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手記と論考 

2026年1月15日 近代の幻想と幻想の近代

 ひとの振り見て、わが振り直せ、という。なるほど、そうやるのか、じゃあ自分もやってみるか、なんて思うわけである。ヨコの関係で学びあうこともあるのだが、それよりもきついのは、権力やお金から完全に見離されないようにタテのしきたりを、まあ、気に入らなくても守っておこうとしたりするんである。時代というものは空気みたいなものだから、じわりじわりと、外からやってきてぼくは空気を吸い込む。そうやって時代に遅れぬように、えっさかほいさか生きていくってわけである。ここに幻想がうまれる。仕掛けといってもよい。①一人一人がてんでばらばらに好き勝手にものごとに取り組んだとしても、最後はちゃんと秩序へいきつくはずだという幻想。「見えざる手」という市場幻想。まあ、なんとかなるやろう。なるようになる。全体は見えないから考えるだけ時間の無駄だよねというニヒリズムもちょっとだけ随伴する。②だとすれば、私人はできるだけ損得のうち、損を避け、得を選ぶべきだという幻想。合理的私人という幻想。③たとえ皆が私人であったとしても、票を集めれば、地続きで、興論によらず、世論で政治をうごかすことは可能だという、国民幻想。つまり、①市場幻想、②私人幻想、③国民主権幻想の3つの要素を、多かれ少なかれ皆が互いに伝染しあって、もちつもたれつで生きていこう、ということになるし、なっている。①と②が社会の根本というか土台をなし、その上に政治が乗っかている。ここで、難しい問題が出てくる。①②③はセットであり、切り離せない。強靭なトライアングルをなしている。このうちの③の要素だけを特化させて取り出して、国会の椅子の多寡で世の中の方向に介入しようという考え方が出てくる。国会は実在の大国民の縮小版、小国民である。自宅内のドールハウスのようなものだ。ところが、ドールハウスは子どもの指で自由自在に扱えるけれども、国会というものは、ドールハウスと異なって、国民に選ばれた翌日から、国民にあれこれ命令してくるところの国家権力となり、金と権力の配置を変えるほどの力を持つ。つまり、有権者から力を付与された代議士は、今度は国民に向かって、一定期間やりたい放題をやる。このため、昨日の主権者は今日は自分で選んだはずの権力者の奴隷となる。主権者を投票日だけの主権者にするのではなくて、一年中継続的な主権者にしておくことはできないものだろうか。そう思う。けれども論理的に考えて、それは無理だろうと思う。というのは「国民の負託」とか「国民代表」とか「国民が雇った使用人」果ては「下僕」だとか、言葉の上でどういうレトリックを使ってみたところで、それは論理ロジックではないからだ。主権を踏み台ないし口実にして権力が繰り返し発生し、お墨付きを得る。権力の淵源は無権力の人民であるが、無権力の人民に一日だけ選出権を与えて、残り364日は平伏させるのである。ゆえに、①②③がセットになっている条件下で、③だけ抽出して①と②を変えるということは論理的になりたたないと思う。多かれ少なかれ、①②③を相互触発的に、同時的に変えるというほかに道はない。


2026年1月11日 蠅を追うなかれ

 よくあることだが、何かを否定するばあい、人は結果だけを否定し、結果をもたらす可能性の条件(原因の総体)を否定できていないことが多い。漱石という人物は、私見では、結果をもたらす可能性の条件まで事柄を深めるタイプである。よく「搾取のない社会」などという。けれども、漱石風に考えてゆくと搾取はひとつの結果でしかない。どうして易々と搾取されるままになるか、と考えてゆくと、鶏が先か卵が先かに似てくるが、人が金と権力にやり込められて、自分で考え、自分で行動する力を奪われるがままに放置したからであることが多い。

 いくら賢人が、あるべき社会の制度のデザイン、分配の平等、階級関係の転換などを描いたところで、それらを山の彼方の月を見るのと同じように外形的・結果的水準で捉えるかぎり、決して事のありようは変わらない。

  人間が「主体」でありうる条件は何か、社会はその条件を奪っていないか、という人間存在論的水準まで遡及しておかねばならない。

 しかるに、安直な人物は頭の中身を悪から善に入れ替えさえすれば、悪しき社会が自動的に善なる社会に変わりうるかのように思い込む。たとえば、 国家権力・戦争・資本を批判することは大事だが、どういう人間がそういう悪なしの社会を運営できるか、理論化していない。ただ「フォロウ・ミ―」という。戦後の進歩主義的なひとたちも、店舗に牡丹餅を並べて、イラハイイラハイと声をかける。学校、会社、政党は「誰が考える主体なのか」という根本を当事者から奪い、ただただ正解を求めるにすぎない。つまりそれらが毎日毎日飽くことなく惰性を求めるのだから、「思考と行為を奪われない社会」を中心に据えてこなかった。

これにたいして、ぼくのみるところ、漱石が「私の個人主義」1914で言う、他人の尺度で生きるな、自己本位で生きよというのは、ここで言う「自己本位」が利己本位ではなく、他人本位、人真似、市場的個人主義でもなく、他人の頭で生きるな、権力の代行者になるな、という意味である。

 一人一人が自己本位で生きられる条件が満たされれば、搾取・戦争・格差・貧困はすべて結果なのだから構造的に成立しない。なぜなら、それらはすべて命令する者/される者の二極のバリエーションであるからだ。この意味で、漱石は資本主義が成り立たなくなる可能性の条件を「自己本位」と言ったのである。

 だが、何億、何十億という人々を、せっかく生まれてきたのにことごとく「自己本位」に生かさぬように囲い込むのは、なかなか大変なことである。


2026年1月8日 

デューリングの本の初版と第2版の違いについて


 E・デューリング(独 ベルリン大学1833−1921)のことは、2023年の拙稿「個体的所有 その後」で書いた。その時に書ききれなかった細部をもう少し丁寧に書いておきたい。あらかじめお断りしておくと、この稿には3種類の本の初版と第2版が出てきて、はなはだ面倒である。①「資本論」の1867年(初)版と1873年(第2)版、②ヨハン・モストの「資本と労働」の1874年(初)版とマルクス自身が改定に協力した1876年(第2)版、③デューリングの「国民経済学と社会主義の批判的歴史」1871年(初)版と1875年(第2)版である。①「資本論」の二つの版は独立変数で、自己刷新する。これに影響をうけて残りの2種類の本のそれぞれの初版と第2版が内容を変える。しかもモストとデューリングの間にひょっとするとかなり親密なやり取りが想定できる、という具合なのである。

 まずご存じのように、『資本論』独語初版は1867年に発刊された。デューリングはその年に書評を書いたが、例の「個人的であると同時に社会的でもある所有」にはまったく触れなかった。エンゲルスが言うように、デューリングは最初読んだ時に気づかず、3回目?になってようやく気付いた。のちに「もうろう世界」だと取り上げた論点をスルーしたのであった。マルクスも、エンゲルスその他の書評の中で、デューリングの1867年の書評にたいして反応しているけれども、主として労働価値論のことを述べているだけだ。

 続いてマルクスは、「資本論」ドイツ語第2版を1872年から73年に手直しし、1873年の3月末に刊行した。何を変えたかと言えば、それまで「本源的蓄積」のなかに埋め込まれていた「資本主義的蓄積の歴史的傾向」に独立した見出しをつけて第7節とした。「個体的所有の再建」について言えば、第1版にも2版にもまったく同じように、「個体的な、自身の労働にもとづく私的所有」→資本主義的私的所有→「個体的所有の再建」という要約は、前稿で触れた細部を除けば、変わっていない。だから、「資本論」第1巻の白眉とされ、かつまた社会主義とは何であり、どういう所有形態の変遷に位置づけられるか、という重要箇所がこの改定で際立つようになった。

 次はヨハン・モストのことである。ここからは大谷禎之介氏の研究による。1871年にドイツ社会民主党に入党した根っからの「激情家」ヨハン・モスト(1846−1906)は『資本論』初版に感激して、なんとかこの大著のダイジェスト版を作成したいと考え、反戦活動で拘禁されたケムニッツの獄中でパンフレット『資本と労働」を準備し、最初『ケムニッツアー・フライエ・プレッセ』に「カール・マルクスの経済学」を1ページ分だけ書いたという。これが1872年7月6日付けだった。モストが執筆した時点では、ドイツ語版第1版しか存在せず、ちょうどマルクスが第2版のための改訂作業中にモストはダイジェスト版に挑戦中だったということになる。モストはさらに続稿を書き加えて、パンフを仕上げ、1874年3月18日にゲノッセンシャフト・ドゥルッケライという出版社から発刊した。

 実は、『資本論』第二版は1873年3月末には刊行されていた。モストがこれを参照できたはずだが、事実読んだかどうかは、よくわからない。大谷氏は第1版を参照したことは確実と述べているだけである。

 しかしパンフは初版の時に「むすび」という独立した項目で、あたかも『資本論』第2版のなしとげたのと同じように「資本主義的蓄積の歴史的傾向」のみを要約している。モストはパンフの草稿を書き始めてから1年8ヶ月かけてようやく発刊にこぎつけた。その間に、『資本論』第2版は刊行された。しかも構成が変わり、第24章第7節が独立化したことを閲覧できる余地は十分あった。モストが直観で「否定の否定」という歴史的傾向の箇所を「むすび」に持って来たのか、それとも「資本論」第2版の変化に気づいて第7節を「むすび」にしたのか、わからない。なお、マルクスはモストのパンフに本気で取り組んだ。大谷禎之介氏訳のモスト原著『マルクス自身の手による資本論入門』(1876年、翻訳は大月書店より2009年)をみると、「むすび」は初版からすでにあった。「個体的所有の再建」をモストは最初からパンフに入れたのだ。だからマルクスはわずかに5箇所だけ加筆した。

 さて、ここからがデューリングとの絡みが出てくる所以である。モストは自分のパンフの発行直後、1874年4月に再び捕縛され、26ヶ月間監獄で暮らした。獄中でオイゲン・デューリングの著作を読んだと大谷氏は指摘している。そしてモストは、デューリングの信奉者へと転向した。この転向の理由はまだ未解明である。転向したのが、74年、75年、76年のいつなのかはまだわかっていないようだが、転向は遅くとも1876年5月までにおこなわれた。早ければ1874年にモストがパンフをデューリングに献本した可能性は大いにある。というのも、デューリングはモストのことをはっきり書いているからだ。デューリングは自著第4版を1900年に出版した。『反デューリング論』でエンゲルスはこてんぱんにやっつけたから、デューリングは一人寂しく亡くなったと正史には書かれているけれども、マルクスとエンゲルスが亡くなった後、デューリングは自分は正しいと繰り返す改訂版を出し続けた。いわゆる「カエルの面に小便」である。その本文に「(ラサールは)その一方で、比較的若く、才能と熱意に優れたヨハン・モストをベルリンの指導部に迎え入れることも実現した。モストは、元製本助手であり、自由奔放な自己研鑽の努力にもかかわらず、当初はマルクス主義の分野において社会主義で知られていた。また、彼はマルクスの『資本論』から、ヘーゲルの難解な表現や、学究的な難解な表現を可能な限り排除した、小さな、しかし巧みな抜粋を作成した。その結果、労働者にとって理解できない、消化しにくい原書よりも、むしろ読みやすいものとなった」(S.573)とモストを褒めている。

 なんだか細かいことを書いて恐縮である。もう少し辛抱していただきたい。デューリングの『国民経済学と社会主義の批判的歴史』初版1871年は、一種の壮大な学説史である。デューリングは思想的に言えば、奇妙な社会主義者であった。しかしマルクス主義者ではない。講壇社会主義でもないし、ドイツ社会民主党関係の文献には一度も書いていないと本人が言っている。国家が嫌いであるがアナキストではない。そういう彼の視点からすると、「資本論」を生産手段の社会的所有=国家共産主義と読んでいる節がある。「国民経済学」初版にはマルクスの名前は数回出てくるのだが、例の資本主義的蓄積の歴史的傾向の箇所は検討されていない。マルクスについてほとんど踏み込んだ紹介もない。膨大な学説の紹介の中にマルクスはうもれてしまっている感じである。

 ところが自著第2版1875年では従来の目次の第8章「新社会主義」を二つにわけて第1節「フランスの代表者」と第2節「ドイツの形象」と精度をあげた。2節にあの「資本主義的蓄積の歴史的傾向」の彼なりの要約と論評を盛り込んでいる。そのほかにも新たに第9章「現代」を加えて締めくくった。余談だが、マルクス死後1900年の版ではマルクスの没年を記し、第9章「コミュナールな理念」、第10章「最終のエレメント」という新たな部分が書き加えられた。だが、問題の「個体的所有」論への攻撃は1875年版と同じである。

 拙稿で述べたことだが、デューリングはマルクスが「個体的私的所有」と丁寧に書いたものを杜撰に「個人的所有」に平板化し、しかも意味上は「私的所有」と完全に同一視している。デューリングの主張はなかなかわかりにくいけれども、マルクスの社会主義像には個体的所有=私的所有と社会的所有が並記されているから、社民党は社会主義実現のプログラムを書けないと見ていた。そして、所有論の混乱(実はデューリングの無理解の帰結)を『共産党宣言』以来の国有論と重ね合わせて理解したので、マルクス主義は「理論的には権威主義的な国家共産主義」(1900、S.584)であると見たのであった。

 デューリングのこの杜撰な解読に、こともあろうに1875年のエンゲルスはひっかけられた。それでマルクスの「個体的所有」はイコール「私的所有」であるとした点でデューリングと同様の無区別におちいり、対象はデューリングが考えている生産手段ではなく生活手段であると読むことになっていった。

 学説史家でなければ興味はないかもしれないが、デューリングが「否定の否定」に注目したルートは、第一に『資本論』第2版が出て、そこに第7節が独立していたことに気づいたから、といえる。実際自著第2版で、「資本論」1873年(第2)版に依拠したと明言している。また上にのべたようにモストがひとつのきっかけを与えた可能性がある。これが第二ルートだが、もしもモストが自分のパンフをデューリングに見せたから、デューリングがパンフの「むすび」に注目せざるをえなくなって、再度『資本論』を確かめ、さらに第2版で「否定の否定」が独立したことを認めた、ということがあったかもしれない。1900年版を見る限り、両方のルートがともに作用したのではないかと思われる。

 ともかく、デューリングは自著初版では全く扱わなかった論点を、第2版で俄に持ち出し、激しく攻撃した、ということになる。

 エンゲルスは、1867年から何本もの『資本論』書評を書いたが、デューリングの1875年の本が出るまで「個体的所有の再建」という社会主義規定について論じなかった。あまり重視しなかったが、デューリングの攻撃で初めて考えた節がある。

