思決定論の主流の中に位置づけるべきものである。

 すぐれた政治学者渡辺治氏が企業社会と呼ぶ支配構造は、アメリカ流の経営組織論で翻訳すれば、管理、権威、組織、忠誠心、協同で論じられうるものである。評価はまるで正反対であるけれども、一方に、批判的にアプロ―チすれば渡辺政治学が成立するが、他方、逆方向からアプロ―チすればアメリカ流の経営組織論が成立する。両者は事実認識では意外に近いのである。

 この対立構造は、日本のアカデミズムのなかでの争点と関わっている。渡辺氏は、東大法学部から東大社研をへて、一橋大学社会学部で教鞭をとった。すべて社会科学のアメリカ化に抵抗した拠点で活躍してきた。おそらく2000年代以後の東大、社研、一橋大学では、もう渡辺氏のようなタイプは育たないように見える。それだけ強くアメリカ化は進んだ。これにたいして、稲盛、永守のほうは、大学では争点外にいて、実業現場から経営論をつくっていった。無資源からではない。日本の経営学はヨーロッパ経営学からアメリカ経営学に姿を変え、学問的にも実業的にも、両方でアメリカ化した。そのなかの空気を吸いながら、稲盛と永守は育ってきたのである。この意味では、稲盛、永守は最広義で見るならば、日本の社会科学のアメリカ化の内部にいたわけである。

 私は、人が育つというのは大変なことだなあとつくづく思う。人に歴史あり。その後背地に知的資源の再生産構造がある。構造は、刻々と変わってゆく。けっきょく、自分というものが、どこでどういうふうに成り立ったのか、よくよく見ておらねば、我を見失う。だから、ひとの振り見てわが振りなおせ、と先人は言ったのであろう。

 

 

 

 

 
 
 

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