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月刊『一望荒野』 ほぼ毎月25日発行

更新日:1 日前

<刊行の言葉>

 社会と自分の交差点は、私たちが生きるうえで、一切の外界と遭遇する唯一の領域です。交差点というのは、いわばシーソーの支点のようなもので、そこで社会と自分はちょうど釣り合う。社会だけが変わって自分が変わらないということはありえないし、また自分だけが変わって社会が変わらないこともありえない。わたしたちはつねに一緒に変わってしまうのです。そうであるから、むしろ、何が変わっているのか、よくわからないのです。ちょうどそれはあのシーンに似ている。すなわち平行に別々の電車が走っており、向こうは社会という電車でこっちは自分という電車です。向こうが速ければ、こちらは止まっているか、後戻りしているように見える。しかし、アクセルとブレーキの塩梅でしかない。二つの電車の関係をよりよく知るためには、こちらからあちらを見たり、あちらからこちらを見たりするだけではなく、電車から降りてみなくてはならない。それで不足ならば、中空に自分を置いてみなくてはならない。新しい月刊誌は、唯一の領域を視座の転換をつうじて捉え、実験と抽象の成果を提供することを目指しています。別に新奇なことではない。私たちは生きているうちに気づかずにそうしたことをすでにたくさんやっています。ただ、もうすこし自覚的にやってみよう、というだけのことです。

<実験者の面白み>

 大切なことは、散歩的精神です。マンネリになったら、路地を替えたり、斜めに歩いたり、逆に歩いたり、かなりおもいつきや実験を試みます。これが決して無駄ではない。だんだん地図ができあがる。犬に吠えられて逃げたとしても、あとでその地点がわかれば実に楽しい。こども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うなゆく道じゃ。真理は、すなわち、年寄りすらこどもとしてしか生きられぬ、という一点にある。人間というものは、けっきょく予測不能な未来を毎日迎えるほかはない。生きてみる前にその日がどういう日になるかを知る人はいない。ご同輩、「成熟」などとげてはなりません。


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 ちなみに本誌のタイトルは、幸徳秋水『兆民先生』(岩波文庫、1960)緒言から得ています。「想起す 去年我兆民先生の遺骸を城北落合の村に送りて荼毘に附するや、ときまさに初冬、一望荒野(いちぼうこうや)、風つよく草枯れ、満目惨凄(まんもくさんせい)として万感胸にたたえ、去らんと欲して去らず、悄然車にまかせて還る。」(6頁)

 兆民先生は1901年12月13日に満54歳で死去、このとき秋水は30歳であった。それからわずか10年足らず、思いもよらないことであっただろうが、秋水は無実であったにもかかわらず、国家のでっちあげで処刑される。満39歳であった。


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2026年7月25日 月刊『一望荒野』通巻第11号

シスモンディと個体的所有

 1969年から、我が国では個体的所有論争がながながと続けられている。この所有の対象が、生活手段なのか、それとも生産手段なのか、という問題である。だが、論争というものは結局のところ不勉強から発生する。そして、勉強すれば決着する。従来までの論争は原点を忘れていた。このために「個体的所有」という概念が、誰のいかなる問題設定にたいする回答であったかを辿ってこなかった。

 『資本論草稿』のマルクスは、1861年から63年の間に実にたくさんの本を読み、学説史として系統づけ、そこに経済学者たちの歴史観を読み取り、使えるものを自分の歴史観に組み込んだ。むろん、膨大な文献のなかで一冊だけが決定的であるとは言えないが、マルクスが「資本主義的蓄積の歴史的傾向」の起点を、共同体的所有ではなく、小経営的所有に置いたのは、いったいなぜなのか、ということを論争者たちは考えてこなかった。直接的にはシスモンディ(1773ー1842)の『新政治経済学原理』1819年にマルクスが痛く感じたものが関係している。これをマルクスがいつ読んだか、私は確定することはできないが、すでにパリ滞在の時代(1844年頃)に読んだようだ。再読したのは1860年代初めである。

 シスモンディの経済学は、マルクスとは異なって、徹底して小経営者の観点で書かれている。この観点からすると、現文明の問題は、労働と所有の分離である。昔は、J・ロックが想定したような自己労働にもとづく私的所有が支配的であった。小経営では働く人と所有する人は同一人物である。ところが、文明の発達につれて、労働は労働者、所有は資本家というかたちで別々の人物に分かれてしまう。ロックはまだ小所有がどうなるかについてあまり詳しく論じなかったがシスモンディの時代になると、小所有の没落が問題にされた。それだけロックよりも進んだ時代に小経営者の視座perspectiveを維持したらどう物事が見えるかを明確にしたのである。

 簡単にいうとシスモンディは「昔は良かった」と言った。これは大工業の資本家からみれば愚かしい時代遅れの見方である。ところが、シスモンディは小経営者に固執したから、文明の「進歩(機械化、競争、資本の集中など)」にことごとく反対し、「あの日に帰りたい」と主張したのである。これは、ただのノスタルジックな感傷なら許してくれるかもしれないが、経済学者が本気で言い出せば、本当の意味での保守反動である。

 シスモンディは理想が壊れた状態を「労働と所有の分離」とみなした。マルクスは、むろん立場が違うけれども、資本主義的私的所有が「労働と所有の分離」を強行する事態をシスモンディがプチブルなりに実に的確につかんでいると評価したのである。

 1861-63年の時点でマルクスは、シスモンディが起点においた小経営(「労働と所有の同一」)を個別的所有Einzeleigenthumと規定していた。私は、これまでEinzelneとIndividuumをマルクスが一貫して鋭く区別したことを論じてきた。ゆえに、個別的所有という概念に惹きつけられた。einzelとは孤立し、ばらばらに散在したという形容詞だ。全体から引き剝がされて、絆を失ったという意味である。社会科学的には、旧共同体の解体後出てきた私的所有の孤立性と排他性を含意する。

 だからマルクスのこの時点の個別的所有という概念には、シスモンディの理想をまったく受け付けない、マルクスの反プチブルジョア的態度が染み込んでいる。おそらく、マルクスにとってブルジョア的というのは攻撃用語であったし、同じくプチブル的というのも同等かそれ以上に軽蔑を込めた用語だったのだろう。

 しかし、こういうネガティブな規定では、なぜシスモンディが小経営者を理想と仰いだかが理解できない。小経営者の立場は保守反動だというのは、資本家と労働者を進歩的とみなす立場からはそうであろう。しかしながら、大資本から見て、小経営を駆逐すべきものとみなす視座は不可避だが、労働者もまたこれと同一の視座に立つのだろうか。あるいは立つべきなのだろうか。生い立ちからして資本は小経営を駆逐する側である。しかし労働者の生い立ちは、小経営を駆逐する側ではない。かえって駆逐された小経営の末裔が労働者なのではあるまいか。たしかにシスモンディはプチブル的であり、保守反動だが、彼の抱いた理想そのものは、プチブルのみの理想とは言い切れない。なぜなら、労働者が駆逐されたプチブルの末裔であるならば、プチブルの理想は労働者の遠い理想でもあったからだ。

 上の記述はマルクスの脳裏にあるかもしれぬ理路についての私の推論でしかない。しかし、それはともあれ、この時点のマルクスは個別的所有にはネガティブな形容だけしか意味させることしかできていないのだが、生産手段の共同占有と労働の社会化を経た後の(生産手段の)社会的所有についてはとっくに確定していた。しかし、社会的所有とは何か?資本主義特有の排他的私的所有をひっくりかえしたときに、みんなで公有、みんなで共同所有するというだけでは、何か大切なものがまだ抜けている、とマルクスは考えたのではないだろうか。

 共同、非排他的、みんな・・・。「個体の真の自由は共同性である」とはヘーゲルが言ったことである。しかしヘーゲルの場合、共同性がいつのまにか国家に横滑りしてしまったという痛恨の念がマルクスにはあった。共同の内部における個体の自由の保障、これこそが個性と言うべきものではないか。そこまで詰めたときに、ススモンディの個別的所有という概念をもっと綿密に再規定する必要をマルクスは考えたように思われる。そう考えないと概念が変更されて行く道筋が読み取りようがないからだ。

 プチブルのシスモンディが「労働と所有の分離」と告発した事態の反対物は、マルクスにとって社会的所有にほかならない。だが、それだけではない。この社会的所有はもっと深い意味を持つ。なぜならば、シスモンディには、後ろ向きの史観で歪められているけれども、同一人物における労働と所有の統一という願望がある。それは、「あの日に帰りたい」という文脈に置く限り、滑稽な退廃である。しかし、この願望を保守反動と切り離して、徹底的に資本主義を進めることの帰結として位置づけなおすことは、むしろ進歩的な仕事ではないのか。おそらく、そういう道順でマルクスは社会的所有における「労働と所有の統一」を考えて行ったように思われる。

 すると、『資本論草稿』におけるプチブル的所有の規定「個別的所有」は、そのポジティブな意味を十分掴みえていないものであるということになる。なぜなら、個別的、einzelとは共同体からむしり取られた、排他性だけしか表現していないからだ。それならば、個別的所有と資本主義的所有の違いがわかなくなっている。プチブル所有には存在するが、資本主義的所有には欠けているものとは一体何かを、もっと厳密に、もっとするどく言い表さないと、シスモンディの「良さ」が見えなくなる。シスモンディが守りたかったものを資本的所有が壊したのであるから、社会的所有はその守りたかったものを壊したままに放置するのか、どうか。その意味で、<プチブル的所有/資本主義的所有・社会的所有>と考えるのか、それとも<プチブル的所有・社会的所有/資本主義的所有>と考えるのか。ここが肝心要の分岐である。

 言うまでもなく、マルクスは、後者の方向でものごとを考えて行ったのである。その証拠は、『資本論草稿』の「個別的所有」は『資本論』で「個体的私的所有」というふうに更新されていることをわれわれは文献的に実証できるからである。

 したがって、私の上の推測は、それ以外のより合理的な推測が出てこない限り、いまのところ相当に合理的な推測である。

 「個体的私的所有」というカテゴリーには、粒を持つ働く一人の人間が「所有」の主体であるというポジと旧共同体から引き剥がされ、人間の絆を失い、排他的であるというネガとの両義性が見事に込められている。

 すると、『資本論』ではようやく、労働と所有の一体性(個体的私的所有)→労働と所有の分離(資本主義的私的所有)→個体的所有の再建(社会的所有の実現)というテーゼが完成することになる。むろん、個体的所有の再建は、何を再建するのかと言えば「所有の主体である」という一人間のポジを、社会的所有の次元で実現するという意味だ。所有主体として、トータルプランの意思決定に参画するという意味になってくるであろう。

 「資本論草稿」では「資本主義的な所有とは、ただ、生産諸条件にたいする(したがって生産物にたいする、というのは生産物はたえず生産諸条件に変わっていくのだから)労働者たちのこのような社会的所有ーーすなわち否定された個別的所有ーーの対立的表現でしかないのである」(草稿第9巻、2144ページ)とされている。この言い回しが面白いのは、資本主義的所有は労働者たちの社会的所有の対立物であるが、社会的所有のほうはそれはそれで個別的所有の否定だという点が示されているところである。

 1861-63年のこの書き方ではまだ「否定の否定」という1867年『資本論』の記述になってない。この、過渡期の窮屈な記述で、順序としては個別的所有→資本主義的所有→社会的所有という順序はできあがっている。しかし、社会的所有は個別的所有のたんなる否定である。いわば<個別的所有・資本主義的所有/社会的所有>である。排他性に対する社会的共同性の単純な対置にとどまる。排他性を単純に否定するだけであって、うけつぐものがなんであるか不明である。プチブル的所有であろうと資本主義的所有であろうと、私有は皆悪なのである。こうなれば、シスモンディはシーニアとなにも変わらないことになるであろう。

 しかし、マルクスはそういうふうにシスモンディを位置づけることをしない。ただたんにシスモンディに高い位置を与えるということにとどまらない。個体的私的所有のパーツをなす「個体的」でマルクスが理解しているのは、資本主義的私的所有以前には、労働力の商品化が不在だということである。労働力の商品化とは、「労働力の処分権」をつうじて自己の労働力を資本家に売り、それを買った資本家に「労働の処分権」を譲渡したこと、すなわち流通過程と生産過程の連続性が、いずれにおいても、働く主体を売買の強制とこき使われる不自由へ投げ込んだという点である。

 個体的所有が生活手段の私有のことだと考える論者には、だいたいにおいて、労働力の商品化についての深い考察がない。シスモンディの理想、労働と所有の統一を、まさにマルクス的に考えてみると、労働力の売買が強制されず(労働市場からの自由)、労働処分権を他者(資本家)に握られることからの自由(労働処分権の奪還)が含意されていることがわかるはずだ。それが個体的所有の含意である。この含意を狭めて適正な生活手段の消費に矮小化すべきどんな理由があるというのであろうか。

 だから、マルクスがおそらくは数年かけて「個別的所有」の範疇を「個体的私的所有」に書き換えた推敲努力は、いわゆる否定の否定の弁証法にとって、決定的であった。社会的所有とは個体的所有の再建であるというテーゼは、社会主義の指標として、マルクスの粉骨砕身の結晶である。

 このことを考察してみてあらためてわかるのは、個体的所有概念はマルクスのシスモンディにたいする評価から来ていること、そして、かれの保守反動史観を退けたうえでならば、生産手段をめぐる所有と労働の分離という資本主義的私的所有のもたらす事態の認識を活かせるということ、最後に個体的所有とは、プチブルにおいて一モメントであった独立した個体の所有主体という側面を私的所有という排他性から切り離して、社会的所有の本質的モメントとして回復できるのだということ、これである。

 言うまでもないが、シズモンディとマルクスがどういうふに出会い、マルクスが彼の着眼を、まったく別の文脈でどのように活かしたかが、経済学批判の営みのなかで読み取られねばならない。この勉強が不足し、ただエンゲルスが生活手段を個人の所有の対象と言ったからそれを繰り返さなくてはデューリング博士に敗北してしまうなどと恐れる必要はない。別の所で論証しておいたとおり、デューリングは第一段階をマルクスがわざわざ「個体的私的所有」と規定していたのに、「個体的」という形容詞を無視して、小経営は「私的所有」であると誤読し、この私的所有をマルクスは社会的所有において再建されると書いた以上、「私的にして同時に社会的な所有」ということになるから、もうろう世界にいると非難したのである。デューリングは、言ってみれば「個別的所有Einzeleigenthum」が社会主義において再建されると読んでしまったのである。