 だが、モストが1872年ごろから先行的にこの箇所の価値に気づいたとして、さらに1874年ごろにとデューリングがこれを見つけたことは間違いないが、それとほぼ同時にアルバート・シェフレ(1831-1903)が『社会主義神髄』1874年で、否定の否定の箇所を長々と引用したのも注目に値する。ただし、シェフレはデューリングとは異なって、全く何の矛盾やもうろうもそこに嗅ぎ取らなかった。

 モスト、シェフレおよびデューリングは三人とも、マルクス主義またはドイツ社会民主党のなかになにやら国家社会主義的な要素を読み取り、またそのように特徴づけて攻撃したり、転向したり、倫理的に論難したり、実現可能性がないなどとした。

 これら3人とは違って、1968年頃にマルクーゼと平田清明は、国家社会主義への反論として「個体的所有」論を読んだ。3人とは非常に対照的である。

 モストはその後アナキストになったという。シェフレは講壇社会主義者、デューリングは国家嫌いの社会主義者であったと見て良いだろう。こうした非マルクス主義系の3人が、別々の評価をもって「個体的所有」を1872年から1875年の間に発見した。その後で、その論難を排して、エンゲルスは主観的にマルクス擁護のために、デューリングへの猛烈な反批判を行う。それが『反デューリング論』1878年、その抜粋が『空想から科学へ』1880年となった。かくしてエンゲルスは闘った。レーニンは、エンゲルスの生活手段説をとって正統を樹立するわけである。それから先はこの小論で書く必要はあるまい。だが、個体的所有とはいったい何かをめぐって、1968年にマルクス擁護側からエンゲルスとレーニンにたいする異論が出た。その後、旧ソ連は解体した。この世界史的体験を踏まえてみると、論争はすでに国際的に決着済みとは言い難い。

 


2025年12月29日

 丸山眞男、吉本隆明、フーコー、ハイエク、柄谷行人ではまだ足りない。


1.丸山真男の政治学は価値形態論から国家論を展開する道をふさいだ。公私二元論内部にとどまるため、近代国家を越えることができない。

まず丸山真男の政治学の射程は、国家を「価値形態」から必然化する理論構成そのものを回避した。丸山にとっての中心問題は、

  • 権力の正当化様式

  • 公私分離の規範的未成熟

  • 主体形成(近代的自我)の歪み

であって、国家がいかなる社会的関係の抽象として生成するのかという問いではない。


2. 丸山はかなりマルクスを読んでいるが、価値形態論については触れない

マルクスの価値形態論が示したのは、

私的利害が交換を通じて「一般性Allgemeinheit」を獲得し、その一般性が社会的強制力を持つという運動である。ここで、

  • 一般等価形態

  • 強制力の非人格化

  • 抽象的一般性の実体化

が成立しており、国家=暴力の独占はその政治的完成形にすぎない。

しかし丸山は、この経済的抽象→政治的抽象という連続性を理論的につかまなかった。結果として国家は、

  • 価値形態の必然的帰結ではなく、

  • 規範的に「うまく成立しなかった近代国家」


    として把握される。


3. 公私二元論の内部に閉じる政治学

 丸山の政治学は『超国家主義の論理と心理』にあるように公/私の分離そのものを前提にする。

  • 「私」が未分化である

  • 「公」が肥大化するので「私」に介入する

  • その結果として超国家主義が生じる

という診断は鋭い。が、これはあくまで

近代市民社会が正しく成立していれば国家は健全であったという反実仮想に依拠している。

ここでは、

  • なぜ「私的利害の一般化」が国家を生むのか

  • なぜ公私分離そのものが権力形態を不可避にするのか

という問いは封印される。したがって近代国家批判ではなく、近代国家の作法批判にとどまる。


4. 近代主義を越えないという限界

 この意味で丸山は、

  • 近代を「未完のプロジェクト」として擁護し

  • 近代そのものの構造的暴力性には踏み込まない

という立場を取った。

 それは戦後日本においては一定の歴史的意義を持ったが、同時に

  • マルクス的国家必然論

  • アナキズムが問うべき(しかしできなかった)権力生成論

  • 価値形態論から国家を導く理論的可能性

への道を事実上ふさいだ。


5.吉本隆明

 吉本隆明は丸山真男をマルクス的観点から批判したかのように見られているが、そうではない。『ドイツ・イデオロギー』の「共同幻想」というコトバに反応しただけである。『資本論』の価値形態論から幻想を批判しなかった。国家については、せいぜい柳田國男の昔話のよみかえにすぎない。共同幻想が農村や山村で素朴に生まれる過程を辿った。戦中派として近代日本帝国主義およびアメリカを批判しなかった。せいぜい、共同幻想につかまれるな、自立せよと言った。だが、その自立とは正統派左翼からの距離のことであった。戦後アメリカを覇者とする巨大な体制の生み出す幻想をいかに対象化できるか、説明しなかった。


6. 吉本隆明はなぜ丸山を「価値形態論から」批判しなかったのか

 吉本がマルクスの価値形態論を国家論へ徹底的に接続しなかった理由。吉本は『共同幻想論』で、

  • 国家=共同幻想の最高形態

  • 天皇制=超歴史的な共同幻想

と定式化したが、ここで扱われる「幻想」は、商品交換における抽象化、物象化と切断されている。

 丸山政治学が規範論・主体論に公私二元論を前提して置いたとすれば、吉本の丸山に対する批判は心的構造・言語・象徴秩序に還元される方向へずれていった。したがって、価値形態論による国家必然論という最も痛い一点では、丸山と交差しなかった。


7. 「共同幻想」は国家生成論になりえたか

 吉本の国家論は、論理構築されたものではなく、せいぜい柳田國男の昔話の読み替えでしかない。

  • 村落

  • 血縁

  • 祖霊

  • 祭祀

  • 天皇

といった要素が、交換・抽象・強制の契機を欠いたまま幻想に連なっていく。

この結果、

  • 国家は「幻想が肥大化したもの」

  • 暴力や徴税は二次的な付随物

として描かれ、なぜ幻想が現実の強制力になるのか、なぜ幻想が物質的支配にまで具体化するかを説明しない。

 価値形態論から見れば、ここは致命的である。幻想が幻想であるにとどまる。幻想は、物資敵的暴力・租税・法を組織する。この必然性が理論化されない。


8. 農村的起源論の限界 ― 帝国主義国家を説明できない

吉本が辿ったのは、

  • 農村・山村における素朴な共同幻想


    → 天皇制国家への連続

という系譜だったが、これは近代帝国主義国家・日本を説明するには決定的に不足していた。

近代日本帝国主義国家は、

  • 商品経済の全面化

  • 労働力の商品化

  • 国家財政と軍事の結合

  • 帝国主義的蓄積

の上に成立しており、村落的心性の延長では説明できない。

ゆえに、戦中派として近代日本帝国主義国家を全面的に批判できなかった

という点に集約される。吉本は「天皇制イデオロギー」は切ったが、帝国主義国家としての日本を構造として切れなかった。


9. 丸山と吉本の「奇妙な共犯関係」

  • 丸山:

    • 国家の経済的必然性(価値形態論からの上向)を問わない

    • 近代市民社会(公私二元論)を規範として擁護

  • 吉本:

    • 国家を幻想に還元

    • 物質的支配構造を問わない

立場は正反対に見えるが、経済的必然性から近代国家を導く道を、ともに塞いだ。

その結果、日本思想史では

  • 国家=未成熟な近代(丸山)

  • 国家=古層の幻想(吉本)

という二分法が支配的になり、国家=商品交換の抽象的普遍の政治的完成という視座は周縁化された。


10.ハイエクの規範的市場論

 ハイエクは、国家の介入を嫌うのだが、国家は彼の崇拝する市場から生まれるのである。ゆえに、市場を肯定しておいて、国家を否定するのはおよそ社会科学のイロハがわかっていないのである。

 ハイエクの自由主義は、自分が前提としている市場の論理から国家が必然的に生成することを、最後まで引き受けていない。


11. ハイエクの「反国家」は自己矛盾を孕む

ハイエクは一貫して

  • 国家による市場介入

  • 計画経済

  • 再分配

を「自由の破壊」として批判した。しかし彼が理想化する市場は、

  • 私人の分立

  • 価格による一般化

  • 抽象的ルール(法)への服従

によって成立している。ハイエクは気づいていないが、この時点で、すでに

市場(私人)は階級へ展開するのだから、国家的なものを内在させていると言わざるをえない。

 価格は一般等価として振る舞い、法は人格を超えた強制力として作用する。

国家とは個別的利害の一般化であるから、ハイエクの市場用語には国家が先取りされている。なのに、ハイエクは国家を、したがって国家の介入を否定できると思っている。もし、国家が、軍事、福祉、一般的共同生産手段などの提供に役立たなければ、いったいなぜ国家はあるのか。自生的秩序が、もし純粋に市場的なものであるならば、なぜハイエクはこの秩序の外に国家を想定するのか。まったく首尾一貫していない


12. 「自生的秩序」は国家生成論を欠く

ハイエクの有名な「自生的秩序(spontaneous order)」論は、

  • 市場は誰も設計していない

  • 無数の行為の結果として秩序が生まれる

と説明するが、ここには決定的な欠落がある。


それは、

なぜその秩序が、法・警察・軍事という集中的強制装置を必要とするのか、という問いである。

ハイエクは、

  • 法の支配(rule of law)は必要

    と言いながら、

  • その法がどこから来るか

  • なぜ人々を強制できるか

を理論化しない。まるで、国家を永久に手足をもたない脳髄であるかのように扱うのだ。これはまさに、市場から国家が生まれる瞬間を不可視化する操作的理論である。


13. ハイエク国家論の「暗黙の前提」

ハイエクは国家を否定しているのではなく、実際には

  • 契約を守らせる

  • 所有権を保護する

  • 通貨を安定させる

  • 暴力を独占する

という最も強力な国家機能を、すべて理論外に前提にしている。

つまり彼の立場は、

国家はすでにあるものとして黙認し、それ以上の介入だけを「悪」と呼ぶ

という選別的反国家主義にすぎない。

 価値形態論から見れば、これは矛盾ではなく敵前逃亡であり、カマトト的に過ぎる。市場を肯定した瞬間に、国家はその影として必然化される。


14. なぜ「社会科学のイロハが抜ける」のか

 市場を肯定しておいて、国家を否定するのは、社会科学のイロハがわかっていない。

  • 市場=私人的行為の集合

  • しかしその集合が成立するには

    • 一般的ルール

    • 抽象的強制

    • 一般的尺度

が不可欠。

これを説明せずに

  • 「市場は自然だ」

  • 「国家は外在的な侵入者だ」

と言うのは、社会関係の生成論を欠いた思考である。T・ホッブズの方が、古典的自由主義の萌芽であるが、ずっと偉大だった。


15.柄谷行人

 柄谷行人は、珍しく価値形態論に注目したのではあるが、主権国家の成立の必然を価値形態論から解明する仕事をしていない。国家は再配分だなどと、奇妙なことを新奇なことのように言う。

 また彼のカント論、永久平和論も本当は価値形態が不均等発展のために主権国家を必要とするという点を抜いている。カントは私人と主権国家を論理上避けられなかった。『永久平和のために』で連合国家までしか言わないのにはもっと強い理由が隠れており、希望的な読みでは「贔屓のひき倒し」となる。

 世界共和国の展望は、カントによってではなく、マルクスの論理の延長でなすべきことであるときちんと論じるべきだった。だが、柄谷はこれをやっていないし、やりそうでもない。国家論も平和論も、憲法9条の擁護も世界的な普遍を獲得できるほどには哲学的に整備されていない。この中途半端さを超えるのは、次世代の課題である。


16. 柄谷行人は「入口」までは来たが「出口」を塞いだ

柄谷は、日本思想史の中では例外的に

  • マルクスの価値形態論

  • 交換様式論(A/B/C/D)

に注目した。これはある程度、限定的に評価される。『ドイツ・イデオロギー』の出発点は「大工業と世界市場」である。大工業は生産様式であり、世界市場は交換様式で、両者が矛盾するという強力な理論である。一国社会主義論は、柄谷が想定しているように、へーゲルを抜いて、カントとマルクスを直列すれば超克できるような代物ではない。「局地的共産主義」を批判したのは、ほかならぬ『ド・イデ』の生産様式=交換様式論であった。

 ゆえに、がんらい生産様式と交換様式の矛盾論双方がなければ、強い理論とはならない。まして生産様式論を捨てて片肺になった交換様式論は、何の矛盾論もないから、柄谷の理論は類型論になる。そして、最後の交換様式Xは、大工業の極限的なグローバルな展開によってではなく、無内容な「高次復活」としてしか説明のしようがなくなるのである。類型論は、内在的移行の論理を含まない。

価値形態論が本来要請するのは、

商品交換の一般化→ 抽象的普遍(価値)→ 強制的一般(法・主権・国家)

という国家生成の必然的連関である。

ところが柄谷は、この連関を最後まで追わない。結果として国家は、

  • 交換様式B(再配分=保護)

  • 国家=贈与・再分配の制度へと非ブルジョア的に把握される。


17. なぜ主権国家が価値形態から論理展開されなかったのか

柄谷の理論では、

  • 市場(C)

  • 国家(B)

  • ネーション(A)が並列的、類型的に配置される。

しかし価値形態論から見れば、これは不自然である。なぜなら、

  • 市場(C)が全面化した時点で、そこから出現するのが主権国家体制なのである。

  • 国家(B)という扱いは、商品交換の内在的帰結であるものを、商品交換以前の外在的選択肢に周辺化してしまう。

柄谷は、

  • 主権国家の成立

  • 国境・徴税・軍事・通貨

を、市場Cから論理展開することなく、たんに交換様式間の組み合わせ問題として処理した。


18. カント論・永久平和論の弱さ

つけ足すと、柄谷のカント論の弱さもここからくる。

柄谷は、

  • カントの永久平和論

  • 世界共和国の理念

を肯定的に読み替えますが、本来問うべきだったのは、なぜカントは主権国家を前提にせざるをえなかったのか。なぜ国家間関係は必然的に戦争を生むのかという点だった。

価値形態論から言えば答えは明確で、

  • 価値形態は不均等発展を必然化し

  • その不均等を国家単位で固定し

  • 国家は価値増殖する資本の共犯者になる

この論理が、

  • 主権国家

  • 常備軍

  • 国家間戦争

を不可避にする。

 カントはこれを倫理で止めようとしたが、その物質的根拠(価値形態)を解明できなかった。

 柄谷がやるべきだったのは、

カントは価値形態論を欠いていたため、永久平和を道徳に委ねざるをえなかった

と明確に位置づけ、その先をマルクスの論理で延長することであった。


19. 世界共和国は「倫理」ではなく「価値形態の超克」としてしか出てこない

 世界共和国、あるいは世界政府は、ウォーラーステインの指摘通り、社会主義的世界政府の展望としてのみ出てくる。これは、もともとマルクスの論理が公私二元論と労資二元論の双方向批判としてなすべきことをウォーラーステインが彼なりに受け継いだからである。

  • 国家が価値形態の政治的完成である以上

  • 世界政府は

    • 価値形態の廃棄

    • 労働力商品の止揚

なしには成立しない。

ところが柄谷の世界共和国論は、

  • 規範的

  • 倫理的

  • 運動論的(アソシエーション)

に傾き、価値形態の止揚条件を示さない。贈与の「高次復権」であるという。ポトラッチを地球規模でやるとでもいうのだろうか。

 この点で、国家論も平和論も構造分析としては中途半端にならざるをえない。

結論

  • 柄谷行人は価値形態論に触れたが、

  • 主権国家の成立必然をそこから導かなかった

  • 国家を再配分=保護に非ブルジョア的なものとして矮小化し

  • カントの未解明点を指摘せず

  • 世界共和国を倫理に逃がした


 ウェーバー、フーコー、ルーマン、ルークスなどの社会学的権力論はいずれも皮相である。一見暴力なしに進行できる商品交換は、例外的にしか国家暴力を必要としないかに見える。かれらはその外観に騙されて(または騙されたふりをして)権力は不可避であり、せいぜい自由主義的な市場の多元性で抵抗することしかできないと結論づける。

 しかし、ここに資本蓄積論をもってくると、資本の専制の維持のためには相対的過剰人口が不可欠であり、世界総資本と主権国家体制は、内部の不満を互いに転嫁しあうほかはないという論理が導き出せる。これは、第二次大戦後の国際協調体制を蝕むのだ。価値形態論を基礎に置き、商品と貨幣の二重化、資本投資、資本蓄積の不均等発展が、かならず階級的支配を不可避とするからこそ、主権国家体制が解決できない問題にますます人類は直面することになる。

 以上丸山、吉本、ハイエク、柄谷らは、いずれも現在のわたしたちが直面しつつある巨大な問題の前で立ちすくんでいる。まことにわたしたちは理論上の大きな転換期にたっているといわざるをえない。


2025年12月12日 コンビネーションからアソシエーションへ


 晩年のマルクスが社会革命をコンビネーションからアソシエーションへの転換と定式化するまでに、どういうふうに考えて行ったか、ちょっとわかってきた。アレントよりも先に、マルクスは「活動」こそが人間の自由な行為と考えていた。活動の特殊歴史的で、疎外された形態が「労働」なのである。アレントのように、自由な活動に背を向けて「労働」に没入するのはけしからんというふうにマルクスは考えない。ぎゃくに「労働」がどういうふうに結合するかを深掘りする。そこを通らないと自由な活動を手に入れることはできないからだ。

 『ドイツ・イデオロギー』1845-46は次のように考えた。すなわち、一方に大工業が、他方に世界市場があって相互に昂進するとともに対立する、つまり矛盾するという認識がここで鮮明に打ち出された。これがもっともスケールの大きい資本主義認識の根本枠組みである。これに依拠して『ド・イデ』は、いかなる局地的共産主義も成り立たないと断言する。一国的社会主義というのは、理論から見れば、悪いジョークである。歴史だったのだから仕方がなかったのではあるが。

 「大工業と世界市場」というのは、場所の問題ではなく、二つの異なるメカ二ズムとして考察されている。大工業とは、人びとが一緒に働いているチームであり、具体的には会社である。世界市場というのは、際限なく、互いの面識もない、最大限のマーケットである。近代経済学者は「大工業と世界市場」を形式論理的にミクロとマクロというかたちでぶった切ってしまう。しかしマルクスはそうしない。彼によれば、「大工業と世界市場」は、計画性(チーム)と無政府性(競争)がせめぎあう矛盾なのである。

 そもそも『資本論』というのは商品論でも貨幣論でもなく、それを踏まえた会社論である。したがって、「マルクスの可能性の中心」に会社論を置かない議論、たとえば価値形態論だけを取り上げる議論などは、それの「不可能性の周辺」でしかないのだ。

 ではマルクスにとって会社とはどういうものなのか。会社ほど日常的で、自明なものはない。だれでも会社で毎日毎日働いている。電車の車窓から街を見て見たまえ。住宅以外は、すべて会社である。しかし、誰も会社を「知らない」。この種の無知は、白昼の暗黒のようなものであって、不思議なことであるが、しかし、この無知こそが会社を会社たらしめ、労働者の階級としての即自的存立を可能ならしめる当のものである。視野は外界をみつめるが、視野をみることができない。会社とは、資本主義では、ちょうど視野のようななにものかなのだ。

 会社について『資本論』の第4編相対的剰余価値の生産が、協業→分業とマニュファクチュア→機械と大工業へ論理的に進行すると書かれている。簡単に解きほぐせば、会社は人々が一緒に働くチームであるが、チームは絶えず大きくなるとともに機械を使うような装置になるということだ。『資本論』の大工業論には、対岸にあるべき「世界市場」という項目がない。しかし、実はここにも常に「大工業と世界市場」という根本認識あってのことだと読むべきである。第1巻の最後の第7篇資本の蓄積過程、いわゆる「個体的所有の再建」論において、控え目にであるが、世界市場について言及している。これは、「個体的所有の再建」が局地的共産主義において成立することなどありえないからだ。「大工業と世界市場」という枠組みが生きている証拠である。

 成熟した大工業論まではいかないとしても、『ド・イデ』は小工業/大工業ということを考えていた。小は大になる。大とは何であるか。どうして資本は小から大になるのか。競争(世界市場)のゆえである。『ド・イデ』は小から大への工業の発達を、ただスケールの大小ではなく、労働の「必然的な結合notwendige Vereinigung」の発展と呼んでいる。資本が専制のもとで、否応なく「必然的結合」を発展させる。労働者は自分から自由意志的freiwilligに労働を結合させるvereinenわけではなく、自然発生的な分業の中にいるかぎり、強引に結合される。「労働が配分されはじめると、各個別者は自分に押しつけられる何か特定の排他的な活動範囲をもつことになって、そこから脱け出ることができない。彼は狩人、漁師、または牧者、または批判的批判者であるかであって、いのちの綱を失うまいとすれば、それをやめるわけにはいかないのである」(MEW,Bd.3,S.75)。このいやいやながらの「必然的結合」は、ますます疎外された形での結合の外在的発展である。会社による結合は、権威であり、専制である。

『ド・イデ』につづく『哲学の貧困』1846で「近代工場の内部では企業家の権威によって分業が綿密に規定されているのに反して、近代社会には、労働の分配にについて、競争以外にはなんらの規定も権威もないのである」(国民文庫版、182頁)と重要な論点が示された。ここに重要な洞察があるので、マルクスは自分のこの洞察を『資本論』の注にいれて、内心誇りに思っていた。だが、相当の研究者でも、この文章およびこの直前に書かかれている驚くべき文章を見ていない。そこはもっと注目されてよい。

 そこはこうなっている。「社会全体は、社会にもまたその分業があるという点で、工場の内部と共通点をもっている。近代的工場における分業を典型とみなして、これを一つの社会全体に適用するならば、富の生産にとってもっともよく組織されている社会は、むろん、たった一人の企業家だけがかしらにたち、その人があらかじめさだめられた規定にしたがって共同体の様々な成員に仕事を分配する社会であろう。」

 ここでマルクスは社会全体を一つの会社が取り仕切るような「もっともよく組織されている社会」、つまり一企業独裁社会を考えている。もし、そうであるならば、これは恐るべきことである。しかし、これ以上に正確な論理的推論はない。実際、恐ろしいほどこの推論のとおりに現代世界は進んでいる。すなわち「企業家の権威」は「自由競争の権威」を論理的な前提にしているが、後者の養分を吸い取って、ますます前者は強化され、後者を否定せずにはおかない。「大工業と世界市場」において、後者があるがゆえに前者があるのだが、にもかかわらず、前者は後者を駆逐する。そうなれば、一会社としての大工業は存立出来なくなる。ふつう資本主義の根本矛盾と呼ばれているのは、まさにこのことである。

 マルクスが大工業に注目した理由は何か。それは市場の無政府性の中に忽然と計画性というドット(黒点)が生まれるからだ。しかし、あくまでもこの計画性は企業家の権威の独占の発達である。ドット黒点はますます巨大化する。白い紙に黒点が広がるように。地が白ければこそ、ドットは黒い。白紙の黒点が大きくなれば、最後には紙は黒紙となるにちがいあるまい。すなわち、無政府性があればこそ企業家の独裁はますます発達する。それどころか、独裁下の「必然的結合」こそが、競争(世界市場)のなかに計画性を発展させる。プロレタリア革命は、企業家の権威下の「もっともよく組織されている社会」の先行を前提にするものである。資本主義は一企業独裁社会を「もっともよく組織されている社会」として完成する。それを避けることはできない。

 資本主義的な「もっともよく組織されている社会」はお好きですか?それならそれで結構でしょう。だが、たった一人の企業家の権威に全人類が耐えられないというのであれば、話は違う。この社会を、まったく別の「もっともよく組織されている社会」で置き換えるというのであればだ。もし耐えられないのであれば、独裁下の「必然的結合」をピープルの「意思による結合」に変える以外に道はない。

 このように、『ド・イデ』の大工業論は、労働の「必然的結合」論となり、必然的結合notwendige Vereinigungと 自由意志的結合willkürliche (またはfreiwillige)Vereinigungを対照させている。「必然的結合」から「自由意志的結合」への転換という展望が出てくる。

 そもそも自由意志的結合ができあがるためには、先行して「必然的結合」が発展していなくてはならない。結合Vereinigungをあらたにつくりだすのではない。ただ形態転化させるのが労働者の歴史的使命なのだ。

 『資本論』は、notwendige Vereinigungにあたる用語をずっと洗練させ、別の言葉で置き換える。資本家のもとに強いられた「必然的結合」を意味させる用語は、『資本論草稿』期に読んだウェイクフィールドの協業論をふまえてKombinationとされるようになる。ゆえに大工業→労働の必然的結合→コンビネーションということになる。すると、「自由意志的結合」だけが階級的ゲマインシャフト、すなわち団結であり、アソシエーションである。27歳から40歳なるまでのマルクスの歩みは、ことごとく概念の鋭さへ反映されていく。これは壮観だ。

 ところで、資本に雇われた労働者の労働結合は、資本の専制despotismのもとにあるから、コンビネーションは「必然的結合」としてのみ発展する。つまり、マニュファクチャ→協業→大工業という過程は、コンビネーションの発展であることになる。これに対抗できるのはただ労働者のVereinigung、すなわち本来の団結のみである。しかし、団結、すなわちアソシエーションは「必然的結合」としてのコンビネーションなしには起こらない。

 だが肝要なことは、たとえコンビネーションであったとしても、それは資本家的な計画社会を世界市場の中にぐんぐん伸ばしていくことである。それは「もっともよく組織されている社会」、しかし、最悪の資本主義的な「よく組織されている社会」へ漸近する。総体としての資本が最も恐れていることは何か。それは、資本が生み出す「最もよく組織されている社会」を、その「たった一人の企業家だけがかしらにたち」、独占している権力を自分以外の誰か、つまり労働者階級に奪われたらどうしようか、というところにある。

 私は、ここで『共産党宣言』1848のことを想起せざるをえない。第1章「ブルジョアとプロレタリア」の末尾はとても印象深く、読者の脳裏に焼きつく。ここで資本をあえてすべて会社と訳してみる。「ブルジョア階級の存在と支配にとって最も本質的な条件は、私人Privatenの手中への富の蓄積、すなわち会社の形成と増殖である。会社の条件は賃労働である。賃金労働はもっぱら労働者相互のあいだの競争Konkrrenzにもとづく。工業の進歩の無意志無抵抗な担い手はブルジョア階級であるが、工業のこの進歩は、競争による労働者の孤立化Isolierungの代わりに、アソシエーションAssoziationによる労働者の革命的団結revolutionäre Vereinをつくりだす。だから、大工業の発展とともに、ブルジョア階級の足もとから、かれらに生産させ、また生産物を取得させていた土台そのものが取り去られる。ブルジョア階級は何よりも、彼ら自身の墓堀り人を生産する。ブルジョア階級の没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに避けられないunvermeidlich」(MEW、Bd.4,S.474、岩波文庫版、56頁)。

 20世紀マルクス主義は、市場は無政府性のモメントであり、国家は計画性のモメントであると捉えてきた。かれらは『共産党宣言』を読んだことがあるのだろうか。ここに「大工業と競争(世界市場の等価物)」の矛盾がはっきり記されていたというのに。レーニンの目は節穴であったのだろうか。かくも初歩的な誤読が100年以上もつづくなどということが、実際に起こったのはいったいどういうわけなのであろうか。

 ともあれ、市場が無政府性で、反対物が国家の計画性であるならば、計画社会とは、国家社会主義となる。ハイエクの理論は、20世紀マルクス主義の裏返しである。それゆえ、一方に自由社会(市場社会)、他方に計画社会があるというふうに捉える。レーニンとハイエクは、いずれもマルクスの原意から外れている。レーニンは、師に従順であると思い込みながら逸脱してゆく。ハイエクはマルクスを批判できたと思い込んでいるが、そうなればなるほど資本主義に内在することができない。これほどの大物がいずれも中心を外してしまう。

 原意は、「大工業と世界市場」の矛盾である。なぜなら、資本の専制のもとでのコンビネーションそのものがますます計画社会に近づくからだ。ハイエクの自由社会論は、国家の経済介入に必死で反対するものであるが、自由社会が自由企業体制であるという根本認識を欠いている。

 計画は、市場の外にある国家がもたらすものではない。計画のモメントは疎外されたかたちで資本主義的企業のなかに黒点として現れる。市場対国家ではなく、市場対企業なのである。企業が計画社会をもたらし、企業が世界市場を終わらせる器であるという認識は、レーニンにもハイエクにも、またケインズにも欠如している。だから、『ド・イデ』の「大工業と世界市場」という枠組みは、ケインズからハイエクへ時代が変わっても、またソ連が崩壊しても、まったく動揺しない。

 かえって『ド・イデ』から『資本論』への階梯は、20世紀マルクス主義、ケインズ主義およびハイエク主義などをことごとく退けるだけのパースペクティブをもつ。

 現代の国家は、あいかわらず公私二元論の中に位置している。プーチンがKGBという国家社会主義の残骸から生き延びていること、習近平も金正恩も同じような国家社会主義の路線であることは否めない。これにたいして、欧米が様々な多様性をもちつつも、新自由主義で結束している点もまた認められる。

 こういう情勢のもとで「市場経済をつうじて社会主義へ」という路線を理論的に訴えるばあいに注意すべき点は、足して二で割るような主張を避けることであろう。というのも、聴き手は「市場経済」から出発するというのだから我が市場経済を許容していると片耳で聞くであろうし、また、「社会主義へ」という以上は国家部門を強化することを支持していると、これまた片耳で聞くことは明白であるからだ。