 論争は、不勉強から発生することが多い。生活手段説はすこし勉強すれば治癒する。


2026年6月25日 月刊『一望荒野』第10号 「利潤率と軍事化」

申し訳ありませんが、次のURLをクリックしてお読みいただきたいと存じます。

2026年5月25日刊行 月刊『一望荒野』通巻6号から9号までの掲載分を一括する。

「成員・個別者・個体」というA4約50枚の論文である。後にお分かりいただけることになるであろうと期待するのは、本論文は、20世紀管理論、ウェーバーからバーナード、サイモン、ドラッカーをへてルーマンにいたる物象化された人間像をモデルとするところのブルジョア管理論が、人間をいかなる種類の階級に属していようと、どんな人も個別者にいったん還元すること、つまり「すべての牛が黒く見える夜」(『精神現象学 序文』)にしてしまうこと、そしてそうしておいたうえで「成員」と呼んで、人間を上下の如何にかかわらず「協働cooperation」するいきものと規定して、歴史的なものを超歴史的なものに塗り変えてしまうこと、こうした理論操作がどれほど人々を混乱させてきたかを暴くための準備作業である。わたしは、およそこれらの系譜と一見する所無縁のヘーゲル・マルクス理論の系譜を徹底的にカズイスティクとして再編しておけば、いくらでもブルジョア管理論と対決できる視野が開けると直観しているのである。


『一望荒野』2025年12月号 第5号 「東西近代史の同時代人」

 

『一望荒野』2025年11月号 第4号

É・デュルケムの植民地主義 その歴史意識と論理構造

キーワード:デュルケム,社会学,植民地主義,経済,社会

はじめに

  E・デュルケム(仏  1858-1917)は,フランス社会学の第二世代(第一世代はA・コント)を代表するとともに,現代社会学にたいして直接の基磯を与えた人物である1)。19世紀社会学との関係で見ると,彼はコントから実証主義を受け継ぐ一方で,スペンサーに対してはきわめて批判的であった。コントが社会学を「社会静学」と「社会動学」に分けたことは,前著(『社会学の起源』2015)で紹介したとおりである。コントは,「静学」で家族秩序に合わせて個人と産業社会の双方がどういうふうに社会的秩序にたいして貢献するかを論じ,また,フランス革命以降の知識の変動が神学,形而上学を通過して実証主義へ進むと考えた。最後の知の形態は当然産業社会を求めさせるものである。デュルケムはコント社会学のこうした静動の二部構成を 19世紀末から20世紀の新たな状況に適応させた。後で詳しく述べるよう



1)  『社会学の起源』で私は,経済人が織りなす機械的な領域とは区別される,有機体的な領域にコントが強い関心をもつことを論じた(同143頁)。デュルケムは,コントの経済/社会という構想を受け継いでいることは明らかである。


に,デュルケムは「静学」にしたがって,ある秩序の内的編成に関心をもつとともに,「動学」にしたがって,産業社会が新しい秩序への移行することを解明したといえる。産業社会の新しい秩序は,旧秩序を否定しながら出てこなくてはならない。それゆえデュルケムは,旧秩序の代弁者であったスペンサーを徹底的に攻撃したのである。

 したがってこの点から見ると,デュルケムは,ホブハウスとウェーバーとともに社会学の第二世代と言われるけれども,それはたんに年齢的に同世代だということではない。もっと内容的な意味で次の世代なのだ。すなわち,第一世代が産業社会の秩序の秘密を解明したのに対して,次の世代は自由放任的資本主義から国家介入的資本主義への「産業社会」の転換をするどく読み取り,その後の社会学に対して打ち消すことのできない新パラダイムを提供した。新パラダイムの特徴は,「社会というものの決定的な諸特徴は主観的な性質のものである」2)という点に関わる。ホブハウスのマインド,デュルケムの道徳,ウェーバーの精神は,すべてここに述べた「転換」に直面したことから出てきた。おそらくは3者の真の敵はマルクスだったのであって,かれらはマルクスを一種のタダモノ論的に理解したために,社会が物質的生産から説明されるべきではなく,社会の成員が抱く「主観的な性質」から説明されるべきだということを異様な情熱で力説した。現代社会学が,マルクス社会理論から物質的秩序という思想を取り込み,社会学の伝統から象徴的秩序という思想を取り込んで折衷しているのは,それじたいが非常に興味深い現象である。本章では,互いに他を刺激するとともに,緊張関係をなすふたつの秩序という思想の一端が,まさしくデュルケムからもらい受けたもの


2)  スチュアート・ヒューズ,生松敬三,荒川幾男訳『意識と社会 ヨーロッパ社会思想 1890-1930』みすず書房,1970年,192頁。社会がその構成員の主観的なものに負うているという着眼は,見ようによっては,古代以来のすべての社会観に見いだされる。しかし,第二世代社会学者の洞察は,いずれも産業資本主義から国家介入的資本主義への転換に促がされたものである。かれらは主観的なものをどこへ向かうやら訳の分からない要素とするのではなくて,新しい秩序の固有の次元として定着させることにおおいに貢献した。


であることを探求しよう。

 デュルケムは,比較的穏やかな学究生活を送ったが,おそらくユダヤ人であることから受ける差別や窮屈を知っていた。ユダヤ教において聖職者は世襲であるが,彼が学者をめざしたのは,こうした慣例を抜け出すことを意味する。「分業が発展するためには・・人間が世襲の桎梏から解放されねばならない」というのは,ユダヤ教の支配下にあった低級社会(環節社会)から高級社会(組織社会)への移行の中にまさに自分自身を位置づけた命題であり,決して他人事ではなかった。社会学とは,社会(秩序と変動)の中に個人を位置づけることである。デュルケム自身,社会学上古典とみなされる有名な著作をたくさん書いた。残された業績の数々は,いずれも開拓者的な業績であるが,どの著作にも一貫した考え方が貫かれていた。それは,個人が社会的であるというのは,社会が成員たる個人を排出するからだという考え方である。この考えに立つと,利己主義の極や利他主義の極は,いずれも個人が健全に社会化される様式を逸脱した病理である。デュルケムはこの意味において後にパーソンズが作った用語「制度化された個人主義」3)の社会学者であった。

 だが,断固とした文章と深遠な生の深みに達する彼の筆力は,彼の穏やかな暮らしのなかに浸透してくる「社会的なもの」への豊かなセンスを感じさせる。コントの系譜に立つ彼は実証主義的な社会学を育てた人であるとの評価が高い。けれども,彼の実証主義は,たんに物事の機能を論じるだけの,冷たくデータ的な圧力のことではない。データが人間にとってどういう意味


3)  「制度化された個人主義」という用語は,T・パーソンズがデュルケムの思想を要約したものである。パーソンズによれば「近代社会に現れつつあるパターンは制度化された個人主義 institutionalised individualism である。このパターンの初期の定義者は,有機的連帯の概念に関連してデュルケムであった。有機的連帯とは,異なる個人や集団が異なる機能を果たす分化した社会を指す。その成員は同時に,社会への忠誠と市民としての相互の絆という共通の紐帯によって統合されている。」Leon  H.  Mayhew  ed.  Talcott  Parsons  on  institution  and  social evolution,  selected writings, Univ. of Chicago Press,1982,pp.328-329.


をもつかということを彼はいつでも重視した。「われわれが人類に愛着し,また愛着しなければならぬ理由は,人類がこのようにして実現されつつある一個の社会であり,われわれがこの社会に連帯的であるからである」4)。この言葉にあるように,社会と自分をつねに不即不離にとらえる迫力は社会学者の本分であるから当たり前であるけれども,その透徹程度は他の追随を許さないほどである。本章は,デュルケム社会学を第二世代のフランス的特徴を最もするどく体現した人として,できるだけ構造的に考察することを課題とする。


1.         個人史

  1858年4月14日デュルケムはフランス北東部の都市エピナルのユダヤ人のラビ(律法学者)の家の父母(モーゼとメラニー)の5人兄弟の末っ子として生まれた5)。この地は伝統的にカトリックが多く,プロテスタントやユダヤ教徒はあとから流入した。とりわけユダヤ人はゲットーに集まって暮らしたが,虐待と攻撃をうけた。若いデュルケムも肩身の狭い思いで世間をみつめていた。1870年に普仏戦争がおこり,エピナルにプロシア軍が入ってきた。同年第二帝政が崩壊した直後民衆は第三共和制を宣言した。フランス敗北後のフランクフルト講和条約は領土割譲と多額の賠償を認めたもので,支配階級の裏切りであった。このため1871年民衆は蜂起して,パリ・コミューンを樹立し,72日間市民が首都を自治都市とした。これは国軍によって鎮圧されたとは言え,共和制の性格をより進歩的なものへ変化させた。第三共和制のもとで王党派を排除した安定したブルジョア政権がつくられ,このもとで産業化,都市化が進行すると同時に社会問題も激化した。


4)  Emile Durkheim, De la division du travail social, p.401,田原音和訳『社会分業論』青木書店,1971年,388頁。以下,必要に応じてDT と略記する。

5)  Marcel Fournier, t ranslated by David Macey, Émile Durkheim a biography,

Polity Press,2013pp.13-28.以下,伝記による場合はM.Fournier,ED と略記する。


 エミールはラビを継ぐ気持ちはなかったので,1876年パリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)に入るためにパリに出た。一浪の末高等師範に合格した。卒業後,サンスのリセ(高等中学校)の哲学の教師になれた。高等師範の同級生にはJ・ジョレス,A・ベルクソン,A・ブルトンら錚々たる人がいた。ここに滞在した3年のあいだにデュルケムは社会問題に関心を持ち,社会学を学び始めた。1881年にH・スペンサー,A・コント,A・トクヴィルを読んだ。この頃からは哲学者に関心をもち,Ch.ルヌヴィエ(1815-1903)の「全体は部分の総和に等しくない」という命題とともに「連帯」という概念に大きな感銘をうけた6)。

 1886年,休職許可をとって彼はドイツ旅行へ出発した(1886年1月~8月)。様々な観察のうちにはむろん博士論文の執筆が含まれていた。「個人と社会」という抽象化されたタイトルの背後に,個人主義と社会主義という具体的なテーマが隠れていた。だからドイツの大学で講壇社会主義やマルクスの文献に出会った。後に書きのこしたものによると彼はマルクスを科学としては認めず,ただ時代の願望の代弁として,その限りでの社会的事実として観察したにすぎない。ドイツには,その時代の西欧がそうであるように,自由放任学派と講壇社会主義の対立があった。デュルケムは講壇社会主義に近い立場から,A・シェフレ(1831-1903)を発見した。シェフレはドイツの社会有機体説を代表する経済学者であり,社会学者とも言えた。彼はシェフレを擁護する立場から「社会は『市民の算術的総和』に還元できない」と論じた7)。

 ドイツ旅行は決して無駄ではなかった。彼は,自由放任論にも国家主義にも満足できなかった。いわば第三の道を追求した。第三の道とは,人びとの慣習,行動,世論が道徳性をもつという考え方である。それを彼は「社会的連帯」と呼んだ。帰国後1887年ボルドー大学でフランス初の「社会学(社


6)ED., pp.39-42. 

7)ibid., p.81.


会科学と教育学)」講座を担当した。1893年に博士論文をもとに初の大著『社会分業論』および『社会主義論』を出版した。翌年,ユダヤ人将校が無実の罪を着せられるドレフュス事件がおこったので,救援活動をおこなった。『社会学的方法の規準』1895,『自殺論』1897,そののち,1902年にはソルボンヌ大学に移籍して「教育科学講座」を担当した。そして,フランスにおける社会学と人類学の雑誌『社会学年報』を1898年に発刊した。モースの影響をうけながら書いた『宗教生活の原初形態』を1912に刊行した。処女作『社会分業論』には,もともと現代社会論として読めるが,そこには高級社会(組織的社会)を低級社会(環節的社会)と比較する試みがすでになされていた。今日,現代社会を扱う社会学と非文明社会を扱う人類学は学問上の分業にしたがって別物となっているが,デュルケムはその分岐の現場に立ち会い,二つの科学を創始した人物なのである。これだけの大きな仕事を果たしたその年に,フランスは事実上モロッコを植民地化した。また,彼は第一次大戦において共和国への愛国主義ゆえに対独戦争を熱烈に支持した。戦争はデュルケムの多くの教え子を犠牲にしたばかりか,息子を奪った。この悲しみのただなかで,1917年に脳溢血のため死去した。モンパルナスのユダヤ人区画に葬られた8)。


2.     『社会分業論』1893について

  ある程度物事に通じている人は,分業について,A・スミスやマルクスの「分業」ないし「社会的分業」という概念を知っているであろう。これは,農業と商工業のような職業分化のことであって,相互に商品交換によって媒介されたものである9)。では,社会分業De la division du travail socialというデュルケムの概念は,これと同じものなのだろうか。この問いは,実は第


8)ibid., p.722.É·Durkheim, L’Allemagne au-dessus de tout:La mentalité allemande et la guerre, Revue de Métaphysique et de Morale,Vo.23,1915.


二世代の社会学の誕生の必然性を考察するうえで避けられない。言いかえれば,この点の理解がデュルケムの社会学を理解するうえで決定的に重要である。スミスの「分業division of labor」やマルクスの「社会的分業Division du travail dans la société」とも似て非なるものである。すなわち,スミスやマルクスなど,政治経済学者の考えている「社会的分業」は,デュルケムからすればたんなる「経済的分業」にすぎない。どこが違うかというと,

「経済的分業」のばあい,その担い手の間に特別な集合意識は不要である。担い手たちは,交換による利益(スミス)や能力の一面性(マルクス)によっていわば無意識につながりあっている。これにたいしてデュルケムの言う,固有の意味での「社会分業」というのは,たんに社会の中に様々な職業分化が並列的に存在するという意味ではまったくない。

 すなわち政治経済学の「分業」と社会学の「分業」は,言葉は同じでも,集合意識(共同意識)のないものとあるものとの好対照をなしているのだ。このことをデュルケムは「同じ社会の成員たちの平均に共通な諸信念と諸感情の総体は,固有の生命をもつ一定の体系を形成する。これを集合意識または共同意識 la conscianscience collective ou commune とよぶことができる」10)と述べている。

お互いが仲間意識をもって,連帯して互いに結び合おうという,非孤立的な努力を払って,一体化し,一体性の意識をもつ「社会的労働travail social」の分割が「社会分業」なのである。

 しかし,政治経済学の強みは,この無意識的な分業こそが「見えざる手」によって経済を絶えず調整してくれるという発見であった。とすれば,なぜ,デュルケムは分業の識別にあえて集合意識を結びつけるのか,が問われる。デュルケムの分業論は社会科学史上の後退ではない。むしろ,デュルケムはしばしばものごとを誇張して,イギリスには「経済的分業」しかないが,フランスには「社会分業」があるなどと言うほど,


9)A. Simith, Wealth of Nations, 1776,K.Marx,Das Kapital, 1867.                                                          

10)Emile Durkheim,DT., p.40,同80頁。


この点を重視していた11)。

 そうすると,デュルケムの場合,固有に「社会的なもの」とか「道徳的なもの」とは,人々をただお金目当てのためや商売上相手を一時的に利用するだけで良しとするような,利己主義の動機でつながりあうような「水臭い」関係ではなく,一緒に仕事をしていくために,君はそこをやってくれ,ぼくはこちらをやるから,というふうな有機的な仕事の分割をこそ指すものだということになる。しかも,それは小さい家族から,工場,果ては国民経済にまで達する集合意識をまとわねばならないのである。

 しかしながら,フランスに限らず,どこの国の発展した資本主義でも見られることだが,資本家,地主,小経営者,労働者など実に多様な利害に分かれて,生き馬の目を抜くような,抜け目のない活力で生きているような人々はあまりにも多く見られる。実際,スペンサーの社会学においては,社会とは経済と同じものであった。だから,デュルケムはスペンサーに対して非常に批判的であり、攻撃的である。デュルケムのみるところスペンサーにおいては「要するに社会とは,諸個人がその生産物を交換しあっている関係状態たるのみであって,経済外の本来社会的な作用がこの交換 échangeを規制するようなことは一切ない」12)のである。スペンサーの言う「自発的協同voluntary cooperation」とは,個別的な個人が私利のためにつながりあっている状態


11)   DT.,   pp.266-267,同272-273頁。「とりわけある社会では,環節的類型がなおきわめて顕著であるにもかかわらず,ある分業,なかんずく経済的分業が非常に発達しているばあいがある。イギリスのばあいがそうであるようだ」。デュルケムがイギリスの分業の状態にたいして下すこの皮肉は,われわれがイギリスこそ異質異種分業の社会であることを知っているからこそ,またこの国がA・スミス,H・スペンサー,J.S.ミルを生んだ国であることを知っているがゆえに,環節的類型の語感と著しく相容れない印象をもつ。しかし,ここにはデュルケムがイギリスに対してもっているイメージが関わっている。というのもイギリスはいずれも利己心の交換次元しか扱ってこなかったために,デュルケムはこのことにたいしていら立ちを示しているわけである。英仏のこの対比は,デュルケムが二つの国の帝国主義=植民地主義の基本的性格をしばしば「残酷な帝国主義」(イギリス)と「優しい帝国主義」(フランス)として考えるところまで達する。そのかぎりでフランス帝国主義に対する批判は弱まる。


12)   DT., p.180,同199頁。


のことであった。スペンサーの『社会静学』1851の想定していた社会の均衡もまた,デュルケムから見ると「社会のない経済」にすぎない。

  いったい「社会学」という同一看板で研究しているスペンサーとデュルケムが,どういう理由で社会学の定義において相容れないか,ということについては,まとめて後述するが,先取りして結論じみたことを言っておくならば,要するに,資本主義そのものがもはや「見えざる手」でやっていけないところまで来ている,という発見がデュルケムの社会学の背景にある。だから,社会とは何かという定義が根本的に対立しあうのは,二人の生きた時代の違いから生まれているのである。およそ,学説の変化や発展というものは,こうした時代の違いからくることが多い。したがって,思想史的な比較を抜きに,社会とは何かという定義自体を対比しても,空虚な空中戦に終わる。生産的な学説史では,このような形而上学的な考察を避けることが賢明である。なぜA氏がa説を言い,B氏がb説を述べたかをその発生史的根拠から考え,社会学の更新の理由を合理的に説明できなくてはならないのである。

  スペンサーが「社会有機体」のなかで賞賛した人口増と分業の発展も同じである。それは,デュルケムの目をとおして見ると「正常」なものとは言い難い。なぜなら皆がエゴイストであり,共有する道徳などどこにもないからだ。そのような社会は,むしろ「病理」であり,「異常」なものなのである。社会学には他の社会科学とは異なって規範normeという重要な概念がある。デュルケムの著作に頻出するこの用語は,正常か異常かという判断と密接にかかわっている。社会の規範normeを構成員がしっかりと共有しているばあい,その社会は正常なnormal社会である13)。


 13)   Ibid.,   pp.596-620,『社会分業論』第1版序論,訳421頁.統計的平均は基準が一元的で,多数が正常で,少数が異常の場合である。これはいわば共時的な軸で考えた場合のことである。しかし社会を観察する場合,共時的な考察だけでは足りない。というのは社会はたえず変化するからだ。ゆえに通時的な軸で正常を判断しなければならない。第一に社会が進化すれば,社会的平均そのものが動くか。まさに,デュルケム『社会分業論』が問うのはこの正常/異常なのである。彼によれば,「経済という集合生活の全領域は,その大半が規範的準則régleの作用をまぬがれてしまうような結果に終わっている。」具体的には①商工業恐慌と倒産,②労資の階級対立とストライキ,③科学が専門化しすぎて統一性を失っていること,をデュルケムは「病理」だとみていた。「経済界の悲惨な光景が呈する,あのたえまなく繰り返される闘争やあらゆる種類の無秩序がよってきたるべきところは,まさにこのアノミー(無規制)状態である。というのは,たがいに対峙している諸力を抑制するものも,それらに守るべき限界を指示するものも,いずれもまったく欠けているので,これらの力は際限なく伸びていこうとするし,互いに激突して,圧しあい,つぶしてしまうことになるからである。いうまでもなく,ついには最強者が最弱者を圧しつぶしてしまうか従属させてしまう結果となる」


ら,正常類型もまた違ったものへ移る。だから,その社会が幼児期,成人期,老人期のどこにあるかを調べる必要がある。第二に,そのうえでもなお一定の正常類型に信を置けない場合がある。それは健康状態の特徴が衰退と形成の入れ替わりの時期にある場合だ。過去の健康状態は壊れたのに,新しい変化に適応した健康状態がまだ固まりきってない場合,何が正常かをきめるのは簡単ではない。デュルケムは,新道徳は過去の道徳が果たしたのと同じ機能を代わって遂行しなければならないのだから,その代行を果たしえない間は正常とは言えないとみている。新旧道徳の機能の比較によって,正常か異常かを判定するというのがデュルケムの研究態度であった。しかも,かれはまだこれでも正常類型が完成度に達したか否かは確かではないと述べている。このように。共時的な判断と通時的な判断を社会状況に応じて使い分けるのがデュルケムのやり方であった。道徳的秩序に敏感な科学を樹立するために,こうした工夫が模索されたのである。

 アノミーとは a-nomie,すなわちa-normalから転じたもので,正常の否定,異常である。もとは古代ギリシア語の a-nomos,法なき状態に由来するが,『社会分業論』で初めて使われ,次に『社会主義論』で使われ,『自殺論』で決定的に有名になった。


失せた状態,つまり異常のことだ。むろん,個人の場合だけでなく,現在の経済の状態もまた,彼の社会学からみれば「異常」である。目の前の現実をどういうものとして特徴づけるかというのは,科学としての社会学にとってとても重要な点である。よく私たちは「ふつう」ということを重んじる。

 人は「ふつうに学校へ行って,会社に勤めるようになる」と言う。だから大量にみられる,標準的な現象を「ふつう」と呼ぶ。ここで,日常語の「ふつう」は,正常というニュアンスを含んでいる。しかし,デュルケムは,たとえ大量に,標準的にみられる現象であったとしても,それらの全体が異常であり,病理だと言えるものはあるとみている。社会学は,このように常識人とは異なる形で,正常/異常を弁別できる学問である。しかし,この判断基準は独断ではないのかという疑問をもたれる人がいるだろう。実証主義といいながら勝手な独断で学問をつくってもらっては困る。ところが,デュルケムはきちんと根拠を準備している。


 では『社会分業論』は,いったいどういう手続きによって正常/異常を弁別したのであろうか。それは,けっきょくのところ,経済は異常であり,社会が正常だという,彼自身の全体社会(経済/社会の区別と全体)観によるものである。デュルケムは,後続の少なからぬ社会学者が共有している「経済と社会」という区別を非常にクリアーに提出した。第二世代の社会学者,ホブハウス,デュルケム,ウェーバーに共通するのは,先行するスペンサーに代表されるような自由放任主義の考え方からいかに脱却できるかという課題であった。スペンサーは『社会静学』『社会学原理』などを書いて19世紀を席巻した人であるが,彼の言う社会とは経済のことであった。なぜなら,スペンサーは利己主義が社会をつくる力をもつと信じて疑わなかったからだ。

 ところが,利己主義を放任することは,18世紀以来健全ものであり,解放的ですらあったのだが,19世紀後半の西洋では,反対に様々な社会問題の原因となるものとみなされた。そうなると,社会学の根底には常に「エゴイズム問題」の告発という関心が隠れているのである。

 図式的に整理すれば,(1)利己主義の基礎には私的所有があるから,私的所有を維持するためにも利己主義を否定すべきではない。(2)私的所有は,いまや万病のもとであり,利己主義とともに廃止するしかない。これが社会主義である。これらとは違って(3)利己主義はすぐれて道徳や倫理の問題であるから,私的所有の廃止までいかなくても,なんとか道徳の再建で資本主義の秩序を維持できるという立場ができる。19世紀末の西欧にはこれら三つの考え方ができあがっていた。

 第二世代の社会学者たち(ホブハウス,デュルケム,ウェーバー)は,濃淡の差を含みつつ(3)を共有する。ここに,旧自由主義でもなく社会主義とも異なる,学問としての社会学の思想的立場をかなりはっきりと言い当てることができる。だから,どれほど,科学性を自称しても,社会学は両極の中間にあるから,完全にイデオロギーから自由であることはできないのである。

 デュルケムはこの中間的立場を概念化するうえで最も鮮明に「経済と社会」という区別を打ち出した。社会学者は第二世代以降,経済という領域から区別された「社会」に重大な関心をもっている。経済はエゴイズムの領域である。これにたいして社会は,経済とは違って反あるいは非エゴイズムの領域である。この経済/社会という構図は,もしもこの区別が成り立たなければ,社会学が成り立たないほど重要な意味をもつ。なぜならば,社会学は私的所有と市場を,外見上いかに強く非難しても,社会主義ほど断固としてそれを廃棄するとは言わないが,社会主義が過剰に出てくるときには個人の自由が失われてはならないというかたちでブルジョア社会を擁護するからである。

 だから,「経済と社会」という区別は,経済と社会が対立するという意味を含むけれども,経済と社会を相互補完的に考えるということでもある。この意味で『社会分業論』は,新しい社会学を定礎したのだ。

 デュルケムに代表されるように,社会学者が共通に考えているのは,経済というのはエゴイズムの領域だという断定である。これにたいして,社会はずっと多義的なものである。その多義性をどう把握するかは社会学者によって様々であるが,デュルケムの場合,社会は経済の外側にあって,まったく対照的な法則に従っている。つまり,経済/社会は,エゴイズム/非エゴイズム,没規範的/規範的,非道徳的/道徳的な二つの別個の領域なのである。

 ここでちょっとしたエピソードをさしはさみたい。私が2000年にヴェトナムのホー・チミン市に行ったとき,ある女性社会学者と話をする機会があった。ヴェトナムは社会主義国である。そういうお国柄でいったいどういう人が社会学を研究しているだろうかと私は強い関心をもった。彼女は環境社会学の専門家だった。当時街を歩くと夥しい量のモーターバイクで道路は埋め尽くされている。ライダーは皆サングラスとマスクをつけているし,歩行者もマスクをつけていた。政府はドイモイという経済開発路線をとっている。モータリゼーションはその一環である。彼女は,経済開発の裏で起こっている環境破壊を研究しているのであった。ヴェトナムで社会学者として生きていくのには知恵がいる。政府のすすめるドイモイと彼女の社会学は,対立とまではいかないかもしれないが,ある緊張をおびていると私は思った。日本では福武直(1917-1989)という社会学者が,政府の「経済開発」にたいして「社会開発」という用語を立てて,バランスのある日本社会の発展の在り方を呼びかけたことがあり,彼女はそれを連想させた。話が終わって,別れ際に私は「あなたの社会学の理論ベースにあるのは誰ですか」と尋ねた。すると,「デュルケムです」と即答した。「経済と社会」という区別は,ヴェトナムの地でこういうふうに生きているのかと私は感動を禁じえなかった。

 もとに戻る。デュルケムによれば,無政府的な経済競争は,異常な状態である。このような異常を停めるためには,「市場に逆らう国家State against Market」が成立しない限り,無理であろう。

 そういう意味で,『社会分業論』のデュルケムは,集合意識=共同意識=道徳意識を人々が正常に持つようになれば,こうした病理を直すことは可能だと考えるのである。逆に言えば,デュルケムは,現在無規制のまま放置されている経済はいずれは規制(réglementation)されるべきであるという。では,誰が,どうやって規制するのか。デュルケムは「規範的準則」「道徳的準則」が,と応える。