 不破哲三日本共産党議長が2002年に中国社会科学院でおこなった講演「レーニンと市場経済」は、なかなか学ぶ点が多い講演であり、現在の日本の左翼の一つの範型であると思われる。だが、本稿がここまで論じたことから考えて「現代資本主義論の分析視点」がきわめて近代主義的にブレていると思われる。不破氏はこう言う。「市場経済は、もともと無政府性や弱肉強食的な競争性をもっています。そこから雇用不安、失業、社会的な経済格差などの問題が生み出されます。そういう矛盾を抑えていく力は、市場経済自体は持っていません。」資本主義が生み出す社会問題を資本主義が自動的に解決する力をもたないことは自明である。だからと言って、議会による民主的規制とか国家部門を強化するというのは上滑りである。彼が理解していないのは、市場経済が内在的に企業を生み出すこと、企業は人間と自然の物質代謝過程を媒介する器であること、企業そのものが計画性のモメントを世界市場の内部に持ち込み、絶えず計画性と無政府性の矛盾を発展させること、これである。

 この認識からはおきまりの「計画経済と市場経済の結合」という論理とは別の未来像が出てくる。不破氏の認識は「国家の介入と市場の見えざる手のバランス」という理屈に帰着する。需要と供給の調整などは、なかなか市場以外にはできない効用があるとも述べている。これじたいは、社会科学史上もっともなことであって、マルクス主義といえどもスミスの認識が簡単に価値を失わない重要点である。

 しかし、そのうえで私は不破氏の認識に異議がある。氏の認識は、非常にメカニックである。市場経済と国家部門のウクラードなどという把握もそれである。だが、「労働者」「労働者階級」という言葉が一回も出てこないのはいったいどういうわけであろうか。中国だろうが日本だろうが、およそいかなる国の社会科学者に向かっても大事なことは眼前の生きた労働者を見よ!ということである。それを抜きにして「需給法則」や「部門間の調整」などというメカニズムあるいは管制高地論的なターム中心に話が組み立てられるのはいったいどういうわけであろうか。

 抽象と具体の間のどこに観察者は立っているのか何かおかしい感じがしてならない。氏は言う。「研究すべきもう一つの問題は、より理論的、より将来的な問題ですが、『計画経済と市場経済の結合』という道を成功のうちに進んで、社会主義の目標に到達した場合、市場経済はどうなるのか、消滅してしまうのかそれとも残るのか。もし残るとすれば、いつまでどの範囲で残るのか、という問題です。」というのも、その一つである。

 これは『資本論』に置きかえると商品が残るか消えるかと問うものである。たしかにそれは理論的に残る問題ではある。だが、まさにこれを問う前にもっと重大な問うべき論点があったのではないかと思われる。というのは、旧ソ連と中国をみていて思うのは、労働力商品化を残すか、消すかがまったく手つかずのまま残されていたからである。原理的に見て、労働力商品化は、働く者の労働処分権を専制に委ねる根拠になってきた。資本家が労働者を搾取できるのは労働力を商品化することをつうじて労働処分権を独占できるからである。労働者が専制の「言いなり」になる根拠がなければ、搾取は不可能である。必要労働を超えた分が剰余労働となり、それが剰余価値という歴史的形態をとるというのは、必要労働と剰余労働を込みにした労働にたいする処分権を他者(それが資本家であろうと国家であろうと)が握るからである。だから、社会主義とは何か、と問うならば、「計画経済と市場経済の結合」を所与の条件として、計画経済の比重を上げることと観念するのでは、十分ではない。誰が計画するのか、専制的な計画なのか、それとも自治的な計画なのかまで進まねばならない。マルクスが将来社会を端的に「自治社会」と規定したことは非常に重要である。労働力の商品化を前提としていては、国家による計画は可能かもしれないが、労働力の商品化を廃棄を条件とする自治社会までは決して届かない。

 だから、商品が残るか消えるかというのは、一見理論問題であるように見えて、何か霞のような問題をつかまされた印象をぬぐえないのである。労働者という言葉が出てこない本当の理由は、誰が社会を計画するか、国家なのかそれとも労働者なのかを回避して、棚上げしたかったからではないのか。たとえ、国家は全労働者の利益を代表しているから、その二者択一はおかしいと中国側の学者が反論すれば、では労働者がどこまで当の国家を自治的に管理できるような保障ができているか、と問いをつなぐことができる。そこまで行けたら、この講義は大成功であっただろう。

 氏は「労働力商品」の存続についてなぜ問わないのであろうか。頭でっかちの純粋経済理論家が「商品」について考えることはありそうなことである。だが、氏はそういう立場ではない。日本の共産党を代表して中国で話をしている不破哲三氏が、労働力商品の話を飛び越して商品の話をするのは、私にはあまりに衒学的に見えるのである。

 この問題は、労働力商品を廃棄するということは、労働者が労働処分権をわがものとすることであるから、労働と所有の統一を達成することにほかならず、つまりは個体的所有の再建以外ではない、という点を明らかにすることにつながる。別の所(「個体的所有、その後」『思想から見た西と東 西洋思想史のアジア論的転回』本の泉社、2024所収)で書いたことだから再論しないが、不破氏は「個体的所有の再建」を「生活手段の私的所有」のことと読むのだから、中国に行ったら「労働力の商品化」の是非を問うて議論してみようという野心はもともとない。これが日中の理論交流をまずしいものとした理由ではなかろうか。

 このようにコメントするのは、私がマルクスの理論体系を、全体として公私二元論と労資二元論の組み合わせだと理解するからだ。マルクスは1843年から1844年頃まで公私二元論を批判的に考察したのちに経済学批判へ移っていく。トータルに見てマルクスは公私二元論を労資二元論で超克する、という理論体系を構想して実を結ばせ、一応やり遂げて亡くなった。

 しかるに旧ソ連や中国では、国家権力による市場の規制という社会主義像だけが遺産化されてしまった。「計画経済と市場経済の結合」という把握は公私二元論の一部であるから、マルクスの理論体系の全体を十分視野に入れたものとなっていない。むしろ、公私二元論という近代主義の枠内に滞留したままである。ゆえに不破講演は、労資二元論の理論的潜勢力を十分ふくらましていない。労働者の存在とその自治力の問題をスルーしている限りで、下手をすると、国家権力と企業権力の妥協、もちつもたれつ、メカ二ズム上の均衡というところへ流されかねない。

 結果として、政党の政策として市場経済に対して外から計画経済を持ち込むのでは、労働者自身がいかにして自治するのかという問題は出てこないから、新しい主体をどう育てるか、その条件は何かが出てきにくい。専制的計画経済を国家が管理するのであれば党の官僚機構が太るだけである。そうではなくて、資本主義的企業の権力を公器に変えるべく職場の労働者たちが自己の「労働処分権」を奪還するという次元があってこその計画性である。これが企業の専制的計画性を否定的にうけつぐ。職場次元の民主主義の向上は必須である。これは、従来は産業民主主義と呼ばれてきた。職場民主主義とか産業民主主義という強固な次元は、企業権力にも国家権力にも、また党の権力にも抵抗する固有の力である。

 もしも、職場民主主義の次元が自治的な性格のある強靭なものであるならば、決して将来のことではなく、今日ただ今の問題としていろいろなことが考えられる。たとえば三菱重工の軍事部門をひざ元から問い直すことができる。企業の持つ計画性は、国家の軍事警察化と容易に癒着する。しかし、三菱を世界の公器に育てようという職場の自治的計画性があれば、国家と企業の双方の権力に抗いうる。だが、武器輸出や武器開発に燃えているような企業人を放置したままで、政府だけが上流で資金を止めるのでは実に弱々しい「上からの民主主義」というほかはない。

 いま世界は、軍事警察国家の色彩が強い諸国家と規制緩和的新自由主義国家の色彩の強い諸国家の二グループが同時並存し、対抗し、二つながら影響を与え合っている。このような情勢に対して「計画経済と市場経済の結合」というのは、無概念的である。とりわけ、新自由主義の軍事化と軍事警察国家の新自由主義化が浸透するとき、ここに有効に介入できるものとは考えにくい。

 近代政治の目的は、資本の専制despotismの分散性を保守することである。政治の本質は、工場内の専制の保存にほかならない。大企業の専制を保守するためには、多かれ少なかれ、政府もまた専制化する。そして、両者はますます癒着し、一体化する。

 企業と国家の専制を壊すために何が必要であるか。党の専制を強化することによるのではない。企業と国家がともにコンビネーションであることにたいして、この体制下においてアソシエーションを増殖させることである。内側からでも外側からでもかまわない。内側からのアジェンダをひろげ(団体交渉)、外側からの規制を強化する(たとえば工場法)ことである。

 次のことを原理論的に把握して終りにしよう。『グルントリッセ』1857-8のなかで「資本と労働のあいだの交換」という項目がある。第一の交換は、労働力と賃金の交換である。第二の交換は「資本が労働を手に入れ、それとひきかえに労働者が仕事を手に入れる」過程である。二つの交換のうち、第一の交換は流通過程において行なわれ、第二の交換は労働過程でおこなわれる。第二の交換における権力を論じるのが「管理の二重性論」であることは言うまでもない。これらの二つの交換は、先の『共産党宣言』に倣って言えば、競争あるいは自己についての無知によってスムーズに経過するものである。

 孤立化をアソシエーションによって置きかえるとは、労働力の商品化を廃棄することに等しいのであるが、第一と第二の交換をともどもに廃棄する。第一の交換が廃棄されれば、生活が賃金に縛られること(つまり貧困)はなくなる。第二の交換が破棄されれば、資本の専制が終わり、労働者からの労働処分権のはく奪が廃棄されるがゆえに、労働者の自治が基礎づけられる。

 いずれにせよ、第一の労働力の交換と第二の労働の交換の双方がトータルな自治の対象となってこよう。これら二つの交換を制御できれば、私人は不要となるから、政治的国家は目的を失って消滅する。

 従来の公私二元論をもとにした近代主義的社会主義理解が20世紀にはきわめて支配的であった。それらの共通の間違いは、これら二つの交換過程の自治化、民主化について言及することなく、その論点をぼやかす別の事柄に夢中になって、冗長に語ることであった。


2025年11月24日

『精神現象学』の史的唯物論的再構成


 ヘーゲルが『精神現象学』1807年を書いたのはフランス革命の後だった。フランス革命とはいったいどういう革命であったのか。あの革命は公私二元論を確立する革命であった。で、ヘーゲルはその革命に決して満足しなかった。なぜなら、その後に続いたロベスピエールのテロリスト政治がたんなる逸脱や政争ではなく、本質的にフランスの公私二元論に根ざすテロだと考えたからだ。21世紀のイスラエルによるガザ侵略の国家テロリズムは、ヘーゲル的に見れば、やはりイスラエルの公私二元論が起こすテロにほかならない。その背後にアメリカという国家テロがあることは言うまでもない。つまり、『精神現象学』の主題、すなわち、自我はいかにしてその共同性を回復できるのか、はヘーゲル以来のすべてのもろもろの哲学によって考察されてきたが。なお十分な回答を与えられてはいないのである。

 では、ヘーゲルの企てをひっくり返して製造された「史的唯物論」はどうなったのか。『ドイツ・イデオロギー』(1844年)から始まって1991年で止まったのである。この停止状態は、しかし、学問にとってきわめて不健全である。

 なぜなら、公私二元論のもたらすテロリスト的暴力性はいまだに消えないから、ヘーゲルの問い、自我はいかにして共同性を回復できるか、に対する問いは現状のままでは、どんなことがあっても消えない。しかし、答えが『精神現象学』の絶対知に行きつくわけにはいかない。絶対知とは、人間が全知全能の神に行きつくということであり、有限、身体的制約、五感的生命体であるところの人間が神になることは所詮無理だからだ。

 では1844年に開始された理論的プロジェクトをどういうふうにしてなお進めうるのか、すなわち煩悩具足の凡夫を前提に据えたうえで、『精神現象学』の史的唯物論的再構成を誰が、いかにして、いつまでに製造するか、が問われざるをえない。アルブレヒト・ヴェルマー(1933~2018)という哲学者は、「コミュニケーションと解放」1977年という地味な論考で、「『精神現象学』の唯物論的解釈はまだない」と述べた。それができておれば、どうだっただろうか。

 これはIfの問題であるから、禁句である。ただ事実に立脚すれば次のようなことは言えるだろう。何よりもソ連が崩壊したということのなかに大きなヒントがある。「崩壊」というのは、次にどうしたらよいかのプランがないために、自分の重みを自分で支えられずに建造物が垂直に(つまり重力に従って)崩れることだ。まさしく「自壊」である。人為的な構築物が自壊すれば、必ず自然発生的なものへもどる。家が腐って崩壊すれば、ただ更地が残るのと同じだ。更地とは何か。それは、われわれの世界史的水準にもどって言いかえれば、公私二元論なのだ。ということは、ヘーゲルが『精神現象学』で主題とした公私二元論の克服という主題が、1991年によって、ふたたび現れたということである。これをネタにしてソ連をどれほど笑いものにしても、もろ手をあげて賛成したとしても、何も解決しない。

 しばしば革命には揺り戻しがあると言われる。フランスにも、ロシアにも、また敗戦後の日本にもそれはあった。しかし、私はフランスの場合の揺り戻しは、もっとも根源的なものだったのではないかと想像してみたくなるのだ。というのも、ロシアや戦後日本の革命や改革は、フランス革命のもつ世界史的衝撃に比べて素朴に考えて、ずっと小さい。ヘーゲルの問いは今日ではますます巨大な問いとして残ってしまった。

 ヴェルマーの論文は、ヘーゲルの問いを、170年後にもうひとたび見据えて、それに代わる唯物論的な『精神現象学』を再構成すること、この狭い道以外には何も残されていない、と論じたものにほかならない。

 ここで唯物論という言葉をあまりにも雑に使用しぎたと思うが、もっと分節化すれば、社会史、言語ゲーム、解釈学、権力論、組織論などなどということになるであろう。これは、現代科学の様々な分野となっているから、一人で何もかもやれるわけではなく、共同的な研究によってのみ遂行される。要は、みな仲良く協力して研究することだな。 


カール・オットー・アーペルが1971年にprivatをeinzelnに等置していたこと

 長らく確かめないままで来たことだが、アーペルは時々ハーバーマス以上に事柄を突き詰め、言葉を厳密に使う。「コミュニケーション能力についての予備的考察」1971のハーバーマスは、チョムスキーの言語論についてはっきりとモノローグ的とは言い切っていない。Kritische Bemerkungen zum elementaristischen Programm einer allgemeinen Semantik(1970)ではそう言ったようにアーペルは書いているので、そうかもしれない(これを未見である)。だが、アーペルは哲学的独我論を崩す熱意にかけては、ハーバーマス以上である。それが言葉遣いに現れる。すなわち、アーペルは、ヴィトゲンシュタインが「私的言語」を認めない点を非常に高く評価して、論理哲学論考では、まだヴィトゲンシュタインは、ラッセルと同様に、原子論的アトミズムに立っていたが、私的言語批判でアトミズムを捨てたとみる。すると、アーペルの立場は、後期ヴィトゲンシュタインとともに、徹底した言語共同体論であり理想的な相互理解の立場なのだから、デカルト以来のすべての単独主体を前提に置く議論に反対する。