 このあたりが,私のような者からすると,デュルケム社会学がなんだか非常にもどかしい,中途半端なところである。つまり,誰がそれをやるのかということを彼は指し示さないのである。誰でもよい,誰かが社会の要請をみたすべきだということになる。あまりに道学者的である。それでも仮にデュルケムの言い分を認めるとして,ではどうやって「道徳意識」を変えるのか。「経済的機能は,いまや大多数の市民を吸収しつくしているがゆえに・・・諸個人の生活の最大部分がいっさいの道徳からの影響を受けないままでうちすぎてゆくからである」16)と彼は言う。まったく非道徳的な人びとが支配的な状況で,いったいどうやって経済的アノミーを是正できるのか,という疑問を誰しも感じるだろう。

 だが,いったいどうやって(ハウツー)という問題はいわば入口の問題に過ぎない。もっと本質的な問題がある。それは,なぜという点にかかわる。デュルケムはいろいろな利害関係者を観察して皆アノミー(無規範状態)に陥っていると言う。ここでデュルケムに問いかけたい。しからば,市民が皆無規範化しているというのに,なぜあなただけは規範的なのか,なぜあなたはアノミーを免れえているのか。なぜ,異常の外に出ることができたのか。人々は,デュルケムの言う「病理」をまるで「正常」であると思っている かのうように生きているとデュルケムは言う。ではなぜ,社会学者たるデュルケムだけが大衆の感覚と真逆の感受性をもちうるのか。私は,この感受性


14)Ibid., p.28,同2頁。

15)ここに「アノミーanomie」という『自殺論』で有名なあの概念がすでに使われていることに注意してほしい。アノミーというのは,ふつうの辞書には載っていない。デュルケムの造語である。類語はanomalieで,変則とか異常をさす。アノミーは道徳的なアナーキー,規範的なものがまったく消え

16)   DT, p.Ⅳ,同第二版序文,3頁。アノミーはしばしばアナーキーと互換的である。


を彼がどうやって獲得したのか,それを知りたいし,知らなくてはデュルケムを学者として根元から把握できないように思う。


 『社会分業論』は素晴らしい本である。それは経済とは異なる社会という領域を世界で初めて定礎した。そうであるがゆえに,私からすると、社会学という学問を基礎づける魅力に富んでいる。しかし同時に社会学を社会学たらしめるためには、普通の感覚、あるいは世間的意味での「正常」を「異常」と位置づけなおすにたる胆が座らなくてはならない。しかし、世間の転倒を再転倒させる胆をもつことはいかにして可能なのであろうか。そんなことは並みの人にできるはずはない。だが、たとえそうであっても、それをだれにたいしても「まさにその通りだ、われわれは異常だったかもしれない」と思わせるに足る訴えが感じられたからこそ社会学は有用だということになり、政府が社会学の講座を認めるようになったのである。フランス政府は、それだけ社会主義に怯えており、しかも市場的統合の限界を解決してくれる別の解を求めていたのであろう。それをなしとげたデュルケムの魅力と謎とが彼の社会学の根源にある。

 『社会分業論』は,彼の判断基準を前提にしておいて,機械的連帯よりも有機的連帯が優越することや異常な分業と正常な分業について実に「客観的」に叙述しているのである。ところが,この「客観的」記述が本当はおおいにクセモノである。いったい何が正常で,何が異常であると,誰が決めるのか。なぜデュルケムは物事の正常/異常を決める権利をもつのか。しかも,学問がいまや科学の名において,言い換えれば実証主義を逸脱せずに善悪を決める権限を持つというのだ。その判断基準の根拠は何か。これは統計で応え得る問題ではない。数が多ければ正常と言えない何ものかをデュルケムは心に密かに抱いていることは間違いない。ところが「密かな規準」が『社会分業論』では覆い隠されている17)。私の考えでは,彼の判断基準が何かを知るためには,『社会分業論』と同年に出た『社会主義論』を見なくてはならない。そこにおいて,デュルケムは自分の判断基準を赤裸々に語ったのである。


17)   第1版序文問題において,正常と異常をどのように根拠づけるうるか,検討している。それを要言すれば,①正常/異常は社会類型ごとに異なること,②ある社会(類型)で平均的なものは正常であり,平均から逸脱すれば異常である。さらに,③正常/異常は,その社会の年齢(幼児,成人,老人)におうじて変動する。④急激な社会変動が起こると,古い健康状態は廃れ,新しい健康状態が未形成ということが起こるが,この場合も過去のデータと比較して平均的な正常さが機能するのと同じように新しい健康状態が機能すると言えるならば正常と言える。デュルケムのこうした実証主義にもとづく正常/異常の基準論は『社会学的方法の規準』でも再論される。筆者はよくわからないが,規範的なものを統計やデータで根拠づけるというのがデュルケムの立場なのであるが,これが果たして可能なのか,いまひとつ説得的でないように見える。デュルケム的な見地からすれば,完全雇用を規範として失業率を見てはならないことになるが,そうであろうか。交通事故死や戦死者の数は例年並みであれば正常なのか。けっきょくこうしたことは,個人の生命の重みをどう考えるかということに帰着する。デュルケムは広い意味では個人主義に肯定的であるが,データ処理過程では個人論を一切使わない。これが私の違和感のもとにある。


3.     『社会主義論』1895

 デュルケムは1886年にベルリンに旅行にでかけた。そこで講壇社会主義,マルクスの文献,ドイツ社会民主党の活動を見た。社会学は社会主義理論とは別のものである。だが,第二世代の社会学者たちは,その違いを常に正確に描こうとした。デュルケムも,この時の成果を1895年に大著『社会主義』として出版した。

 この本で,彼はサン=シモン(1760-1825)からヨーロッパ全体に広がる多種多様な社会主義を見て,それらの共通点をまとめた。

 第一に,すべての社会主義教義は,例外なく,現在の経済機能の分散状態に抗議し,その転換を,突然に,あるいは漸進的に求めている。経済的分散とは,①個別企業が互いに独立していて,なんら共通の道徳的目標をもたないということ,および,②経済を構成しているのは「交換者」であって,彼らは国家(中央規制機関)が定期的に立ち入ることのできない特別の領域を形成している。

 第二に,社会主義とは,経済機能の拡散した状態を組織化された状態へと,突然あるいは徐々に移行させる傾向である。この意味で,社会主義とは,多かれ少なかれ,「経済力の社会化」を目指すものである。

 まとめて言えば,「社会主義は・・・現に拡散的である経済的諸機能のすべて,あるいはそのうちの若干を,社会の指導的意識的・中枢部に結合しようとするすべての説」を意味する。

 さて,このようなデュルケムの要約は一見してわかるとおり、必ずしも独創的ではない。ここでは触れないが、経済は無政府的であるが、国家は計画的であるという社会主義観はそれじたいが近代主義的な公私二元論の枠内にあって、きわめて俗流的なものである。しかし,デュルケムの底意に気づかねばならない。とくに『社会分業論』との関係で言うと,デュルケムは決して社会主義者ではないが,そうであるにもかかわらず,ヨーロッパに蔓延しつつある社会主義を公私二元論の枠内で自分の道徳主義に利用したいと思っていた節がある。デュルケムからすれば,社会主義者は「経済機能の分散」を「経済力の社会化」に置き換えようとしているのである。社会主義は「社会の指導的中枢部」すなわち国家によって経済を制御するという思想だとデュルケムは見た18)。


 これはデュルケムから見ると人々の規範形成力,あるいは「規範的規制」「道徳的規制」の必要を捉えていない。社会主義国家を建設するとか,私的所有を廃止するというのは,あまりにも制度に頼るものである。だが,本当に大切なのはまさにこの道徳的な問題次元なのだ。だからデュルケムは「このような革命は,深遠な道徳的変革なしには起こりえないことを,私たちは今や理解している。経済生活の社会化とは,経済生活の中で依然として優勢を占めている個人的で利己的な目的を,真に社会的で,したがって道徳的な目的に従属させることを意味する」と力説した。

 デュルケムは,自らは社会主義者でもないのに,どうして『社会主義論』                            


18)   デュルケムの社会主義観は,基本的に市場/国家,私的領域/公的領域という,いわゆる近代の二元論の枠組内部で考えられている。二元論の枠組み内では,市場が強ければ国家が弱まり,国家が強ければ市場が弱まる。こうした理解自体が,社会主義を近代主義的に理解している証拠である。20世紀マルクス主義の自己理解でも,社会主義とは国家による無政府性の廃止である。ゆえに基本的にデュルケムが勝手に社会主義を歪めて理解したというわけではない。20世紀マルクス主義とデュルケムが基本的に同じような枠組みで社会主義を理解していたということが,実は本稿では批判的な対象化の素材となる。市場/国家をそれぞれ無政府性/計画性という二つのモメントでつかみ,前者に抗して後者を強化すべきだと考えるところから,理論の退廃が起こった。そもそも論に立ち返ってみた場合,マルクスの理論体系は,近代哲学における公私二元論を労資二元論によって超克するというものであった。当然,マルクスの場合は公私二元論の枠組をいかにして,誰が壊すかが理論的な問題になる。そして,マルクス自身は計画性の主体が,労働の社会化を担う労働者自身であって,「国家」ではない。国家は二義的なものだ。労働がますます直接的に社会化され共同的労働になる。とはいえ,労働の社会化はあくまでも資本のもとでの社会化にすぎないから,資本の専制を壊すことで初めて労働のコンビネーションをアソシエーションに転化させることが最大の課題である。労働を担う労働者自身が直接的に社会化された労働を自治する,という理解はマルクスの固有のものであって,その補助的道具として国家が位置づけられる。20世紀マルクス主義やデュルケムにおいて欠けていたのは,こうしたマルクス理解であった。この意味で,デュルケムは20世紀マルクス主義と同様に,マルクスを読めていない。この点で「社会的所有と民主主義」(1885)のデュルケムが「私的所有」を「個人的所有」と言い換えている点にも,マルクスの「個体的所有の再建」を読み取れなかったかれの限界が現れている。 Durkheim, E, La Socialisme,


 という大著を書いたのだろうか。それは,まさに社会主義者たち自身の求めているものが,実は道徳的変革だということをデュルケムほどには自覚していないからだ。これは,ヨーロッパの一部で流行っていた「歴史的必然」の信仰にたいして一撃を加えただろう。資本主義は必然的に社会主義に移行する,だから待っていてもそうなるという理解である。これが間違っていることをデュルケムは学問的に言いたかった。そしてこの目的を達成するために『社会主義論』を書いたのである。


 より一般化していえば,社会主義とは経済生活における無規範を是正するべきもの,経済を再規範化させるものである。経済/社会,非道徳的領域/道徳的領域の対照を概念的にはっきりさせ,そのうえで,社会が経済を指導すること,あるいは道徳が非道徳を包摂することを学問的に主張することができる。このことを言おうとしたのが彼の社会学なのだ。このように考えていくと,デュルケムは社会主義と一線を画しながら,しかも,社会主義が直面している問題の本当の回答が道徳的次元にあるのだということを学問的方法、つまり道徳的学問としての社会学によって,客観的に高い所から見下ろすことができる。学者としてのデュルケムは,まさに社会主義が一定の現実的要素となっておればこそ,そこに別の回答を与えることができるのである。社会主義を押し上げる力を利用して,しかもそれと一線を画し,別の方向へ転轍させようという彼の野心はたいへんなものである。(以下、20世紀社会学小史の欄につづきを入れます。これはこのままでひとまず『一望荒野』第4号のままとして記録に残します。)


『一望荒野』2025年10月号 第3号

カテゴリー生成史について    

はじめに

 ぼくのアイデア(思いつき)の自分史をはっきりさせておきたい。ながらく社会学史を担当してきた。それは広く社会思想史的なやり方を使って、社会学という学問がどういう目的をもって生まれたのかを考察するものである。あれこれの社会学者が何を言ったかということは当然押さえるべき素材になる。けれども、A,B,C,Dの社会学者がそれぞれa.b,c,dということを言ったと要約するだけで本当に良いのだろうかという疑問が湧いてきた。

 大学では、学生は至って新鮮な存在だ。社会学がいったいどういう学問かということなどふつうは知らない。聞き手はよかれあしかれアマチュアなので、プロとしてのぼくは、知ったふうなことを言う。社会学者ABCDの言説abcdを並べて、その共通性や時間的変遷を解説すれば、一応整ったかたちにはなる。世上流通している社会学入門や社会学史というのも、至って解説ふうなものや凝った作りのものはあるにしても、おおよそ名前列挙的なものが多い。だから、学史は当然のところ、誰彼があれこれのことを論じたという紹介になる。受講生は、講師が何十年も学説史をやっているのだから、特定の人物が何を書いたかについては熟知していると考える。たいていは講師の好み(学問的な重要性の恣意的判断)によって、特定の学者の特定の側面が抽象される。それを生誕時期の順に並べれば、一応社会学史と名づけてもよかろうとされている。

 たとえば、平凡な講師としてのぼくは、「マルクスは土台が上部構造を規定するということを主張しましたが、ウェーバーはある時代の観念は決して受動的なものではなく、むしろ、能動的に経済の在り方に影響をあたえるということを主張しました」というふうなことを言う。ここでぼくは単なる羅列ではなく、対象の共通性と歴史的前後関係があることに、ちょっと得意になっているのである。すなわち、社会学というのは経済と観念の相関関係を論じることができる(共通性)だけでなく、先にマルクスが説を立て、後になってそれに反発したウェーバーが異説を述べた、ということ(歴史性)をも教えることができる、と言いたいのである。

 しかし、こういうのを10年、20年とやっていると、自分は毎年毎年ある回に知ったふうなことを言うのだが、これが学生にとっていったいどういう意味を持つのだろうかという疑念をもつようになる。一般化しておこう。講師は、Aはaと論じたが、後になってBはbと言った。bはaに対する異論または批判だった、と語るとしよう。学生はこれを聞いて「うーん、これはとても重要なことを言っているぞ、経済と観念という一個のブロックを社会学部の学生は考えなきゃいけないな」と果たして思ってくれるだろうか。「思ってくれる」というのがぼくの希望的観測だったのだが、今はやや異見を持っている。確証はないが、突き放して言えば、希望は所詮希望でしかないのである。講師の信仰は思い上がりにすぎず、学生たちはつまらぬ豆知識を与えられただけではないのだろうか。要するに「経済と観念が相互作用するが、このなかで経済の規定性を強調する人と意識の能動性を評価する人の、二つの流れがある」というふうにパッケージ化してとらえて、彼らは問題をまとめてしまうかもしれない。これはおおいにありそうなことなのである。