 チョムスキーは、政治的にはとてもラジカルであるが、もともとデカルト派言語論として出てきたために、単独主体が生得的な創造的能力をもつということを譲らない。この点で、リバタリアニズムとマルクス主義を折衷したように見える彼の立場は、言語論の側面ではモノローグ的である(政治分析はマルクス的であるが、社会運動の点では啓蒙的だ)。

 アーペルがシャープなのは、チョムスキーの言語論をめぐって、それがモノローグ的であること、したがって哲学的独我論を抜けていないこと、反コミュニケーション的、反相互主観的であり、したがって「私的言語論」的であり、Einzelneの立場だと言い切るところである。

 恥ずかしながら今日、「チョムスキーの言語理論と現代哲学」(1971)を読んで、そのことを確認した。

 要約すると、アーペルはヴィトゲンシュタインの言語共同体論はチョムスキーの言語論が想定する私人的主体Einzelneと相容れないと言う。

 このような議論はドイツで1970年前後におこなわれた。むろん、アーペル、ハーバーマス、チョムスキーはいずれも非常に成熟した政治思想家でもある(ただしイスラエルのガザへの攻撃をハーバーマスが同意したことは人を失望させるに十分だった)。言語と認識と政治をたえず触発的に読む伝統は日本には薄い。この50年間、それを埋めるような議論もまた手狭過ぎたように思われる。

 国会論戦などをみても、政治家のボキャ貧と言語感覚の喪失は著しい。部分的に、その責任はアカデミズムにもある。


公私二元論を労資二元論で内破すること

 

 近代とは何か。いろいろな西洋の本を読み、また福沢諭吉や丸山眞男の本を読んで私が理解したのは、私の領域と公の領域を二元的につくる、というのが近代である、ということだ。

 近代が出来上がる前、我々人間は共同体で暮らした。共同体は主として土地や自然に条件づけられていた。土地や自然は動かざるものである。狩猟であろうと定置農耕であろうと、地の利のよい場所に暮らすことは、部族なり氏族を豊かにする。共同体は動かない。土地を売買の対象にしないことが共同体を維持する秘訣であった。遊牧民は非常に広い範囲で移動するけれども、モンゴルや女真がそうであったように、彼らもまた土地を勝手に売買することはない。

 共同体内部に、自然発生的な富の不均等が生まれると、地主が君臨し、その下に農奴が存在するようになる。ところが、長い時間をかけて共同体が相互に接触し、搾取のかたちが、労働→作物→貨幣というふうに変化すると、農奴の中に大量の小作人と金を貯めて領主から土地を買い取る少数の独立農民が出てくる。後者は商業とむすびつき、さらに工業を始める。独立自営農、商人、職人ーこれが平民とか市民とか言われる新興の社会層であるーが増えてくると地主支配の論理、身分制的垂直支配の論理とは別に、市場という水平的な交換の論理が出てくる。後者は、王ーそれは最大地主であるーなしに暮らしていける。そこで、市民層は、ついに王を領地から追い出す。以上のような因果で、土地という枠の支配圏を牛耳った王を市民層が追い出すから、王の空座を市民の代表が取ることになる。このために、近代国家はどうしても領地、領空、領海のなかの地表の一区画を占めるという特徴を持つ。

 だが、封建制という土地国家の遺産をうけつぐからブルジョア国家もまた領土国家になるわけではない。資本主義は、互いに国民国家が、上中下のランキングで競争しあうことを求める。世界資本主義の不均等な発展のためには、各国民が互いに憎んだり、羨望したり、移民したりする間主権国家システムであることが一番良いのだ。

 ゆえに、世界資本主義にとって、各国の国民社会がそれぞれ公私二元論の枠内に納まってくれるのは一番都合がよい。「公私混同はよくない」、「官と民」の分担と協調、「仕事とプライベートのどちらも充実している」、「民間活力と小さい政府」などが常にセットで思考されるのはなぜかというと、我々が非常に強く公私二元論の枠内に生きている証拠なのである。

 現代世界の80億人の人々は、おおかた、公私二元論をふつうと思い込んでいる。だが、公私二元論を廃絶するという、まったく新しい思考は出てこないものだろうか。旧ソ連や中国やキューバ、北朝鮮というのは何だろうか。レーニンは、ソ連がもっと発展すれば私法が消えて全部公法になると語ったことがある。そういう発想は、もし社会主義ができてしまうと国民は全員公務員になると言ったハイエクと表裏一体だ。レーニンとハイエクは、どちらも、国民国家のなかで「公」を考え、公を大きくするか小さくするかというせめぎあいの中にいた。「大きい政府」だろうが「小さい政府」だろうが、世界社会から見たら、その「公」はユニットとしてはまだ競争的な「私」的単位、せいぜいのところ特殊なものでしかない。

 では、本当にユニバーサルなもの、公私二元論を根本的に乗り越えるものは一体何だろうか。マルクスが近代を越えたという意味は、いまだに十分理解されたことはない。公私二元論を超えさせるものは、ほかならぬ労資二元論という、目の前の現実そのものである。資本とは、私的所有のもとでの私的労働から始まる。ところが、人を雇うことによって、私的労働はますます協業的な労働、その意味での社会的労働となってゆく。私的労働がその内実においてますます強固な「直接的(貨幣に媒介されない)に社会的な、したがって共同的な労働」になることは、資本が市場に依拠しながらも同時に市場を廃棄する条件を生み出すということにほかならない。資本そのものが市場性と計画性のーますます計画性が強まるところのー生きた矛盾である。

 凡庸なマルクス主義ーそれは正統派マルクス主義などと呼ばれてきたのであるがーは市場が無政府的であり、国家が計画的であると長らく考えてきた。まさしくこれは公私二元論という発想のもとにある近代主義である。ここには私的労働(勝手に作る)と社会的労働(計画的に作る)の矛盾という見地がすっぽり抜けている。現在、グローバル化が急激に進行している。それは、多国籍的独占企業、GAFAMやウォールマートの制覇なのであるが、自由企業体制は専制を恐るべき極致へ引きあげる。しかしかれらは、それを望むのではないが、むしろいやいやながら、ますます計画社会の条件を生み出さずにはおかない。グルーバル企業の専制は、社会全体を悪しき管理社会として包み込まずにはおかないが、そうであるからこそ、悪しき管理社会か、それとも民主的な計画社会か、という選択を避けがたいものにする。

 排他的私的所有から生まれるのは、けっきょくグローバルな地平での、管理社会かしからずんば計画社会か、専制か民主かの選択あるいはたたかいである。労働力が商品化しているからこそ、労働の社会化が進む。労働力の所持者は、さしあたり私人化した労働者たらざるをえない。だが、悪しき管理社会をもたらすのは、私人化された労働者であることがますますはっきりしてくるのだから、管理社会を計画社会へ転換するためには、労働者は計画する主体として、私人から個体へ転回するほかはない。他者が自分を「アゴで使う」のは、労働力の商品化の帰結である。他者に従属したくないのであれば、自分をアゴで使うのが資本家であろうと国家官僚であろうとはたまた党官僚であろうと、その専制と闘えば闘うほど、それだけ一層「労働力の商品化」を打ち破らざるをえない。共同的な関係の中で自己決定する人間を個体と呼ぶなら、世界中でそうした人間が生まれつつあることをいずれ観察できるはずである。


体験的・高校教科書論 

      

『桃山学院大学社会学論集』第58巻2号、2025年2月

                    竹   内   真   澄

 キーワード:歴史,教科書,検閲,高大連携,21世紀的言語統制

  

はじめに

 2024年10月11日から13日の日程で,「又石大・立命館大・浙江大   韓日中交流シンポジウム   百済の光芒:韓日交流の軌跡」1)に参加した。以前からの,徐勝2)さんとの人間的なツテによるものであった。徐勝さんは出獄後, 1997年から2002年10月まで「東アジアの冷戦と国家テロリズム」という統一テーマで計6回の国際シンポをリードし,支配者が「鳥の目」で物を見ているのに対して,いかに被支配者が「虫の目」でしかものを見ていないかを徹底的に暴いた。いくつかの回にぼくも参加させてもらって,おおいに啓発された3)。今回のシンポジウムの一つの焦点は「東学農民戦争」であり,フィールドでもその現場を歩かせてもらった。

 これまでに,文献,映画,講演などで,幾たびか「東学農民戦争」のことは学んだことがあった4)。しかし,日清戦争のことがどうにも頭に入ってこなかった。日清戦争が,日本と清という二国間の戦争であるというイメージを語感から勝手に抱いていて,朝鮮半島のことは視野になかなか入ってこない。それを訂正したのは,結構中年になってからだった。日清戦争は,日本と清が朝鮮半島を舞台に軍靴で荒らしまわる戦争なのである。それは,アメリカとソ連・中国が国家主権を取り合う朝鮮戦争(1950-53)と酷似している。


 日清戦争は,背後にある大国に着目する名前であり,朝鮮戦争はそれが起こった舞台に着目する名前だ。背後関係と舞台を統一的に理解する必要がある。日清戦争における東学農民戦争の位置を考えることは,統一的理解に大いに寄与するものなのである。こうして,ぼく自身,二つの大国が中空で激突するような誤った残像をかなり克服できたように思う。

この程度に無知なぼくが,今回,韓国京畿道全洲を歩いてようやく腑に落ちたことが少なくなかった。美しい山なみ,穀倉地帯,用水路,農民,そして全琫準(1854-1895)などは深い印象を与えた。そこから,ぼくは日本帝国主義を一層よく考えるようになった。以下は,帰国後の約一カ月で日本の高校歴史教科書を検討するようになるまでの顛末である。

1.     張秀熙さんに再会する

 フィールドワークでふと参加者の女性から声をかけられた。それが張秀熙さん(Jang Soohee,韓国文学Ph.D.Research Fellow of General Life Research Institute,釜山)であった。彼女は,10年ほど前に京都自由大学5)に訪ねてこられて,その後研究者としての道を歩んでいる。再会の嬉しさでしばし盛り上がった。彼女は現在「従軍慰安婦小説」を対象に研究しており,それに関する論文を仕上げた。それだけのキャリアのある方と再会するだけではもったいないと思い,ぼくは2024年度を締めくくる京都ZOOM自由大学の講座の講師を依頼した。この企画はほぼ実現の見通しである。

 2021年4月,安倍内閣の政策を継承した菅義偉内閣(当時)は閣議決定で「従軍慰安婦」と「強制連行」の記述にかんする答弁書を作成した。これを受けて,東京書籍,山川出版社,清水書院,実教出版,帝国書院,第一学習社,学び舎の7社は,一斉に中高の教科書から「従軍慰安婦」を削除するか「慰安婦」と書き換え,「強制連行」を「動員」に書き換えた6)。

 この結果2024年度に大学3年生以下の者は,すべて「従軍慰安婦」「強制連行」を教科書で見たことがない。ゆえに,京都ZOOM自由大学で張秀熙さんの「従軍慰安婦小説論」を報告していただくとしても,大方の現役学生には広告が通じない可能性が高い。この過程でぼくは日韓交流に政治が新たな壁を作ったことをつくづく実感した。

2.     国家が,教科書検定を通じて言語統制をすすめる事態

 後で詳細に述べるように,家永三郎(思想史家  1913-2002)氏(以下敬称略)が提起した教科書検定裁判は,戦前のような国家による言論統制を二度と繰り返させないための,痛切な思いによるものであった。家永教科書裁判は1965年-1997年,1987年-97年の二期にわけて,第一次~第三次訴訟は結審した。最高裁は,原告家永三郎の「教科書検定は日本国憲法違反である」との主張を一切認めず,合憲とした。理由は,「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく,発表禁止や発表前の審査などの特質がないから,検閲にあたらない」からである。

 しかしながら,(1)教科書検定が検閲(センサーシップ)であるのかどうかという問題に対して,「一般図書」として売れることを妨げないのだから検閲には当たらないという理屈は,教科書検定が言論の検閲になっていくという拡散構造を見ない一面的な論法にほかならない。(2)2021年の閣議決定は,政府が教科書会社向けの説明会をおこない,伝えられた。すでに新学期は始まっていたにもかかわらず,6月になってから後でも,閣議決定に反する記述は訂正するように申しわたされた。ゆえにこれは事前審査であるし,事実上の発表禁止であると言わざるをえない。(3)国家(日本政府)による現実の検閲=思想統制がなされているにもかかわらず,教科書執筆者は誰一人異議を申し立てることはなく,またどの出版社も反論しなかった。これは,由々しき問題である。

 いま(1)から(3)をぜんたいとして考慮するならば,家永裁判が裁判闘争で想定したのとは事情が変化していることに私たちは気づく。家永氏は日本社会のあるべき像として,国家が執筆者と出版社の思想・信条の自由を侵害することはあってはならないという構図で,国家による市民社会への不当な介入に反対したのだ。家永裁判は大いに世論にアピールしたにもかかわらず,けっきょく日本の司法では通らなかった。

 だから,「自由な市民社会」はいまだに未達成であり,日本の大きな課題だということである。ところが,(2)と(3)は,そうした未達成を達成せしめるのではなく,反対に国家/市民社会,前者の悪/後者の自由という社会科学的な図式から見れば,国家悪のモメントはますます強まっている。家永氏が恐れていた思想統制は以前にもまして深刻化しているのである。そして,危機は制度を超えて,主体の側へ浸透してきている。執筆者とそれを支えるはずの出版社は,憲法第24条(言論の自由)を最前線で守り,広げる現実的な主体であるはずだとの認識がかつてはあった。ところがそうした現実的主体がいまは存在しない。なぜなら,執筆者も出版社も国会を通さぬ一内閣の閣議決定という無根拠な力の前に,すごすごと屈服したからだ。おそらく,家永氏は,将来の執筆者が味方になってくれるはずだと確信していただろうし,出版社も同志とみていたことであろう。ところが現状は違ってしまった。家永氏は味方(学者と出版社)から背中を撃たれたのである。

教科書執筆者と出版社の行動は,それ自体としてはふがいないが,嘆くだけでは事は変わるまい。むしろ,家永が願った自由主義の原則は,戦後一度たりとも日本に実現せず,定着もしなかった。しかし,その後の新自由主義的教育政策の強行の中で,国家に抵抗するはずの民間人及び民間出版会社は,もはや国家に抵抗する主体ではなく,国家の利益誘導に適応する主体となってしまった。