 従来の思想史において、1950年前後から1960年代初めころのことであったが、思想史の方法についてあれこれの素材を解読してきた人々が、あらためて自分の方法とは何かについて語る実り豊かな時期があった。実際この時期の方法論議は思想史家が自分の手の内を率直に開かすという点で興味深く、今日でも参考になる。そのなかには「経済の規定性」と「思想の相対的自律性」について興味深い点が反省された。丸山眞男氏や家永三郎氏のようにマルクス主義に一定の距離をとる研究者たちは、思想の基底体制還元主義を警戒し、「相対的自律」を強調したが、「経済の規定性」を無視したわけではなかった。むろん、経済の規定性が思想の隅々まで貫いていることを論証することに思想史の本質を認めるような人、たとえば守本順一郎氏のような人もいた。氏の作品を実際読んでみると、これはこれで見事である。そうなると、思想史の方法論だけで作品の良し悪しが決まるというわけでもなさそうなのである。生きた思想を取り上げるばあい、分析家のなかで働いている方法論が微妙な匙加減と塩梅で読解を主導していくことは間違いのないことである。丸山・家永/守本は、ウェーバー/マルクスの対抗の持続を示していて、両者の対抗が個々の思想のどういう側面をどのように読み取ろうとするのか、という点まで踏み込めばそれはそれで面白い。

 しかし、学部向けの社会学史でこうした方法論上の差異に触れ、その効果がいかなるところに現れるかを分析するとすれば、話が複雑すぎることになるであろう。だから、便宜上講義はとても図式的になり、豆知識的になり、つまるところは暗記しやすく、飲み込みやすいものにしてなる。またそれでよしとすべきかもしれないのである。

 現代は、それが良いことであるとは思わないけれども、コスパとタイパの時代である。どんな情報もすべては豆知識化される。豆知識のうちには「4丁目の角に素敵なフルーツサンド屋さんがオープンした」というのもある。ぼくが90分かけて教えた豆知識はこの4丁目の豆知識よりも有意味なのであろうか。むしろ、やや見劣りがするのではあるまいか。だって、ぼくの提供した豆知識は「深遠」すぎて使いようがないが、4丁目の豆知識は地下鉄に乗って店へいけばとても美味しかったという見返りがある。

 プラグマティズムの教えるところに従えば、使える知識は生きるが、使えない知識は絶える。もしそうであるならば、なにも何十年にもわたって知ったふうなかたちに定型化した講義を行ったとしても、あまり意味はなかったのかもしれない。そう思うと我ながら馬鹿丸出しだったなあとさえ思えてきてしまうのである。自虐的すぎるかもしれないが、そういう反省がますます強くなる。

 だから、「土台の規定性」「相互作用」「思想の相対的自律性」などを羅列してもたいして賢くならないといま考えている。では、どういう方向へ掘り下げていけばよいかという課題をあえて立ててみよう。

 さきほど豆知識と言ったが、豆知識そのものがもっと内容上インパクトのある、重大な、忘れられない豆知識なら生きるのではあるまいか。豆知識そのものが悪いのではなく、その内容の濃さが足りないのかもしれないのだ。たとえば、「過ぎたるは及ばざるがごとし」というのは『論語』から伝わる豆知識であるが、中庸や節度を守らせる有効な知識となって、幸か不幸か、生きている。豆知識は、いくつかの文からなる小さい物語である。そこから世界を描くものだ。文は語からなる。だから、語の一つ一つを丹念にさかのぼれば、言語空間の可能性をその要素から把握できる。たとえば「個人」という語の始まりを把握できれば、旧共同体と近代社会の違いが見えてくるようになる。同様の作業を、キーワード史というピン・ポイントでやると、ぼんやりしていた語義がはっきり掴めるようになる。ピン・ポイントで言葉を押さえていくと、だらだらした記述がにわかにピリッと締まる。直観的にであったが、ぼくは2000年ごろから単語論に関心を持ち、その言葉がいつごろから使われ始めたか調べることにした。

 ちょうど職場には柳父章さんがいた。『翻訳語成立事情』1982は西洋語にはあるが日本語にはない単語(たとえば個人や社会・・・)を明治人はどうやって翻訳したかという研究であった。とても面白い本である。単語を英語と日本語で対比するだけで、西洋と日本に生きる人々がいったいどういうイメージをもって生きていたかがわかるのである。だが、ぼくは、柳父さんにおおいに刺激されながら、柳父さんがいう「個人individual」は実は私人private personであるというところまで突き詰めていないのではないかというところに不満を感じた。そのかぎりで柳父さんは近代主義的なのだ。だから、翻訳語という比較言語をやるばあいには、西洋語のルーツをもっと掘り下げておかないと、翻訳の中で何が脱落したかがわからなくなる恐れがある。個人の場合で言うと、西洋語の個人は、私人と個人というふたつの側面をもっている。私人は、共同体から独立したバラバラな存在を指し、個人は共同体から切り離しえないという意味をもともとはもっていた。ところが、私人の実在的圧力が高まるにつれて、共同体と不可分という意味は脱落し、個人はある社会の最小単位という意味になった。これは個人が、全体の中の部分であり、不可分の成員であるという意味から、ある社会の分析可能な単位に反転した例である。柳父さんの翻訳語論では、西洋における個体の私人化の経緯が触れられていなかった。そこにぼくの不満はあった。

 ともあれ単語史を方法として会得していく途上で、ある意味では自然なことだったが、独語ならグリム兄弟の編さんした『ドイツ語辞典』、英語なら『オックスフォード英語辞典』、中国語なら『漢語大詞典』、日本語なら『日本語大辞典』があることが、遅まきながらわかってきた。これらはいずれも先人の膨大な、しかもまことに地味な作業を集大成したもので、いかなるジャンルの研究者の垣根も超えて、およそ言語で生活する人にとっての宝の山である。

 そこで思いついたのであるが、ある単語が特定の時期に誕生するメカニズムや、その背後にある法則性を解き明かす言語論というのを構想することができないものだろうか。グリム兄弟によるドイツ語辞典のように、各単語の初出時期を文献的に特定する研究は進んでいるし、各国語でも同様の蓄積がある。であれば、初出は何年、例文はこれこれという事実を踏まえて「なぜその単語が、その時期に、その意味を持って生まれたのか」という問いに対する統一的な法則を見出すことはできないものだろうか。この問いは自然にでてきた。 「ある意味を持つ単語がなぜその時期に発生したか」という問いは、言語学者のみならず、もっと広大な人々にとって大いに価値がある。ぼくがなかんずく考えたいのは、一種のヘゲモニー論(A・グラムシが考えた意味でのそれ)である。つまり、言語の発生と普遍化の法則に則らなければ、話は広がらないし、遺産として残らない。資本蓄積に対抗できるのは言葉の蓄積以外ではあるまい。社会は、ヴィトゲンシュタインの言う複数の言語ゲームが闘争するアリーナである。諸ゲームが互いに闘争するとき、いずれの言説が競り勝つかは、言語法則にしたがうものだといえる。なぜ、どのような言語(単語)が、どういう理由で発生するか、その変動の法則は何か、これを研究してみるということがヘゲモニー論の内実をつくるのではないか。これがひとつのアイデアである。これは、すでに誰かがどこかでやっている研究かも知れない。まして現代はグローバル化が進行するから、西洋語の非西洋への複雑な浸透過程が一方的なものではなく、受容側の一定の主体性を介して、定着する過程に関心が向かうはずである。今後こうした研究はますます発展してくると予測できるから、深遠で魅力的なテーマがそこにあるにちがいない。今後の研究の発展が待たれるもののひとつであろう。

1.言語論的転回について

 20世紀は哲学上の言語論的転回が大きな遺産をもたらした。従来の主観/客観というこわばった図式には多かれ少なかれ独我論solipsismがつきまとっていた。ところが、言語論的転回がひとたび起こると、おそらくは古代ギリシアで発芽し、近代において、とりわけデカルトから出発しカント(1724-1804)において完成した「独立した自立的人間einzelne Mensch」という特定の歴史的人間像が次第に、しかし決定的に古くさいものとして処理されるようになった。

 拙稿「社会・言語・移行」(『市民科学通信』第60号、2025年5月)で扱ったことだが、20世紀の哲学は独我論から共同主観性論へ転換する際に、言語を考察することをテコにした。言語論的転回が着目したのは、たとえばデカルトが「我思う、ゆえに我あり」と自己反省するばあい、反省が自分一人ではつくることができない言語を前提しているというところである。これによって、「思うから、我は実在する」というのはまだ我の実在根拠として弱いのであって、実在を思い込んでいるところの自我そのものが、言語に依存していることが解明され、近代哲学(の基礎)は崩壊し始めた。

 一口に言語論的転回と言っても、そこには大きく括って2種類のものがあるようにみえる。

 第一は、言語を、特定の民族的、地域的言語から抽象し、言語一般の構造を思考するものである。第二は、そのぎゃくに、特定の国民的または民族的なコミュニティの言語として思考するものである。

 ふたつのうちいずれが生産的であるかは論じるべき課題による。私にとってはまだ今後の研究プロジェクト次第だが、扱いたい言語は第一のものである。これにたいして、多文化共生とか一種のコミュニタリアニズム運動や各国語の硏究が重視するのは第二のものである。

 ただし、第二の言語研究は捨てがたい。というのもおよそ社会科学というジャンルでは多くの用語が西洋起源だ。だからさしあたりは特定の国民(たとえば西洋のどこかの国)の言語からうまれた様々な概念は、西洋起源の近代社会の広がりにつれて、世界共通語へと広がっていったから、世界規模での言語体系の種差の境界を言語がどういうふうに克服していくかを考察しなくてはならない。

 これを重視する立場から見ると、言語学者の扱う言語は非常に静態的である。たとえばチョムスキーの言語論は、言語の深層と表層の変換の問題をあつかうことに関心が向いている。ゆえに、言語の共時的な構造を研究課題にしているわけである。はっきりと 時間は捨象するとも言っている。ラッセルやヴィトゲンシュタインはどうかというと、同じように言語を共時的(静態的)に考察するものが圧倒的に多い。

 したがって、社会学史から出発したぼくにとって、言語論的転回は関心のあるテーマであるけれども、これまでの言語論は圧倒的に共時的構造に関心が傾き過ぎており、共同主観の歴史的変化に関心があるぼくには物足りない。共時的構造からの独我論批判というのも限定が強すぎる。そこで、試論的に言語の時間的な、あるいは歴史的な発生の問題を考えてみたい。その素材は結構身近にある。


2. 言語の共時構造から通時構造へ・・・労働という言葉がなぜ生まれるか

 ぼくにとってヴィトゲンシュタインは非常に啓発的な言語論者であることは間違いない。私的言語は存在しないと言う。だが彼が言う通り、人間が世界を認識するばあいにいつでも言語が先行している、というのは正しい認識であるが、それで独我論を壊すことができる範囲は限定されているのではなかろうか。というのも問題は、毎日、毎時、毎分言語に依存して生きている私たちが、それを使用する主体であるにもかかわらず、言語が使用諸主体から離れて、あたかもひとつの生き物のごとく変化する、その動態を言語論的転回がどの程度解明したか、まだ不確かであるからだ。

 このように言語発生論に課題を設定したばあい、ヴィトゲンシュタイン、F・ソシュール、N・チョムスキー、K.O.アーペル、J.ハーバーマスらは、いずれも言語を静止状態で把握している。しかし、これらのいずれよりも強い印象を与えるのはマルクスの言語の構造的発生論(と仮に名づける)である。ぼくは、この議論をひとつの手がかりにして新旧言語ゲームの相克を射程に入れて、言語の発生史論に注目したい。

 マルクスの言語発生史論と私が呼ぶのは、よく知られた「経済学の方法」に含まれるアイデアを仮にそう名づけるにすぎない。それは『資本論草稿 1857―58年の経済学草稿』にある。少々長いが、とても重要なので引用する。

「富を生む活動のいずれの規定性をもすてさったのは、アダム・スミスの巨大な進歩であったーマニュファクチュア労働でもなく、商業労働でもなく、また農業労働でもないが、しかしそのどれでもあるたんなる労働〔Arbeit schlehithin〕。富を創造する活動の抽象的一般性とともに、こんどはまた富として規定される対象の一般性、生産物一般、すなわちふたたび労働一般であるが、対象化された過去の労働としての労働一般〔Arbeit überhaupt〕。この移行がどんなに困難であり、かつまた偉大なものであったかは、アダム・スミス自身が、なおときおりふたたび、重農主義に逆もどりしていることからもわかる。ところで、労働一般という言葉によって、人間が━どんな社会形態のもとであろうと━生産する者として登場するさいの、もっとも単純で、もっとも太古的な関連を表すための抽象的な表現がみいだされたかにすぎないかのように見えるかもしれない。これは一面からは正しい。他面から見れば正しくない。労働の一定種類にたいする無関心は、どんな種類の労働ももはやすべてを支配する労働ではなくなっているような、現実の労働諸種類のきわめて発展した総体を前提としている。こうしてもっとも一般的なもろもろの抽象は、一つのものが多くのものに共通のものとして現れ、すべてのものに共有されているような、もっとも豊かな具体的発展のあるばあいにだけ、一般に成立する。そのときには、ただ特殊な形態でしか考えることができないということはなくなるのである。他方では、労働一般というこの抽象は、ただ諸労働の具体的総体の精神的結果であるだけではない。一定の労働にたいする無関心は、諸個体が一つの労働から他の労働に移っていくことが容易であり、労働の一定種類は彼らにとって偶然的であり、それゆえ無関心的なものであるような社会形態に照応している。ここでは労働は、範疇においてばかりでなく、現実においても、富一般の創造のための手段として生成しており、人の身上として諸個体とある特殊性をもってむすびつくということがなくなっている。このような状態は、ブルジョア社会のもっとも近代的な定在形態━アメリカ合衆国━でもっとも発展している。したがって、「労働」、「労働一般」、たんなる労働〔Arbeit sans phrase〕といった範疇の抽象、近代経済学の出発点は、ここにおいてはじめて実際上の真実となる。」(大月版、経済学の方法、56頁)