3.     筒井康隆著『残像に口紅を』の意味するもの

 いま,筒井康隆の実験小説『残像に口紅を』7)1989が評判になっているそうだ。世界から,ある日「あ」が消える。次に「ぱ」が消える。次々に音が消え,ついにほとんどの音が消えてゆく。主人公の作家はどうするかという物語である。筒井は,音と実体を別ものと考えない。音があるかぎりにおいて実体は存在する。だから「あ」が消えたら,朝,朝ごはん,朝日新聞などが次々にこの世から消える。消えるというのは,言語表現の上で「あ」系列の言葉が一切消えるなら,実体も存在しないに等しいという意味である。小説は,これをいささか誇張し,音が消えれば実体も消えるというふうに書いている。たとえば,主人公は自宅で,たしか二種類の新聞を購読していた。ところが「あ」が消えた後では,読売新聞しか届かない。主人公は,いったい何新聞が来なくなったのか,思い出そうとするのだが,どうしても思い出せない。音の消滅は言葉の消滅であり,ひいては実体の消滅である。こうして,音の消滅につれて,世界のうちで思い起こせぬ空白が増え続けるが,いったい何が消えたかを人は特定できないということになる。世界はこうして,うつろな世界へと変貌しつづけるのである。

筒井の小説を読むと,かの閣議決定の目的がよくわかる。筒井康隆ふうに言えば,「従軍慰安婦」という言葉を削除するということは,いわば「あ」を使うなということに等しい。たった二つの単語(「従軍慰安婦」,「強制連行」)が使えないからといってたいしたことはないと我々は高をくくっている。「従軍慰安婦」が使えないなら,「性奴隷」と言いかえればいい。いくらでも我々は「言論の自由」を使えるはずだというふうに考えがちだ。「言論の自由」とは,言語は潤沢に存在し,それをやりくりした思想や意思を表現できるということだと我々は思っている。だが,そうではない。言語そのものが構造的に痩せ細るのだ。すると,思想や意思は跡形もなく消えていく。

「従軍慰安婦」という言葉が消えれば,それを告発する思想も意思も消える。したがって,「性奴隷」という代替言語を使えばよいなどという発想も消える。実際,7社の中で「性奴隷」に言い換えて教科書検定をとおそうなどと考えた事例は一つもなかった。だから,日本の教育界から「従軍慰安婦的なるもの」は消滅したのである。それでも,最高裁が言うように,民間企業は教科書以外の一般書籍でいくらでも「従軍慰安婦」関連書籍を出版する

可能性は残るという希望を我々はもちうるのだろうか。それは甘い幻想である。一般読者の中に「従軍慰安婦」という語を知らない人びとが増えていけば,学者の中にもそれを教わったことのない者が増えていくだろう。そうなれば出版社は書き手に事欠き,読者に事欠き,ついには売れ行きに事欠いて,この問題に関わる出版をやりとげる採算はきえていくであろう。思想統制というと戦前の治安維持法のような,非常に厳しい事態をわれわれは思い浮かべる,だが,実は思想統制よりも言語統制の方がずっと効果的なのである。なぜなら,思想は所詮言語を使うものだから,思想よりも根底にあるからだ。ゆえに,思想の上流で言語という水を止めて,言語もろとも思想が消え去ることを政府はじっくり待っているのだ。

4.21世紀的言語統制

いま生じつつあるのは上記の意味における言語統制である。すると次のような社会現象がもたらされる。すなわち一方で韓国には「従軍慰安婦」「性奴隷」という言葉が流通し,それがジャンルとして研究されている。ところが他方,釜山から博多へ移動しただけで,日本にはそれに見合う言葉が存在しないのだ。これは,「朝のある社会」と「朝のない社会」が隣り合わせるような,言語障壁による分断のできた事態である。

2024年の時点では,まだZOOM自由大学における日韓交流は成り立つ。

「従軍慰安婦」という言葉を聞いたことのある人びとが日本に生き残っているからである。だが,いずれ現役学生が大人になるころには,張さんが何か言っても,唇が動いているだけで,何を言っているのか,さっぱり理解できないという状況が訪れる。日韓市民連帯を進めようなどと,ぼくは言ってきたし,そうしたイベントにも参加してきた。だが,2024年度の中高生総数 644万人には「従軍慰安婦」という言葉が聴こえないのである。

政府の態度は,この問題をめぐって変化してきた。河野談話1993年8月において「いわゆる従軍慰安婦」という言葉が使われた。河野洋平内閣官房長官(当時宮沢喜一内閣)は被害者に対して謝罪した。そこに次のような丁寧な記述が含まれる。「慰安婦の募集については,軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが,その場合も,甘言,強圧による等,本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり,更に,官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また,慰安所における生活は,強制的な状況の下での痛ましいものであった。」これが「いわゆる強制連行」についての公式承認である。

ところが,2007年,安倍晋三首相(当時)が国会で「官憲が人さらいのごとく連れて行く,強制性はなかった」という答弁を行い,ここで流れが反転した。むろん,政府は河野談話をおおむね継承すると口では言うが,積極的な調査などはやらない。それどころか,安倍内閣の方針を継承する菅内閣は2021年,教科書の言語統制にさらに一歩踏み込んだのである8)。

 ぼくは戦時中の思想統制と区別するうえでこれを「21世紀言語統制」と呼ぶことにしたい。マルクス主義,自由主義,キリスト教を弾圧するのではない。そういう属人的なものの否定ではなく,万人共有の言語の一角を政府が消すのである。国家の偏向対対極者の闘争とは違う。そうではなくて,人間全般の前意識の領域の水抜きが進行する。だから,これは非常にソフトに進行する。そこが恐ろしい。

 言語の一部を消したとしても,なお事実を知りたがる変わり者や天邪鬼はいくらかはいるだろう。しかし,それも束の間のことである。そのうちに本棚の吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995を見ても,『@¡╬Ĵ¤』というヘンテコなナンセンスにしか見えなくなり,誰一人棚のこの本を手に取らなくなるということなのだ。偏屈者が卒論テーマを「従軍慰安婦」としたら,指導教員がそれを理解しないという未来が鼻先まで来ている。ゆえに,現在進行しているのは,「歴史教育問題」などという狭い領域の事柄ではない。政府が狭い了見で言語世界に介入し,世界の表象を統制し,学者,民間企業(出版社),大衆が憲法第24条(表現の自由),23条(学問の自由)が保証された筈なのに,それが自粛されて行くという問題なのである。憲法は「自由な市民社会」を想定しているが,新自由主義的政策下では,企業は安全に金儲けすれば十分なので,国家部門の正常な機能は衰退していく。「従軍慰安婦」「強制連行」が教科書から消えても,教科書出版社7社にとって,何の痛みも不都合もない。肝心の執筆者も抵抗しない。言語統制は漢方薬のように精神を蝕み,国民のものを見る目,その視力を徐々に奪うのである。まことに巧妙と言わねばならない。

だが,事態は必ずかくあったというわけではなかった。もし1956年頃に家永三郎著『日本史』が教科書として採択できていたならば,日本語の遊動領域は広がり,その分だけ構造は少しが変わっただろう。この点をいま少しく検討してみよう。

5.       山川出版社の歴史教科書の検討

(1)『歴史総合』の理念

2022年,『歴史総合』という科目が新設された。目的は①日本史を世界史との関連の中で扱う,②特に近現代をあつかう。③現在の問題を解決する視点を重視する,である。ぼくは,この理念を評価できるのでひとまずこれらを首肯するところから考えてみたい。だが,問題は理念がどれだけ実現したかである。

ここにいくつか指標をあげて,『歴史総合』を最も教科書として採択数の多い山川出版社の他の2種の教科書,『世界史B』『日本史B』及び家永三郎

『検定不合格日本史』1956と比較してみよう。そして4者をa資本主義,b帝国主義,c日本帝国主義,d従軍慰安婦,e強制連行,を指標に比較してみる。

閣議決定を受けて消されたため両欄とも×をつけておいた。『家永日本史』がd,e両欄ともに×になっているのは,執筆当時「従軍慰安婦」と「強制連行」の研究がまだ進んでいなかったためである。もしもっと後の執筆であ


表1  山川歴史教科書と家永日本史の比較

 

歴史総合

世界史B

日本史B

家永日本史1956

a資本主義

1

1

1と注

24

b帝国主義

4

1

ナシ

4

c日本帝国主義

×

×

×

1(過程の記述)

d従軍慰安婦

×

×

×

×

e強制連行

×

×

×

×

れば,家永の思想から考えて,氏がこられを除外するはずはない。


(2)  削除項目の論理的基礎の有無

しかし,用語の有無よりももっと大事なことは,d,e項目ががんらい,日本帝国主義の規定なしに掴めない性質の問題だという点である。つまり, d,eを把握するためには論理的にc日本帝国主義を掴まねばならない。そして,そのためにはa資本主義とb帝国主義を連絡する論理が要請される。ところが,『歴史総合』を含めて山川の3種の教科書で,これは不可能で

ある。なぜなら,「資本主義」の説明のある『日本史B』を含めて,a,b, cの間の論理的,歴史的な関係が全く記述されていないからだ。これらに対して,『家永日本史』は堅固な論理性を備えている。d,eの項目はないが,論理構成では,それを射程に入れていた9)。

ぼくは長らく社会学特講(福沢諭吉と夏目漱石)を担当し,福沢諭吉の日本帝国主義への関与について文献実証によって語るのを常とした。近代日本帝国主義の理論的創始者の一人は間違いなく福沢諭吉なのである(『文明論之概略』1875にその記述がある)。

 そこで一般書籍として販売されていた『もういちど読む山川日本史』 2009,『もういちど読む山川世界史』2009を検討してみた。すると,日本帝国主義の規定が抜けていることをみつけた。専門書では,福沢諭吉がアジ侵略を天皇に献本した1881年の『時事小言』の内容はたいてい無視されている。二流の学者は「脱亜論」1885は,金玉均の起こした甲申政変1884の失敗に衝撃をうけたために書かれたというふうに福沢を弁護することが多い。しかしこれは事実とは違う。「脱亜論」は,内容上『時事小言』を圧縮したものである。福沢のアジア侵略論は,清が日本大使館を襲撃する壬午軍乱1882よりも前にできあがっていた。ゆえに,壬午軍乱と甲申事変は,福沢にとって既定の侵略を進めるうえでの恰好の口実を与えたにすぎない。


(3)  70年侵略史の視点

 何が言いたいかというと,台湾出兵1874年5月-12月および江華島事件 1875年9月を起点として,日本は若い資本主義から早生的帝国主義へと転化し始め,それが日清日露戦争での勝利をステップに,本格的な帝国主義へ向かったというべきなのである。民間経済の発展のうえに国権が出てくるのではなく,反対に国権による侵略で得た金で民間経済を育てた。そうなったのは武士団の解体による失業者を戦争で解消したかったからなのだ。だから 1874年から1945年の約70年間を一体とするアジア侵略70年戦争を正確につかむためには,何よりも言葉が必要である。

 第一に資本主義とは何かである。社会科学では,諸説あるとはいえ,資本主義が発展して,独占資本主義が形成されると膨張主義が促され,資本の輸出が行われるという点ではほぼ一致した見方がある。これは,別段レーニンだけではない。ホブソン,シュムペーターなどリベラリズムにも共有されてきた。

 日本に即して論理的に並べると,資本主義→帝国主義→日本帝国主義→従軍慰安婦→強制連行という系列の基礎が欠かせない。ところが,表1を見てわかるように,「資本主義」とは何かを教科書はほとんど教えていない。一例をあげると『歴史総合』の19世紀の記述において「一部の知識人は,当時の経済体制を資本主義と呼びはじめ」(46頁)という箇所があり,これがただの一回の資本主義の用例なのである。生徒は,これを読んでおそらく, 19世紀の一過的な,しかも「一部の知識人」に限定したものの見方が「資本主義」という用語なのだと理解するだろう。『日本史B』は,資本主義を一回しか使わない点では非常に19世紀的な限定を強調する。1897年ごろ資本主義は本格的に確立したとするのであるが,他のより現代的な項目には資本主義は出てこないから,生徒は19世紀末の現象だと理解する可能性がある。この文脈で同書は注を入れて,「工場や機械・原材料などの生産手段を所有する資本家が利潤獲得を目的に賃金労働者を雇用しておこなう経済活動が主流である経済体制をいう」としている。これは間違いではないが,高校生にとって客観主義的にすぎる。ぼくは,「資本主義とは労働力が商品化した経済体制である」と定義してきた。高校教科書は,進学と就職の分かれる重要な時期である。主体的に資本主義を考えるうえで,ある意味では決定的に重要な時期でもある。進路がどうあれ,人間が自分の労働力を売る歴史的なシステムだというのがずっとピンと響くのではなかろうか。

 第二に帝国主義である。帝国主義の説明は『歴史総合』に4か所あるが,

『世界史B』に1箇所あり,『日本史B』には存在しない。『歴史総合』『世界史B』で,帝国主義とは国家を膨張させる政策を帝国主義という,という程度に説明されている。この定義は独占資本主義論を抜き取り,帝国主義を欧米に限定し,そして,歴史のある一時期におこなわれた過去のことという印象を与える。今日まで続く,独占資本主義がいかに薄氷を踏むような調整で戦争を回避しているかという国際政治上の工夫を理解できない。

『歴史総合』に「帝国主義と列強の展開」という大見出しがある。世界史のなかで日本史をつかむ目的のある科目ならば,帝国主義の中に,西洋のみならず日本を入れて考えるだろうと思われるかもしれないが,この場合の列強は欧米列強に限定されている。『世界史B』もまったく同様である。世界史の西洋的な展開の主流から日本は除外されたかのように記述される。個々の事件や挿絵では明らかに日本は列強の中にはいっているにもかかわらず,


資本主義から帝国主義への発展という太い筋が説明されていないために,帝国主義が普遍的な論理なのか,それとも欧米だけの論理なのか,非常にチグハグであり,混乱を招いている。その原因は,欧米列強だけを帝国主義としておきたいという検閲目的が史実と合致しないからである。

第三に日本帝国主義である。すでに帝国主義の説明で独占資本主義が抜けていることを知ったが,日清,日露戦争における三菱,三井物産の暗躍は周知のことであるし,歴史家もそれを知らぬはずはない。にもかかわらず,3教科書のいずれにも「日本帝国主義」という言葉がない。欧米列強の動きに刺激され,生命線を守るべく,受動的に,仕方なくアジアへ進出したかのような理解が入ってくる余地がわざわざ残されている。ぼくなら,日清戦争の勝利によって清から賠償金を受け取り,上から八幡製鐵所建設を通じて,自前の軍艦を作れるようになっていった過程を記述する。経済の独占化により帝国主義が生まれるのではあるが,日本の場合,国家が輸入武器で侵略戦争を戦い,国家賠償を使って産業革命を起こす,という国家主義的な独占形成によって日本帝国主義が作られていった。ひとにぎりの日本独占資本のために若者が兵隊にされ,日清戦争で2万人,日露戦争で8万4千人が戦死した。日清戦争で殺された清国人および朝鮮人は計6万人,日露戦争ではロシア人戦死者は4万人超であった。明治のリーダーたちの政商的特徴が出てくるのは,まさに独占資本の軍事的性格によるのだ。