 繰り返すまでもないだろうが、太古においてわが先祖たちは、魚をとりにいく、山に植物を採りに行く、種をまくなどと具体的なものを具体的なままに名づけ、遂行していたのであろう。レヴィ・ストロースは『野生の思考』1962でブリコラージュと名づけて、手元のありあわせで物を作る作業を実に細かく分類していた。

 これは未開人の「ここといま」がいかに多種多様であるかを示すものである。ところが、「ここといま」における多様性と土着性をもつ言葉は次第に淘汰されてしまう。なぜならば、商品交換の頻度が上昇してきて、ある具体的有用労働と別のそれとをどういう割合で交換するのがよいかという問題に日々人が直面するようになるとブリコラージュでは早晩限界に突き当たるからだ。個々の具体的作業にそれぞれ別々の言葉をあてがうのは、人びとが互いに隣接し、傍で見よう見まねで教えー教えられる共同体にふさわしい。ところが、商品が共同体の限界において発生すると、人びとはそうした接触の場で伝承の限界に悩み、「共通」項を求める。個別共同体のあいだの共通項を模索する、気の遠くなるような時間の堆積の結果、「労働一般」という共通の範疇が生成してくるのだとマルクスは指摘する。これによってかつての「ブリコラージュ」は淘汰されるのである。魚とり、種まき、山菜取りなどは、互いに共通する「労働」あるいは労働一般へと還元されるようになるわけだ。

 以上のマルクスの記述は、定式化して、<存在━カテゴリー━意識形態>という図式にまとめることができる。つまり人の存在が商品経済に包まれるようになると━労働一般というカテゴリーが析出されてくる━すると主体は個々の活動の具体性や些末さに無関心となり、その分だけ、関与する客体は固有の素材の質的差異を失い、貨幣の量にのみ収斂されてしまう。こうした主体―客体関係が支配的になる。マルクスは「社会的存在が意識を規定する」と論じたが、それをカテゴリーの析出を媒介して再構成すれば、社会史に対応する意識の変化を読み取ることができるようになるであろう。上記の引用でマルクスによれば、「労働一般」はまずイギリスで先行的に生まれ、古典派経済学を生み出す。そして、アメリカ合衆国で学者だけでなく、ふつうの人々の日常を動かすような、もっとも発展した、商品化した言語状況を生み出す。すなわち人々は主体側で具体的な労働の多様性に無関心になっていき、他方で客体側はますます貨幣形態に収れんするようになる。これがブルジョア社会で日々起こっている事柄なのだ。

 ここでいささか突飛だが、マルクスの「労働」カテゴリーの発生史を素材にして、20世紀のバートランド・ラッセルとヴィトゲンシュタインが発展させた分析哲学の主題を考えてみよう。ラッセルとヴィトゲンシュタインは、マルクスのような歴史的な言語発生論の視点をもたなかった、だから彼らは共時的にものを考えたので、世界と名前の静止的な関係を考察した。ゆえに真理とは、世界にどういう名前をつけるかにかかっていると彼らは考えた。それはよい。しかし、マルクスに即せば、それらの「名前」は机上で自由自在に作りだせるものではない。スミスが『国富論』で「見えざる手」のメカニズムを解明できた根拠は、様々な質的に異なる仕事が共通の第3者である「労働」に還元されるという事実にあった。「労働一般」の発生は、スミスの机上における発明ではない。古代、中世が終わって、マニュファクチャ時代が終わりの社会的生産諸力がはじめてスミスの近代経済学をつくりだしたのだ。

 この意味で、「労働」範疇の発生は近代の根本条件である。だが、もし「労働」以外の様々な単語もそれぞれに背負う歴史があるとしたら、我々が生きている社会を構成する重要「カテゴリー」は我々自身の営みのなかから、ある独特の基軸的なカテゴリーを北極星のような中心におくことで回転しているのではないだろうか。近代には近代固有の言語の星座的な体系constellationがある。そしてこの中心に「労働」が座っているとみなしてもよかろう。

 もしこういうことが言えるならば、言語論的転回を、ただ哲学上のひとつの洞察にとどめるべきではない。また哲学上の認識論偏重を存在論へ開くというような哲学固有の問題意識からも開け放って、およそわれわれが拠って立つ言語の、その都度の社会史に対応する言語ゲームの変遷史へ問題を敷衍することが必要でもあり、可能なのではあるまいか。

 そうすると、言語ゲームの構造的発生論を大掛かりに探求していくことは、新旧の言語ゲームの相克やそれをどういう立場から戦略的に活かしていくかなど、一種の文化的ヘゲモニー論の再構築にとって重大な前提作業となってくるのではないだろうか。

 マルクスは、これらの作業のうちの「労働」という根本的範疇について考察したのだが、労働概念は資本の主体的根拠となるべき用語であるから、労働━資本というセットが、近代言語体系の中心にあることを示唆したものと読める。こうした読みが可能であるならば、彼の書いたものはすべて言語の発生史論として読みなおすことができるかもしれない。たとえば、剰余価値学説史は、古典派経済学のなかで説明不可能であった、労働価値説と構成価値説のジレンマを突破するかたちで、新カテゴリー(剰余価値)を析出する過程を書いたものと考えることができる。すると、それは近代的な社会認識を近代批判の社会認識へ移行させる、言語移行論の準備なのである。共同主観性の移行を考えるばあいの礎石はこうしてマルクスによって、まだ学者の一部での変化にすぎないとしても、与えられている。

 おそらく、私たちの社会を新社会へ移行させるにあたって、常に民衆の使う言語が基盤になるとすれば、ますます言語発生史論は不可欠の武器となるだろう。言語発生史がすべての学問、教育過程の基礎となって、そこから私たちの明日の社会を構想する力が根拠づけられる日が今後来るかもしれないのである。従来「ヘゲモニー論」は、狭い政治戦略上の問題として処理されすぎたきらいがある。だが、ヘゲモニー論をもっとひろげて考えてみるならば、マルクスのカテゴリー論はまったく新しい視野を開いていたというべきであろう。


 3. 第三者der Dritteの発生について

 マルクスは、労働概念を起点とすることによって、もっと様々な別のカテゴリーについても論じているように思われる。

 それは第3者(三人称der Dritte)である。これまた商品経済と関わってのことだが、「共同体と共同体の接触から商品が生まれる」という場合、接触した時点で、共同体は互いに一種の「私的労働」になる。ゆえに、商品を生み出すのは「私的労働」であって、絶えず、私的労働は「抽象的人間労働」(これは「労働一般」という日常語をさらに学問的に抽象した言葉だ)を価値実体の一定量を含むものとして、他の「私的労働」と価値形態に入り込む。相対的価値形態と等価形態は、それ自体として見ればAとBの二者関係である。ここから、商品Aと商品Bの交換において、Aの価値実体(抽象的人間労働)は、Bの使用価値の一定量で表現されねばならない。相対的価値形態の位置にある商品Aは、等価形態の位置にある商品Bと対峙する。等価形態を担う特別の商品が次第にしぼり込まれて、A、B、C、D、E、F・・・が相対的価値形態にあって、特定の商品Xが等価形態に立つようになれば、一般商品の無限の系列がすべて一個の商品X(たとえば金)と交換されるようになる。これが貨幣の完成である。商品の無限性がたった一つの貨幣という商品のもとにへりくだるようになる。ゆえに、貨幣は特別な第三者である。商品群は第三者を除外するし、また貨幣は一般商品を排除して自己の権力を維持するようになる。AとBといった様々な商品が市場に入れ代わり立ち代わり入って来きて、商談が成立すると消費過程へ消えてゆく。ところが、こうした激しい流動の中で、貨幣だけは市場に残り続け、貨幣所有者はあれこれの寿命をもつ商品群をまるで不死鳥のように待ち、持ち手を変えて残り続ける。第3者は、この意味で超越的な審級として媒介性をもつ強力な権力なのである。

 貨幣は、この意味で、二つの異なる商品の価値実体の値踏みに公平な裁定をくだす特別な水準の権力者である。諸商品から見れば、貨幣は「公平な観察者(A・スミス)」「一般化された他者(G・H・ミード)」だから、商品たちの憧れである。しかし、この憧れの的の地位にどの商品も到達できないけれども、いずれかの商品をたえず析出しつづけなくてはならない。平等主義者である商品たちは、まことに価値対象性をもつがゆえに、権力的な貨幣を生み出すのである。

 この意味でマルクスは「価値形態論」において商品所持者AとBを扱う場合、つねに「三人の当事者drei kontrahenten」(MEW,Bd.23,S.163)を想定している。なぜ貨幣は生まれるのか。それは人々が皆「私的労働」の主体であるからだ。この主体こそ私人Einzelneである。私人は、互いに商品を所持し、市場で売ろうとする。だが、互いに自己の使用価値を欲しがる人にめぐり合うのは容易でないので、諸商品は「第3の商品dritte ware」、すなわち貨幣を群の外へ押し出す。近代民主主義とは、私人が集う民間領域が貨幣という絶対主権を析出することで、実在の国家Staatを支えるべきであるという近代神話をシンボライズするものだ。

 ひとたび「売りW-G」と「買いG―W」がスタンダードな富の交通形態になると、売買契約が成立したときに証人が法的に設定される。証人は、貨幣の支払いを強制する「一般化された他者」である。また「掛け売り」や「つけ」が行われた場合に、証文が交換の客観性を裏づけるものとして、水掛け論を仲裁する力をもつようになる。ゆえに契約には第三者の保証がつきものである。マルクスは、このように価値形態論に関わらせて「第三者(三人称)」が発生する史的理由を論じていると考えてもいいだろう。

 ぼくはもともとは森有正の三人称論からヒントをえて、社会科学の客観性の問題を考察したことがあるが、これをいまやマルクスとつなぐ道が見えてきた。各国語の歴史的研究でますます明確になっているのは、いわゆる「第三人称」がいつ頃生まれたかという研究である。諸説あるが英語では、1400年代に「彼he」が誕生し、そのごsheが生まれたという。どの地域の言語も、「これ」「それ」「あれ」という指示代名詞で会話主体の場所的限定からの距離の遠い者、あるいは不在の人物を話題にする。「彼」とは「かのひと」からの転生である。それが固定し、抽象化されて第三人称というトポスが生まれた。野口武彦の研究によれば、日本で「彼」「彼女」は明治維新以降成立したという(野口『三人称の発見まで』筑摩書房、1994年)。また、黄興濤の研究によれば、中国で彼女を意味する「她Ta」は、五四運動(1919年)までは存在しなかった。「他」によって性別抜きに第三人称は一括されていた。だが中国の西洋化、近代化にともなって、陳独秀が中心となり、魯迅や胡適等の加わった新文化運動(雑誌『新青年』に結集した)の成果として女性の三人称は、論争の上で、普及したという(黄興濤、孫鹿訳『「她」という字の文化史 中国語女性代名詞の誕生』汲古書院、2021年)。筆者は溝口雄三他編『中国思想文化事典』(東大出版会、2001年)を閲覧したが、女子の項でもこの「かのじょ」の欠落はなんら指摘されていないから、黄の她の研究は画期的なものである。西洋から伝播した三人称は、もともと商品経済に照応するべく出現したが、日本における三人称は英語の三人称よりも400年遅れており、中国の她はsheよりも500年遅い。なぜ東アジアでは三人称の出現はなぜかくも遅れたのだろうか。商品形態と思考形態は基本的に照応するものであるが、東アジアは、それだけでは方向しか説明できない。このタイミングの遅れは、中国固有の商品経済と儒教的伝統文化の双方から説明されねばならないであろう。これは、歴史的近代を超えて、フェミニズムを含む、人類の未来にまで波及する文化的意味をもつ問題なのである。

 それはともかくとして、なぜ、目の前に現前しない第三人称を話題にするのか。前述のようにそれは、商品経済の発展とむすびついている。人と人の交際範囲がたえず広域化し、共同体で「これ」「それ」「あれ」で充分であった身体的指示が、ある臨界点で壁に阻まれた。

 だから、マルクスによる「労働」という言葉の発生と「第三人称」のカテゴリーの使用は、相互に関連しあう。商品は平等主義者なので、主体(私、君、彼/彼女)を析出する。互いに労働を交換するブルジョア社会が徐々に日常の範型として生成する過程でぼくたちは「私」に気づき、「君」に気づき、そしてついに「彼/彼女」を必要にするようになる。

 その後の歴史を辿れば明らかであるが、「労働」と「人称的世界」が紡ぎ出されると、私たちは「貨幣」を求め、また「売れる商品」を求め、人生に「有用性」を求め、機能的合理主義を「ラショナル」な思考とするようになる。これは、ポジティブな意味を持つ。しかし、その反対側で「崇高なもの」「形而上学的なもの」「ユートピア」の崩壊をもたらすことになる。すなわち、功利主義的な人生観が一般化すればするほど、いったい「私」は何のために生きているのだろうか。ただ、じぶんのためにだけ生きているのだろうか。もしそうだとすれば、何の愛もなく、ただじぶんのためにいき、死んでしまうことほど恐ろしく、寂しい人生はないのではあるまいか。「だれかのために本気で一途につくしてみたい」。そうした苦悩が台頭しもする。だが、功利主義の支配はこうした願望を拒絶するのである。

 ある意味ではもう手遅れなのだ。功利主義の蔓延は止められない。このように、このまま進めば進むほど、社会は一種のニヒリズムに蝕まれていくであろう。

 経済体制としての資本主義は宿痾のようにニヒリズムを生み出す。これは富をどう処分すべきかという狭い問題設定の中での経済体制論を超えて、生の意味と世界観にまで及ぶ考察を刺激するであろう。

 ここでふたたび「労働一般」というカテゴリーと「人称的世界」の成立は何であり、人にとってどういう意味をもつものであったかが再検討される。「労働」と「人称」の成立は、たしかに商品―資本体制の産物だが、それはただ資本主義のイデオロギーに人が巻き込まれたというだけのことだったのだろうか。ある意味で無駄なことをしていたのだろうか。このことを問うてみたい。