 こうして見てくるならば,「従軍慰安婦」「強制連行」という用語の言語統制は,決してあれやこれやの些末な出来事ではないし,決して右翼的な政府の気まぐれによるものでもない。もっと問題は深刻である。

日本の教科書は,資本主義,帝国主義,日本帝国主義という普遍的な論理構造をもたない。つまり,教科書は,基礎概念の論理的連関を軽視するために,社会科学なき歴史記述に堕してしまうのである。この結果,歴史記述は資本主義と帝国主義の一過性,欧米的局地性,日本の無関係性というよう


体験的・高校教科書論                                          13

な,教科書全体の非論理的構成をもたらす。「従軍慰安婦」と「強制連行」の削除は,以上のような社会科学の徹底的な破壊を総仕上げするものなのである。

6.       授業における高大連携

 ぼくは桃山学院大学で長い間「社会学史」(1986~2024年)を担当した。学史の全体的構成は,(1)産業資本主義の形成,発展,(2)産業資本主義から国家介入的資本主義への転化,(3)国家介入的資本主義の時代,(4)国家介入的資本主義から多国籍企業的資本主義の形成,発展を土台の変化とし,

(1)にコントとスペンサーとマルクス,(2)にホブハウス,デュルケム,ウェーバー,(3)にフロム,パーソンズ,ハーバーマス,エスピン=アンデルセン,(4)にシュッツ,ハイエク,ルーマンをそれぞれ対応させる構想であった(まだ一部未完である)。最終回は「現代社会学の展望」と題して,ノルウェーの社会学者で後に平和学の開拓者となったガルトゥングで締めくくる。

 この構想は,おそらく世界と日本の社会学史の構想において類を見ないもので,ぼくとして社会学という学問がいかに歴史においてアグレッシブなダイナミズムの渦中にあるかを実感させるための苦心によるものであった。

 ところが,これはある意味で上等過ぎたのか,あまりにも重層的でありすぎたのか,容易に学生の理解を得られなかった。何が障害になっているか,かなり前から自分なりに結論をもっていた。自分の非を認めず,他に原因をもとめるつもりはない。だが,高校までの社会科と歴史科目がぼくの立場からすればうまくできていないというのが大きいと思ってきたしいまもそう考えている。

 だから,大学に入った諸君には,資本主義,帝国主義,ファシズム,社会主義,福祉国家,新自由主義といった基本用語を相当丁寧に説明することにしている。教科書が教えないのであれば,自前で大学教育は「失われた概念」を充填すれば良い。ところが,これを何年,何十年やっても糠に釘のような徒労を残すのだ。いったいそれは何故なのか。今回の考察で,新たにやったのはこの点の具体的検証である。つまるところ,義務教育,高校教育で歴史と社会の論理的把握という問題に生徒は一度もぶつかっていない。つまり,歴史と社会は所詮暗記科目であるという通念を徹底的に叩き込まれる。資本主義→帝国主義→日本帝国主義→従軍慰安婦→強制連行という5点セットがわざわざ理解できないような教科書の構成になっている。だから,生徒側ではランダムに細切れの知識を寄せ集めるしかやりようがないのだ。そうした生徒が大量に「生産」されてしまうと,中高の生徒にとって歴史と社会はちっとも面白くはない。おまけに大学によっては入試科目から「社会」と「歴史」は省かれていく。

 そこでぼくは一案をおもいついた。桃山学院のカリキュラムにおいて,なんらかの意味で歴史に関わっている担当者を全部集めて,授業遂行でどういう問題に直面しているか,一緒に考えてみようという趣旨の集いをもった。期待していたことは様々あるが,我々歴史関係の教員には確たる教育上の成果といえる土台がないということを誰か言ってくれないかなということだった。あわよくば,現代歴史教科書批判というふうな主張が出てこないだろうかとか,入試での歴史科目の重視といった意見が出ないかなとも思った。しかし,この目論見は必ずしも伝わらなかった。ぼくもうまく言えなかった。これは独断的観察であるが,大学教員の「灯台もと暗し」である。ぼく自身もあるていどそうだったが,担当科目を上手に組み立てることに懸命になると,それが前後でどうなっていくか,見えなくなる。前というのは高校までの知識であり,後というのは市民になってから同時代のことをつかむ力がどこまでつくのか,である。大学教員は,「前」からも「後」からも,かなり切り離されて,自己完結してしまう傾向がある。

 おそらく,高大連携というプログラムもこのことと無関係ではあるまい。率直に大学が教えたいことを明確にし,そこに接合するような高校教科書の問題を高大の教員が問題意識を共有し,歴史教科書問題を現場ベースでどう考えるべきかを提言するような仕組みになればよいと思う。

7.      1955 年以降の教育の変質─「教育界の逆コース」

振り返れば1955年8月,日本民主党教科書問題特別委員会は『うれうべき教科書問題』という3巻本を発行した。それまで『国のあゆみ』を共同執筆してきた著者たちのうち,長洲一二,日高六郎といった左翼,ないしリベラル左派の人々を攻撃するものであった。そこで二人は,『うれうべき教科書問題』の経過を報告し,執筆を辞退した10)。しかし家永三郎氏は執筆を続け,三省堂から首尾一貫した,単独執筆による『高等学校用   日本史』を出版した。ところが,文部省は1956年の検定でこれを不合格とした。この一連の経過を人は「教育界の逆コース」と言う。家永氏は,1965年についに国家権力そのものに挑戦した。家永裁判で問題になったのは実に多岐にわたる論点であり,日本資本主義が直面した新旧の問題,いわば日本社会の恥部をするどく問題化するものであった。だが,これらはことごとく「諸説ありまだ定説はない」式の理由で切り捨てられた。学会は多事争論であり,つねに新説をめざして動いているから,100% の定説など存在しない。その意味で教科書は真理の近似値で書くしかない。だが,定説を狭くとれば,異説があればどれもみな定説がないことになってしまう。政府の立場によってどうとでも「定説がない」という理屈はつく。もし気に入らない定説があったら,都合の良い学者に異説の本を書かせればよいのだ。

ちょうど家永裁判が終わるころ,すなわち1990年代後半から教科書問題は中国や韓国の激しい反発を招くという外交問題に発展した。だが,これは本当に「発展」だろうか。研究者の立場から言えば,政府は国内において問題を問題として捉える教科書を書かせないようにしたから,国内では言語統制が完成してしまった。だから,日本の国家主権に従属しない研究者は誰も教科書を書かない。あるいは書けない。国内沈黙の21世紀的言語統制に風

穴を開けうるのは,さしあたり外国主権だけになったのである。だから,外交問題への「発展」は国内の言語衰退の代償であるというべきだろう。

8.       日本的自我の言語構造

歴史的考察をおこなえば,東アジアの緊張の高まりの裏側には,各国の歴史教科書の間の不均等の問題がある。世界は客観的にますます一体化していくにもかかわらず,日本のアジア植民地は,敗戦後にはアメリカの世界支配の中に組み込まれ,北朝鮮と東アジア,台中問題,日韓関係に暗い影を落とし,その分だけ各国の政権が影響を持つ教科書作成の様々なバイアスが,東アジアの人々の連帯を妨げている。実際,日本の歴史教科書の構成は,ぼくの担当科目に悪い意味でダイレクトに響いた。学生は「先生の講義は難しいです」とか「専門用語がわかりにくいです」などという。だが,それはぼくの講義の難易度と関係するとは必ずしも言えない。一般に日本人の言語構造は,以下の図のようになっている。


図1  日本的自我の言語的構造

  漢字➡ひらがな➡カタカナ➡外来語

(capitalismなど)


およそ,日本語は古代から大陸,なかでも中国の影響をうけて形成された。古代人は漢字を借りて表記したのであるが,それは官僚や学者のみであって,表記の大衆化過程で,もともと存在した話し言葉である

「やまと言葉」をどう表記するかが問題化した。そこで,しゃべり言葉と言語表現を融合させて「漢字かな混じり文」をこしらえたのである。これによって,日本人の自我が漢字

─ひらがな─カタカナ─外来語の四層でできあがった。以来,私たちは,音でしゃべるのであるが,記憶に定着させるうえで,いったん漢字にもどしてその訓を了解して初めて音を知るようになっている。

 明治以降の近代化過程で,capitalism,imperialism,Japanese imperialismなどは一種の国際用語としてはいってきた。これらを使えなければ,世界で流通する意味世界を把握することはできない。そこで,capitalismを資本主義,imperialismを帝国主義,Japanese  imperialismを日本帝国主義と訳して下三層で対応できるような工夫を営々となしとげてきたのである。少なくとも学問世界では,これらの用語は世界の社会科学と通底しているから消えはしない。この活字ピラミッドの最頂部には外来原語がある。資本主義と帝国主義は,堺利彦や幸徳秋水の努力によって1901年以降に日本語化した。

 教科書検定が思想統制として強化された後も,家永裁判は継続していたが,韓国で金学順(1924-1997)さんがカミングアウトした1991年から, 1993年に河野談話が発表され,これを受けて文部省は1996年6月27日にすべての教科書で「従軍慰安婦」の記述が合格したと公表した。これにたいして,1997年「新しい教科書をつくる会」が結成された。会は従軍慰安婦,南京大虐殺,などを教科書に掲載することは「自虐史観」であると猛攻撃をはじめ,これを利用する政治家が出現した。

表1からわかるように,言語的構造の土台において「資本主義」「帝国主義」「日本帝国主義」はほとんど若い世代の頭から消し去られているし,その相互連絡もない。このために,意味世界は消えてしまうし,外来語

(capitalism,imperialismなど)との関係もない。それだけ言語的構造がやせ細っている。大学の授業はこの痩せた土地の上にある。その意味で「むずかしい」という感想は当然である。僕がどれだけ言葉の説明を丁寧に行ったとしても,耳慣れない,初めて聞く,などという事前の状況は不動である。もし家永日本史の水準を各社版が保持しえていたならば,聞き覚えのある言葉は増える。そこへ大学の授業がフィットすれば,かえってぼくの講義は

「わかりやすい」と言われたかもしれない。



おわりに

 全州のシンポジウムとフィールドワークを終わった後,日本チームの総括会議が持たれた。国際シンポジウムや懇親会で韓国や中国の研究者と交流することは,いつも楽しい。彼らは,常に私たち日本の研究者を歓待し,連帯を深めてくれる。けれども,チームの総括会議でぼくは「本当は,ぼくは彼らに叱られたいのです」と発言した。客観的に見て,日本の高等教育は東アジアの連帯に十分寄与していない。「強制連行」,「従軍慰安婦」,「日本帝国主義」などのキーワードを削って日々の教育が展開されることを事実上傍観しているのではないか。さらに言えば,日本の社会科学者は,全体として日本人の自我の言語構造をボキャ貧のままに放置することに事実上加担しているのではないか。いったい言語構造をどう変革するのか,という責任を抜きにして,「韓日中交流」など実際ありうるのだろうか。

「君たち日本の研究者は,日本の世論の基礎をなす言語構造の変革にどの程度寄与しているのか。」そのことに対する日々の努力を抜きにして「東アジア共同体」の論文を書いたところで,いったいそれがなんであろうか。どんなに遠くに行っても,また,どんなに高級な会議に参加しても,あらゆる事柄は繋がっているのだから,結局はこの教室が正真正銘の言語の生成現場だという事実へ帰ってくる。

 たとえ教科書が悪くても現場の先生方の創意で内容をよくすることは可能であるとは,言いがたい。皇国史観で書かれた戦前の教科書がいかに巨大な影響を国民に与えたかは改めて言うまでもない。その反省に立てばこそ,家永裁判もあったのだ。今は,歴史修正主義によって,再び愛国が強調される。戦争ができる国家づくりも進んでいる。

 大学教育は,単独で成り立つものではない。高校までの教育との連携で成り立つ。政権は,教科書執筆者と出版社を含めて,すなわち「不自由な市民社会」の協力によって,教育をおおかた管理できたと考えているであろう。


 「日の丸・君が代」斉唱時の起立を拒む教員を目の敵とする教育委員会の監視は凄まじいものがある。「みんなちがってみんないい」(金子みゞず,小学校3年の国語教科書に掲載)と教えている教育界が行う自己矛盾は奈落よりも深い。戦後80年を目前にして教育界のみならず,マスコミ界の言語統制も民放連の放送基準を見ればわかるように驚くべきアナクロニズムである11)。

 全ての人々は日常会話の中で言葉を使う。高度に発展した文明社会において,金力と権力はシステムとなって日常言語に介入する。日常言語に備わる

「虫の目」は,システムが管理する「鳥の目」によって浸透され,管理され,視界を狭められる。だが,一寸の虫にも五分の魂ということがある。虫は虫なりに,「鳥の目」を先取りし,地べたで生き抜かねばならない。「教え子を再び戦場に送るな」とは,「鳥の目」を見破るだけの地力を虫に提供することなのだ。思想統制がいまや言語統制になった時代である。とすれば,ぼくたちは一人一人「谷川俊太郎」にならねばならないだろう12)。



1)      2024年 又石大・立命館大・ 浙江大,韓日中交流シンポジウム 百済の光芒:韓日交流の軌跡。

◦目的

ワンジュ                                                                           ジョンジュ

又石大学校は全羅北道特別自治道完州郡に位置する。それに隣接した全 州市と

イクサン

益山市は古代百済の版図に属し,長い歴史を持つ地域である。自然地理的に見る

マンギョンガン

と,内陸の奥深くから萬頃江が発し西海に流れ,1900年代前半まで水運の便が

あった。また陸路交通の要で,全羅道各地への分岐点であり,漢陽(およびソウル)への通過点であった。それで完州郡と益山市一帯には古代から現代まで人跡

キムジェ

と人文が多数存在している。日本植民地時代に豊かな金堤・萬頃平野の穀倉地帯

には多くの日本人が定着した。かつて日中韓にわたって輝いた百済文化の光芒は今日にまで光を放っている。

 又石大学校は2018年4月に徐勝碩座教授が赴任し,10月に東アジア平和研究所を開設した。東アジア平和研究所はこの7年間,国内外の学術シンポジウムとフィールドワークなどを開催し,研究会を運営し,出版とプロジェクトなどを行ってきた。その間の成果を整理し,新しい跳躍を模索するため,日本の立命館大学と中国の浙江大学をはじめ,様々な研究所,京都自由大学,そして市民社会団体等の関係者を網羅して国際シンポジウムを開催する。またこのシンポジウムは来春の京都でのシンポジウムと一体の行事となっている。また今回の国際シンポは東アジアにおける歴史と文化,人の移動と相互作用に焦点を当て,全州市,完州郡,益山市一帯の古代から現代までの韓中日交流史のフィールドワークを行う。