 私たちは、まだもっともっと発展するであろう、商品経済の真ん中に生きている。言葉はそのなかから次々に生まれてくる。

 第一に「労働一般」以前のブリコラージュの世界、かの「野生の思考」の世界があった。自他の区別すらない「自他一如」、我も君も彼/彼女もない共同体の生き生きとした連帯世界があった。しかしながら、気の遠くなるほど長いこの連帯世界は終わった。

 第二に、その後「労働一般」が範疇的に確立し、我々を抽象的に結びつける非人格的な紐帯が成立することによって、我、汝、彼/彼女というフラットな人称的世界が形成された。人称的な項のなかに身分を超えて誰でもが入れるというのはまことに画期的なことで、人間という概念すらこの時期の産物である。

 順序が逆になるが、第一と第二の時期の間に、長い移行期がある。土地所有を媒介にした未発達な商品経済の時代である。貨幣が未発達で、代わりに土地所有者と農民の上下関係が機軸にあり、補足的に職人と商人が周辺を構成する。

 第二期のフラットな人称的関係は、心地よい開放的な関係のように見えるかもしれないが、そうではない。というのは、人称関係は総体として無人称の物象的関係(商品・貨幣・資本)に従属させられているからだ。ここでは、物象が主役であって、人称は物象の奴隷である。具体的に言うと、彼や彼女は、社長や部長であって、「我と汝」の世界には入ってこないし、また入ってこられても困る。人間は、階級や階層の人格化にすぎない。人格は階級や階層を生きている間なんとかかんとか「役role」を演じるが、その時期が終われば「役たたずuseless,worthless」となる。

 したがって、近代において成立する人称的関係は、物象に封じ込められて、主役にはなりえない。もしも、人称関係が物象から解き放たれて、本当にフラットに、互いに人格として尊重しあえる基礎となりうるならば、現在思考しうる範囲でもっとも解放的な人間と言えるかもしれない。

 この意味からすれば、近代は、いわば解放の可能性の萌芽とそれを抑制する現実との非常に複雑な層をなす言語的構成体である。おそらく、言語史的探求をもっと深めていけば、その重層を分節することができるようになるであろう。抑圧とは別の可能性はたしかに胚胎している。

 「労働」(労働一般)という範疇は、オートメーションとIAの発展の過程で、また人間がますます「機械の自己意識ある付属物」になる過程で、価値実体の尺度であることをやめるかもしれない。マルクスは『資本論草稿』で次のような、きわめて興味深い指摘をしている。


「生きた労働の対象化された労働との交換(生きた労働と死んだ労働の交換のこと----引用者)は、すなわち社会的労働を資本と賃労働との対立という形態で措定することは、価値関係と価値に立脚する生産との究極の発展である。この生産の前提は、富の生産の決定的な要因としての、直接的労働時間の大量、充用される労働の量であり、またどこまでもそうである。ところが、大工業が発展するのにつれて、現実的富の創造は、労働時間と充用された労働の量とに依存することがますます少なくなり、むしろ労働時間のあいだに運動させられる諸作用因の力Machtに依存するようになる。」「もはや、労働が生産過程のなかに内包されたものとして現れるというよりは、むしろ人間が生産過程それ自体にたいして監視者ならびに規制者として関わるようになる。機械装置について妥当することは、同様に、人間の活動の結合と人間の交通Verkehrの発展とについても妥当する。もはや労働者は、変形された自然対象(機械のこと---引用者)を、客体と自分の間の媒介項として割り込ませるのではなく、彼は、彼が産業的な過程に変換する自然過程(機械---引用者)を、自分と自分が思うままに操る非有機的自然とのあいだに手段として押し込むのである。この変換のなかで、生産と富との大黒柱として現れるのは、人間自身が行う直接的労働でも、彼が労働する時間でもなくて、彼自身の一般的生産力の取得、自然にたいする彼の理解、そして社会体としての彼の定在を通じての自然の支配、一言で言えば社会的個体の発展である。現在の富が立脚する、他人の労働時間の盗みは、新たに発展した、大工業それ自身によって創造されたこの基礎に比べれば、みすぼらしい基礎に見える。直接的形態における労働が富の偉大な源泉であることをやめてしまえば、労働時間は富の尺度であることを、だからまた交換価値は使用価値の尺度であることを、やめるし、またやめざるをえない。」(『資本論草稿Ⅱ 2』大月書店、489-490頁)

 現在、労働者は、AIやロボットの登場によって、ひょっとすると仕事を失うかも知れないという恐怖にさらされている。工場からブルーカラーが消え、またオフィスからはホワイトカラーが消えたとすら言われている。資本が支配する以上、直接的労働とその時間を盗まなくては資本は生きた吸血鬼としてやっていけない。にもかかわらず、人手不足や人件費のコスト高で、機械がたえず拡大された規模で導入され、無人の資本が生まれる。

 マルクスが述べている資本の自己止揚への傾向は、総資本の長期的な矛盾を想定したものである。それゆえに、短期の、狭い空間での、個々の企業、地域、国民社会の経営において、この矛盾がどのように不均等に現れるかについて、まったく捨象された多くの要因が見込まれるし、またさまざまな緩急が想定しうるのである。また、そうであるかぎり、この過程をもっと細かくカウントすれば、決して幸福な過程を約束するものでもあるまい。

 しかし、もし機械の導入が最高度に発展してくると、人間が直接労働から切り離され、ますます一般的な知力、自然理解力、社会体を運営するマネジメント能力を持つ方向へ導かれざるをえない。このことは、個々の企業が無政府的に競争しあった過去の時代を卒業させ、生産過程の主作用因であることをやめさせ、生産過程と並んで現れるところの高度に管理的な主体として人間を発展させるから、まさしく社会的個体を鍛え上げるに違いない。

 それは、本稿でとりあげた「労働(労働一般)」概念の発生、発展、死滅の最後の段階の到来である。もし労働が富の源泉であることが終わり、したがって労働時間が富の価値を測る尺度であることをやめてしまえば、生きた人間に残されるのは、人間の活動Tätigkeitの再評価、金に収れんする労働とは区別される諸活動の意味の開放へつながりうる。

 このことは労働から活動への人間の能産性の転換にとどまらない。人称世界もまた変わるのだ。商品経済ではつねに私人化と差別化によって人称関係は無人称的、物象的力によって疎外されてきたが、労働が活動へ転換するにともない、三人称を含む巨大な共同体をつくる足がかりになりうる(「ビートルズ革命の世界史的意味」拙著『坊っちゃんの世界史像』本の泉社、2024年所収)。これは興味深い主題である。


おわりに

 本稿は、かなり思い切って、哲学上の言語論的転回にまつわる議論を異次元へ投げ込んでみた。これは、いわゆる言語論的転回の先に想定されるテーマをより可視的にしてみたいと考えた、ささやかな結果である。まだ、ほんの試論的な域を出るものではない。多くの手つかずの論点を残しているのだが、それらについてはまた別の機会に論じることにしよう。(本稿はもともと『市民科学通信』第61号、2025年6月28日所収の拙稿「言語発生論について」を改題、加筆したものである)。


2025年9月25日 月刊『一望荒野』第2号 

「河上肇と夏目漱石の個人主義の差異について」

 なにせ河上肇(1879~1946)ファンは多い。河上はとても求道的である。ある意味宗教的なほどだ。しかも、彼は同時に科学的な真理探究におおいに尽くしたのである。だから、この求道性と学問性の二つの関係には凄味がある。そういう点が、万事合理主義だけの近頃の学者にない魅力である。

1.「日本独特の国家主義」(1911年)にみる個人主義の評価

 日本には天賦人権は存在せず、国賦人権である。ゆえに、天賦国権、国賦人権であるというのが河上の痛烈な人権論である。これが、大逆事件に憤慨した河上の文章であることを考慮すれば、明治憲法より大逆事件までの経過をみれば、自由民権と言われた思想運動は根づかなかったどころか、反対に否定され、国家主義だけが残ったという。

 4節で河上は「日本の国家主義と西洋の個人主義」を論じる。西洋では個人は目的であり、国家は手段である。しかるに、日本では個人は目的ではなく国家の手段にすぎない。

 と、こう論じる以上、河上が西洋個人主義を高く評価し、そこから見て、日本の個人主義の欠如を嘆いていることは明白である。と河上の言い分をまとめるなら、西洋=天賦人権=民賦国権=個人主義=民主主義、日本=天賦国権=国賦民権=反個人主義=反民主主義。

2.個人主義と国家主義の関係

 日本はかように国家主義であるから、とうぜんのこと個人主義は斥けられる。そして、ここからが河上の文の白眉である。「一見する時は国家主義と社会主義とはその性質相近似し、共に彼の個人主義と対峙するものの如く見ゆ。何となれば、かのいわゆる社会主義なるものは、一切の土地資本を公有となしすべての産業を公営となすべしと主張するものにて、いかにも個人主義と相容れざるがごとくなればなり。しかしながら、かくのごときは真に外形上の事なり。即ちその精神に至っては、いわゆる社会主義なるもの全く個人主義の上に立脚するものにほかならず。その土地資本を公有にし一切産業を公営にすべしというは、その事が国家のために必要なるがゆえにあらずして、まったく各個人のために必要なるが故にほかならず。即ちその根本の精神、本来の出発点、最後の立脚地は依然としてあくまでも個人主義なり」(『河上肇評論集』48頁)。

 すなわち、河上の定式によれば、その精神において見れば、個人主義=反国家主義=社会主義である。この「精神」が肝心である。歴史段階で見れば、個人主義は18世紀の産物である。社会主義は19世紀以来の新思想である。それらは異なる時代の異なる思想のごとく見える。だが、「その精神において見れば」、社会主義は個人主義の実現のための手段である。河上の社会主義論は、だから、「個人主義に立脚せる産業公有論そのもの」(同、49頁)なのである。

 河上は、ここまで個人主義の価値を高く評価し、それこそが社会主義を求めさせるものとしたから、日本の反個人主義のもとではついに国家主義が神としてまつられるところまで行くとした。その証拠に、国家、国家と念じる日本では、吉田松陰と伊藤博文は国家主義者だからこそ神として祭られるのだと結論づけた。

3.日本の社会学者戸田貞三にたいする河上の反発

 戸田貞三(1887~1955)という社会学者がいる。戸田の指導を受けたものは喜多野清一は当然としても、清水幾太郎、服部之総がおり、日高六郎も末弟にあたる。だから、師の思想と弟子とは区別されねばならない。その戸田に対して河上は追録で採りあげていて面白い。「戸田貞三博士は、西洋を以って主我主義の国となし日本を以って没我主義の国となし、この点に彼我民族性の差異ありと論ぜられた」。しかし、この「没我主義」は、河上の行論に沿って正確にいえば、国家に個人が対するときに「没我」となることを指しており、本質は「国家主義」である。ゆに、個人主義がない日本では個人主義から帰結する自治がない。官治あるのみとなる。国家有為の人物たれ、人の健康を祝するにも、なお邦家のためにこれを慶すといえり。国家々々、「ともかくも国家主義は現代日本の民衆的一般的信仰なり」(同、65頁)。

この時点で戸田の「没我主義」は、西洋の主我主義に育つ前段と位置づけられたかどうか、不明である。「没我主義」を西洋と異なる日本的美徳と考えた可能性もある。社会学者にはよくあるタイプだが、良い意味でも悪い意味でも実証主義的で、時局にYESともNOとも言わない。幸い戸田は積極的にファシズムに協力しなかったが、反対したわけでもなかった。このため、実証的には核家族論の成果をもって、戦後社会学会の設立に寄与した。悪人ではないが、まあまあやな、という人物である。河上が戸田の「没我主義」という概念を国家主義と言い換えたことは、戸田に痛烈な反省を迫る。なぜなら、「没我主義」は西洋に対する別(●)類型であるが、国家主義となると対立(●●)概念となるから、思想的対決を迫られることになる。あまり思想はなくても類型論をつくることはできるが、概念論をたてるためには一定の思想が必要となる。社会科学の場合、思想と科学はつきものであるが、思想には濃淡がある。この意味で、河上の学問はつねに思想的であり、比べて戸田には思想が希薄である。戸田は、それでも日本の社会学の歴史に残った。だが、河上ほどの永続性をもたない。

4.河上肇と夏目漱石はともに個人主義だが、微妙な差異はある

 河上が「日本独特の国家主義」(1911年、M44)を発表したあと、漱石(1867~1916)は「私の個人主義」(1914年、T4)という講演をおこなった。二人ともに、大逆事件(1910年幸徳秋水は天皇殺害を計画したとして死刑に処したでっち上げ事件、処刑は翌年)のことを重大な思想の自由の弾圧にかかわる問題であると考えていたことは間違いない。河上が「国家々々」と言い、漱石が「国家国家といってあたかも国家に取りつかれたような真似は到底我々には出来る話でない」と揶揄するのは、明確な思想的攻撃対象をもっている点で完全に同一である。

 河上が反国家主義的になればなるほど親個人主義に傾くのは当然である。同じく、漱石が「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える」(『漱石文明論集』137頁)と論じたのも同一趣旨である。

 河上は、その後どんどん思想的に進化して、ついにマルクス主義に到達する。漱石はロシア革命前年に死去したが、最後まで「社会主義と言われてもいい」とまで言っていた。

 しかし、二人とも、「組織の上に個人を置いてはならない」などと吹聴するようなタイプではなかった。

 私自身の概念を使えば、河上のいう天賦人権の個人主義はなお私人に取りつかれている限りでは個体主義ではない。「個人主義に立脚する産業公営」というのは、論理的に厳密に言えば「私人主義に立脚する産業公営」ということになるから論理矛盾を犯す。もう一段の論理的研磨を要する。漱石のいう個人主義は、金力と権力に抵抗することのできる個人主義の推奨である。その意味で、万人の自己決定の希求であるから、個体主義に入り込んでいる。