 本シンポは,その間,当研究所にご支援をいただいた多くの方々が集う機会とし,東アジアの平和と知的な連携の転機を迎えることを期する。

◦周辺環境

又石大学校は萬頃江に最も近い大学であり,2024年4月,大学本部23階屋上にオープンした複合文化空間から東西南北に広く開けた萬頃江流域の萬頃平野,

モ ア ク            ミ ル ク 

全州の母岳山と弥勒山をはじめ連なる山々と全州市,セマングム一帯までを眺望

する。

サ ム ネ                                         ハニャン

又石大学校のある参禮一帯は1884年,漢陽に北上する東学軍の集合地として

ヨクチャム

知られる参礼 駅站 (宿場)をはじめ,1890-1940年代の植民地時代を中心とし

ハ ノ ク 

た遺跡が多く存在し,韓屋村と韓国の伝統文化が多く保存されている全州市が近

くにあり,多様な歴史遺産が分布している。2020年1月10日に開館した国立益

クンサン

山博物館は百済遺物を中心とした弥勒寺址をはじめ益山・群山地域の出土品を展

示している。

◦概要

-テーマ:百済の光芒-韓日交流の軌跡(仮案)

-主 催:又石大学校東アジア平和研究所,同孔子アカデミー(シルクロード映像研究所),立命館大学コリア研究センター,京都自由大学,中国浙江大学

-日 程:2024年10月12日,13日

-場 所:全羅北道全州市,又石大学校,益山市一帯

◦プログラム

日程:2024年10月12,13日

※シンポジウム

第1日目(10月12日)開会式(2階,会議室)



チョンホギ 

司会:鄭鎬基(又石大東アジア平和研究所)

○13:30 歓迎辞              徐勝(東アジア平和研究所長)

パクノジュン

○13:35 祝辞                 朴魯俊(又石大学校総長)

チャンヨンダル

○13:40 祝辞                 張永達 (又石大学校名誉総長)

○13:45 祝辞                 劉進寶(浙江大学校総長)

○13:50 開会の辞            勝村誠(立命館大学コリア研究センター長)

○13:55-14:15    文化公演(パンソリ,中国琴)

 

第1部 完州・益山一帯の韓中日交流の軌跡(14:30-16:00)

司会:鄭鎬基(又石大東アジア平和研究所)

チョボプジョン

①完州・益山一帯の古代文化と韓日交流  趙法鍾 (又石大学校)

イビョンギュ

②全羅北道完州一帯の東学農民革命 李炳圭(東学革命記念財団研究調査部長)

③大場村細川家農場の経営と変化     轟博志(立命館大学 APU)

ソンヨノク 

④日韓女性の連帯活動と課題          宋連玉(青山学院大学名誉教授)

 

第5部 総合討論(16:10-17:30) 司会:宋基燦(立命館大学)

 

*フィールドワーク

<第1日目-10月12日(土)>

○09:00-12:00 党学記念館など,全州市一円フィールドワーク

○12:00-13:00 食事(全州市内で各自)

○13:30-17:30 開会式・シンポジウム

*会場:又石ビル2階会議室(全北日報社/又石大学校孔子アカデミー)

○18:00     レセプション(又石ビル15階)

*映画ホテル泊

 

<第2日目-10月13日(日)>

○09:30     ホテル出発(チェックアウト)

○10:30     又石大学一帯フィールドワーク(23階展望台,参禮文化芸術村,批批亭一帯)

○12:00     昼食(批批亭焼き肉)

○13:00     出発


22                 桃山学院大学社会学論集 第58巻第2号

チュンポ

○13:30-14:30 益山市春浦面 日本植民地農場遺跡(春浦駅,旧地主屋など)

○15:00-16:30 百済,王宮里遺跡,国立益山博物館

○17:00-18:00  全北大学特性化キャンパス(旧裡里農林学校-1922年開校)

○18:30     お別れ会(益山,「木香」韓定食)全羅北道 益山市 益山大路62

2)        徐勝『獄中19年』岩波新書,1994年。なお,徐勝氏は東京教育大学で家永三郎ゼミのメンバーであった。この師ありて,この弟子ありである。

3)        徐勝先生退職記念事業実行員会(日本・韓国)編『東アジアのウフカジ(大風)』かもがわ出版,2011年。なお拙稿「徐勝さんの情熱についていけるだろうか」を掲載している。

4)        代表的な業績として中塚明,井上勝生,朴孟洙『東学農民戦争と日本:もう一つの日清戦争』高文研,2013年。私はあるとき中塚明(1929-2023)氏から,山辺健太郎(1905-1977)以来の日本の朝鮮研究史の起源にある問題意識についてじきじきに教わった。山辺によれば,そもそも日本資本主義ないし日本帝国主義を朝鮮支配から切り離して論じることはできない。山辺の日本資本主義研究史への批判を中塚は満身をもって受け継いだという。日本資本主義発達史講座1932-3には秋笹正之輔「植民地政策史」と鈴木小兵衛「最近の植民地政策・民族運動」が含まれている。前者はわずかながら「東学農民戦争」に言及している。後者は日本政府の土地調査局(明治43年設置)および朝鮮鉄道協会調査にもとづいて,がんらい朝鮮人所有であった公私の土地を東洋拓殖会社の調査にもとづいて官没または国有化し,ほとんど無償で収奪したこと,また賃金は日本人を100として朝鮮人を3分の2,支那人を2分の1に処遇するものだったことを論じている

(25-39頁)。しかし,これらはいずれも朝鮮総督府など日本の官報による研究であって,朝鮮人による出版物にまで踏み込んだものではなかった。朝鮮語を使える進歩的研究者が少なかったようである。『日本資本主義発達史講座』は,日本のブルジョア革命の不徹底を西洋との対比で明らかにしたのだが,まさにこのことがどういうふうに日本のアジア支配に反映したのかは,必ずしも十分とは言えない。独占資本主義から帝国主義へという定式を日本のアジア支配に当てはめる場合,たんなる国際外交史としてではなく,日本帝国主義の内在的資本蓄積過程に位置づけなおすことが山辺の関心だったのではあるまいか。1874年,1910年から1945年まで大日本帝国の内部に繰り込まれた台湾と朝鮮が,それぞれ日本の敗戦後解放され,一見すると正常な国際関係へ復帰するけれども,それはアメ


体験的・高校教科書論                                       23

リカが旧日本の植民地を取り込み,もっと大規模なスケールで再編することを意味した。すなわちアメリカ─日本─台湾─韓国という世界システム論的な中心─半周辺─周辺の垂直的秩序として再編するのがアメリカの世界戦略であった。だからこそ,アメリカと日本の戦後国際関係は,日本と満州の関係に比定される

(矢内原忠雄)のごとく,大国と傀儡国家の関係となる。おそらくこのように認識することによって,山辺や中塚の問題意識を受け継ぎ,日本の文部省及び外務省の脳裏にある国際関係論を乗り越える理路が見えてくるのではなかろうか。

5)        京都自由大学は2005年3月より京都で始まった大学人,活動家,市民の協働を可視化する研究・教育運動である。筆者は幸運にもこの過程にめぐりあえた。

『京都自由大学叢書1 京都自由大学のひとびと』京都社会文化センター出版局, 2012年,『京都社会文化センター活動史 1999-2023年 その思想と論理』汎工房,2024年を参照。

6)        朝日新聞,2021年10月31日付記事を参照。

7)        筒井康隆『残像に口紅を』中央公論新社,1989年。

8)        歴代の教育政策のゆくえを左右する文部科学大臣は,以下のような人々である。歴代文部科学大臣(2018年~2024年10月現在)

(1)  柴山昌彦(2018-2019)安倍内閣 憲法改正,教育勅語に賛成,夫婦別姓に慎重,同性婚に反対,裏金議員,神道政治連盟,旧統一教会集会に二度参加,みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会。

(2)  荻生田光一(2019-2021)安倍派,憲法改正,9条反対,河野談話見直し,夫婦別姓に反対,同性婚に反対,原発賛成,道徳教育賛成,裏金議員,神道政治連盟,旧統一教会と関係,靖国神社に参拝,日本の前途と歴史教育を考える議員の会(慰安婦,南京事件を否定)

(3)  末松信介(2021-2022)安倍内閣,岸田内閣で文部科学大臣。憲法改正,敵基地攻撃能力に賛成,辺野古賛成,防衛費増強に賛成,徴用工,慰安婦反対,夫婦別姓に反対,同性婚反対,原発賛成,裏金議員,神道政治連盟。

(4)  永岡桂子(2022-2023)岸田内閣,憲法改正,9条改正,緊急事態条項に賛成,安保関連法に賛成,敵基地攻撃能力に賛成,辺野古に賛成,夫婦別姓に反対,同性婚に反対,神道政治連盟。

(5)  盛山正仁(2023-2024)岸田内閣,憲法改正,9条改正,敵基地攻撃能力に賛成,辺野古に賛成,緊急事態条項に賛成,同性婚は自治体にまかせる。旧統一教会総会に出席,2024年の衆議院選挙で落選。


24                 桃山学院大学社会学論集 第58巻第2号

(6)  あべ俊子(2024-)石破内閣,憲法改正,集団的自衛権賛成,辺野古賛成,軍拡に賛成,地位協定の見直し不要,原発賛成,神道政治連盟,靖国に参拝する会,雇用規制緩和に賛成,国立大学の学費値上げに賛成,企業・団体献金に賛成

 

以上,令和(2018年~   )に入ってから6人の文部科学大臣が教育政策に大きな影響を与えた。これら6人は教科書検定委員を任命するので,どういう傾向の教科書をつくるかに関与している。

9)        家永三郎『検定不合格日本史』三一書房,1974年(三省堂1956年版の再販)には以下のような丁寧な記述がある。第一に,世界の列強の一般理論として「資本主義経済の発達がその極に達し,生産の集中が進み,金融資本の独占段階にはいった欧米列強は,単に原料資源と商品の市場としてばかりでなく,資本を投下すべき地域を占拠しようとして,アジア・アフリカ・オセアニア等の後進地帯の獲得を競い始めた。」(208頁),第二に,この一般性に促されて日本では,いかなる事態が生じるかを論じる。「日本の資本主義は,最初から自由競争の上に築かれたものとは言えなかったが,それでも19世紀末頃までは,国力の上昇とともに,新しい企業活動の希望をいだかせるだけのゆとりのある空気が流れていた。しかし資本主義が確立する頃には,早くも資本家の協定による企業統制(カルテル)が始まった。」(221頁)。この後,資本合同(トラスト),コンツェルンの説明と1890年の資本主義的恐慌にまで説明が及ぶ。これによって資本主義→独占資本主義→帝国主義が順次説明されるわけである。日本帝国主義という直接の用語はないものの,「列強のこのような帝国主義の政策は,目ざめた日本に弱肉強食の世界であるという印象を強く与えないではいなかった。自由民権論者は国内において民主主義改革を主張すると同時に,国際的には国家の独立を強調する国権論を叫ぶのを忘れなかった。」(208頁)と記述し,民権論が国権論によって阻まれる可能性を示唆する。

10)          宮下祥子「社会科教育と戦後知識人─日高六郎の「社会科学科」をめぐる実践を中心にして─」京都民ね科歴史部会『新しい歴史学のために』296号,2020年12月。宮下祥子「日高六郎の学校教育をめぐる思想と運動」(北河賢三・黒川みどり編『戦中・戦後の経験と戦後思想  1930-1960年代』現代史料出版,2020年を参照。

11)          拙稿「おじさんの歌」『坊っちゃんの世界史像』本の泉社,2024年。日本民放連の放送基準によれば「国および国の機関の権威を傷つけるような取り扱いはしな


体験的・高校教科書論                                       25

い」としている。日本の市民社会は,戦時中のような「上からの」,国家による思想統制を許さないが,その代わり,自ら進んで憲法上の権利を諦念しており,

「自由な市民社会」になろうとする気概と展望を捨てている。

12)詩人谷川俊太郎(1930-2024)はある絵本で,「敵のあかちゃん」「味方のあかちゃん」に全く同一のかわいい挿絵をつけて見開きで対照化した。これは,彼の平和主義の表現として非常に成功した例で,ある意味で衝撃的である。このセンスなしには,現在の状況を洞察することはなかなか容易でない。


On the High-school Textbook of History

TAKEUCHI Masumi



For a long time, I have been in charge of teaching ‘History of Sociology’ and ‘Special Lectures on Sociology(Fukuzawa Yukichi and Natsume Souseki)’ at Momoyama Gakuin University. The former requires knowledge of Western history, while the latter requires of Japanese history. However, many of the students who took these classes commented that the terms was difficult and that they had never heard of the technical terminology before. However, there are subjects on ‘World history’, ‘Japanese history’ and ‘general history’ in the high school curriculum. Despite this, I have long wondered why my subjects are so difficult for students.

When I examined the history textbooks used in high schools, I found that the 1956 edition of ‘Japanese history’ by Ienaga Saburou included logical explanations of ‘capitalism’, ‘imperialism’ and ‘Japanese imperialism’, whereas the three history textbooks published by Yamakawa Shuppansha all omitted these explanations.

In addition, because of the 2007 parliamentary response by Prime Minister Abe and the cabinet decision under the Suga Cabinet in 2021 to ban the use of the terms ‘military comfort women’ and ‘forced relocation’, the 6.4 million junior high and high school students today not only do not know these terms, but also do not know the basic concepts behind them.

As high school textbooks provide the basis for university education, they must be sufficiently logical. However, as textbook censorship is in effect a form of ideological control, it not only deprives authors of their freedom of thought and publishers of their freedom of expression, but also renders the language structure of the Japanese people meaningless and illogical.

                                          27

China and South Korea in East Asia have consistently criticised Japanese imperialism. The key words are ‘military comfort women’ and ‘forced labour’. However, Japanese textbooks not only fail to provide these key words, but also fail to provide the possibility of language.

I was born in 1954, so I was two years old when Ienaga’s history textbook were rejected. And during my own middle and high school years, I was taught a very lisping and inadequate view of history in my textbooks. From the 1960s to the present day, liberal intellectuals have been excluded from writing textbooks, and logic has disappeared from the textbook of history.

This had a very negative impact on me when I became a university lecturer and started teaching my subjects. There is a need for close cooperation between high school and university education. However, even when I carefully teach basic concepts such as ‘capitalism’, ‘imperialism’ and ‘Japanese imperialism’ in my subjects, most of the students either hear these terms for the first time or think they are difficult terms they have never heard of before.

In this way, the language structure of the Japanese people’s self-identity will become emptied. In the next 10 or 20 years, Japanese will be created that has stripped away the basic concepts from the three-tiered language structure that is made up of kanji, hiragana and katakana. Textbook censorship is not only a violation of freedom of expression and academic freedom, but also a language control that will ultimately make the Japanese people’s imagination impossible.

 
 
 

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