 いずれも個人主義なしには社会主義はないという点では同じであり、戦後の市民社会派マルクス主義(内田義彦、平田清明)にきわめて近い。だが、私自身は、漱石が個体の自己決定という思想にもとづいて社会を見ており、また、死後に出現したロシア・マルクス主義を断固斥ける骨格を十分に具備していたという点で、河上への共感を惜しまないが、漱石の賃労働批判には戦後のいかなる学派の研究をも超えるモメントがあると思う。


2025年8月25日 月刊『一望荒野』創刊号

篠原理論の主題と発展させるべき論点の提示(1)

                             

はじめに

 1970年代後半の「管理論論争」の特筆すべき論者の一人として、篠原氏は緻密な論理的読解を示した。とくに管理の二重性について、その貢献が著しい。あまり触れられないことであるが、当たり前すぎる事実に触れておこう。なぜ管理論をめぐる論争が1970年代に起こったか、である。それは、高度経済成長に伴って、労働者が増え、その一部が中間管理職になったという事実による。大卒者はまさにこの波に乗ることになった。大学の社会科学諸学部は、眼前の学生がいずれは実社会に出て管理労働者になるか、またはなんらかのかたちでそれと付き合わねばならないことをどう考えたらよいか、という課題に直面した。だからこそ、管理論論争には、経営学者のみならず、経済学者、社会学者、哲学者が横断的に参加し、学生の注目を引いたのである。

概して、それまでの議論は、資本家は搾取者であり、労働者は被搾取者であるから、労働者は連帯し、団結して搾取と闘おうという素朴な理論であり、それで充分であった。これは戦前の河上肇『貧乏物語』1916以来の一種の伝統でもあった。その後、河上はマルクス経済学者となりまた日本のマルクス主義も大いに興隆した。とはいえ、資本家的搾取が悪であり、労働者が貧乏と戦うべしとする論調は、戦前戦後ともに連続性を持っていた。

ところが、ここに管理論論争が起こったことは、戦後日本資本主義の発展を前提とする。労働者はそれまでのように被搾取で一枚岩とされなかった。管理労働者という層が生まれたという事実が何であったか。またこれをどう評すべきかが問われた。中間管理層は、賃労働者であるにもかかわらず資本家的機能を担当しなければならない。機能と雇われ存在の間に一種の「不協和」が生まれたことを意味した。

私はいまここで結論を書かないが、資本家機能を担当する労働者、管理労働者が徐々に増えることは、客観的法則である。ということは、労働者の「出世(上昇移動)」の余地が増えることを意味するのであるが、管理労働者も一般労働者もひとしく搾取される存在であることは同じである。だが、管理労働者が絶えず一般労働者からリクルートされることを考慮すると、管理労働者における機能と存在の関係次第では、一般労働者の担当する労働機能と存在の関係もまた影響をうける。それはさらに波及して「非正規労働者」や失業者の機能と存在に影響を与えるものである。

 いささかデフォルメすると管理論論争のなかには、管理労働者が左翼の政治勢力になれば、政治革新をつうじて、生産点を労働者階級が握ることができるという楽観論も一部にあった。それまでは、サラリーマンが出世することは、仲間を裏切って上に抜けがけすることであり、活動家が望むべきことではないという不文律があった。ところが、農業から工業へ、工業の中での地位の上昇は、止まりようのない流動化である。それに背を向けるのか、むしろ反対にすすんで管理労働者になって未来社会の人間と自然の物質代謝過程の重要な役割を引き受けていくことのなかに新たな使命があるのではないか。ここに新しい岐路がつくりあげられたことは、けっして小さいことではない。つまり、管理層に加わっても、左翼管理層になっていけば、未来は展望できるという立論の可能性があった。

しかし、論争から半世紀たった現在から見れば、こうした楽観論は現役学生に一瞬の革命的ロマンチシズムを与えたが、何の現実認識も残さなかった。資本主義の管理層はさほど甘いものではない。だから現実認識のうちにこうしたロマンチストを受けいれる余地はなく、「左翼管理労働者像」は徐々に消滅していったように思う。

 当時、篠原氏はこうした楽観論に厳しい批判を与えた。だが、かといって、悲観論に陥ったわけでもなかった。当時、管理労働者が出現した事態を「管理労働の社会化」と呼ぶことは共有事項であった。これを篠原氏は事実ないし傾向として認めたが、むしろ、そこからどういう事柄を考えるべきかを集中的に考察したところに氏の固有性があったと言える。氏は非常に目立たない箇所で「管理の社会化」は「管理の民主化」を意味しないと述べている。ここに勘所があった。

もっと大きい視座で定式化してみると、こう言い換えてもよかろう。氏は『資本論』を読む場合、社会化論を認めないわけではないが、物象化論を重視した。だから、「社会化論」と「物象化論」の双方を突き合せたうえでの「民主化」の提示に固有の主題を置いた。私たちが氏の到達を認めたうえで今後発展させるべき論点はそこにあると私は考えている。

 

1.「通説二重性論」への批判

(1)通説と篠原説の対比

多くの論者は、『資本論』に依拠して多くを論じたが、二重性とは、たんなる労働過程、すなわち労働過程一般(歴史貫通的側面)と価値増殖過程(利潤を追求する過程、特殊歴史的側面)の統一であると理解した。これに対して篠原氏は、論理次元の違うものを統一することはできないのだから、「資本主義的労働過程と価値増殖過程の二重性」と理解すべきであると説いた。「一般的規定としての管理の二重性は、資本主義では価値増殖的側面と資本主義的労働過程的側面の二重性となって定在していることになる、といえよう」(『現代管理社会論の展望』218頁注5、あるいは『現代管理論批判』27,28頁)。しばしば誤解されることであるが篠原氏には「『管理の二重性論』批判」と題された論文があるために、篠原氏が一切の「二重性論」を批判したかのように思い込む人がいる。けれども、篠原氏は、正確な二重性論をきちんと定義している。つまり、論理次元の違うものを二重性として把握するのが間違いだから、論理次元を同一にして把握せよと述べたのである。

(2)管理の二重性と諸個体/諸個別者

篠原三郎氏(1978『現代管理論批判』新評社)は、1970年代後半様々な論考を発表し、もっとも多産であった。私は2022年以降、マルクスのIndividuum個体とEinzelne個別者=私人を区別すべきであるという自説を展開中である。この二つの概念を区別する視点からあらためて篠原理論を考えてみよう。たとえば氏の「管理の二重性論争とその問題点」(1977年初出)を見よう。

論争の焦点は、 多くの人々(角谷登志雄、山口正之、浅井啓吾など)が商品の二側面(価値と使用価値)、生産 過程の二重性(労働過程と価値増殖過程)などといった、超歴史的なものと特殊歴史的なものの統一と闘争という把握をし、この延長上で管理の二重性論を理解していることに関連する。篠原理論は管理の二重性に関しては超歴史的なものと歴史的なものの二重性という理解は正しくないという問題を提起した。内田義彦『資本論の世界』1968年以来の「歴史貫通的」という言葉を氏は重視した。内田は、「超歴史的」という言葉によっては、自然と人間との物質代謝過程の各体制ごと、局面ごとの労働過程の変化が歴史の外に置かれてしまうという危険を感じて、それを退けるためにあえて「歴史貫通的」という造語を提起したのであった。それを篠原は踏まえていた。

2.生産一般と資本主義

歴史貫通的なものと特殊歴史的なものの関係をどう扱うかについて、一つの極端な立場をとったのは山口正之氏であった。彼は、労働過程が本質であり、それが歴史上価値増殖過程として現れるというふうに、本質/現象の関係で二重性を把握し、本質が次々に歴史的な現象(外皮)を脱ぎ捨てる過程として「労働の社会化」「管理の社会化」を位置づけた。つまり、このような把握によれば、社会の革命的な変革というのは、本質が現象を打倒する過程である。あるいは生産の本質または一般的法則に依拠して、資本主義的法則を捨てる過程であるということになる。たしかに、たとえば経済恐慌がおこったときに、我々は供給と需要がなんとか一致するように、恐慌を克服しようとするだろう。これは生産の一般的法則によって、その特殊歴史的な価格変動を制御することだと言えるかもしれない。だが、言えるのはそこまでだ。なぜなら、生産一般というのは、現実からの抽象であるから、ほとんど空虚な内容しかもちえない。需給の一致が望ましいというのはこの空虚さが言いうる限界であろう。

実はこの問題についてマルクスは『経済学批判要綱』の時期にかなり思索を重ねたらしい。最近渡辺憲正氏が『マルクス物象化論の研究』(桜井書店、2024年)で丁寧に解明したように、 マルクスは生産一般と特殊歴史的な生産形態(たとえば資本主義)を対比することで後者の特徴を際立たせるプランを構想していた。それは『経済学批判要綱』における1857年11月の序説ノ ートにおいて鮮明である。すなわち、この時期の経済学批判のプランは3つあったプランの最初のもので、すぐに捨てられたのだが、その順序は、(1)一般的抽象的規定、(2)ブルジョア 社会の内部編成、(3)国家の形態におけるブルジョア社会の総括、(4)生産の国際的関係、 (5)世界市場と恐慌であった。

ここにいう(1)一般的抽象的規定がまさに生産一般にあたる。これを置く理由は、ブルジョア社会が永遠の生産ではないということを際立てるためであった。しかし、同じ時期の「貨幣の流通」項目に登場する第2プランでマルクスは、生産一般の諸規定を除外した。除外してどうなったかというと、 いきなり資本から始めるのである。最初のプランでは生産一般があった。これはどのような社会にも存在する共通性である。それは過去から未来へ、いつの社会にも取り出しうる、ある論理次元である。生産一般から次に資本を論じるという第1プランにおいては、歴史貫通的なものから特殊歴史的なものへという順序で論がすすむ。これは、目的は異なるとはいえ、ブルジョア経済学と同一の叙述となる。「ブルジョア的諸関係が、社会一般の覆すことのできない自然法則として、まったくひそかに押し込まれる」(MEGAⅡ/1 S.24)からだ。生産一般を論じる目的はマルクスのばあい、ブルジョア経済学とはまったく逆であるが、「飛躍」(ibid.,S.25)があることは同じである。渡辺氏は、この問題において、マルクスが論理=歴史説から論理説へ転換を図ろうと決断したのだと推論している(1)。 これはいろいろの意味で刺激的な示唆を与えている。論理説というのは、資本の内的編成から始めるということ、したがって、『経済学批判』1959以降のマルクスはあくまで歴史的発生論 ではなく、存立構造論の立場でものごとを書いており、その分析的な抽象が一旦歴史貫通的な次元までとどいたばあいに、たとえば旧共同体やアソシエーションでいかなる別の形態規定をとるかを対照化する。だから、論理説はもはや論理=歴史説に舞い戻ることはない。ブルジョア経済学の「飛躍」もこれによって避けうることになり、もともとあった歴史的規定性を際立たせるという目的もまた維持できる。

だから、山口説のように、歴史貫通的なものが歴史的なものとなって「現れる」というのは、 いわば『経済学批判要綱』以前の目で『資本論』を読んでいた、ということになるだろう。これでは、存立構造論の重要さが読み取れない危険が出てきてしまうのだ(2)。

3.篠原理論の着眼

ここで述べた存立構造論の視座をずっと前から考えてきたのが篠原理論だったと私は思う。そうでなければ、他の人の管理論をとりあげて、「適用される対象と論理次元に相違がある」(『現代管理論批 判』18 頁)という指摘は生まれまい。 篠原理論の重要な点は、歴史貫通的なものと特殊歴史的なものの二つの規定が二重性を構成しているという商品論や生産過程論の理解とまったく同一の論理で管理論をつかんではならないというものであった。氏によって批判された見解は、「どんな結合的生産様式でも行われなければならない生産的労働」という一般的機能が裸で実在するかのように考えているが、篠原氏は、 「管理一般はそれ自体として存在するものではなく、歴史的形態をとって実在しているものである」(19 頁)と言う。 まず論争で誰もが引用する『資本論』第3巻の管理論はこうなっている。 「監督や指揮の労働は、直接的生産過程が社会的に結合された過程の姿をとっていて独立生産者の孤立したvereinzelte 労働としては現れない場合には、どこでも発生する。しかし、この労働は二重の性質のものである。 一面では、すべての多数の個人Individuenが協業する労働では、必然的に過程の関連と統一 とは一つの指揮する意志に表され、また、ちょうどオーケストラの指揮者の場合のように、部分 労働にではなく作業場の総活動に関する機能にも表される。これは、どんな結合的生産様式でも 行われなければならない生産的労働である。 他面ではー商業的部門はまったく別としてーこのような監督労働は、直接的生産者としての労働者と生産手段の所有者との対立にもとづくすべての生産様式のもとで、必然的に発生する。こ の対立が大きければ大きいほど、それだけこの監督労働が演ずる役割は大きい。それゆえ、それは奴隷制度のもとでその最高限に達する。しかし、それは資本主義的生産様式でも欠くことので きないものである。なぜならば、この生産様式では生産過程は同時に資本家による労働力の消費過程だからである。それは、ちょうど、専制国家では政府が行う監督や全面干渉の労働が二つの ものを、すなわちすべての共同体の性質から生ずる共同事務の実行と、民衆に対する政府の対立 から生ずる独特な機能との両方を包括しているようなものである。」

念のため対応する原文を引用しておく。Die Arbeit der Oberaufsicht und Leitung entspringt notwendig über all, wo der unmittelbare Produktionsprozeß die Gestalt eines gesellschaftlich kombinierten Prozesses hat und nicht als vereinzelte Arbeit der selb ständigen Produzenten auftritt.Sie ist aber doppelter Natur. Einerseits in allen Arbeiten, worin viele Individuen kooperieren, stellt sich notwendig der Zusammenhang und die Einheit des Prozesses in einem kommandierenden Willen dar, und in Funktionen, die nicht die Teil arbeiten, sondern die Gesamttätigkeit der Werkstatt betreffen, wie bei dem Direktor eines Orchesters. Es ist dies eine produktive Arbeit, die verrichtet werden muß in jeder kombinierten Produktionsweise. Andrerseits - ganz abgesehn vom kaufmännischen Departement - ent springt diese Arbeit der Oberaufsicht notwendig in allen Produktions weisen, die auf dem Gegensatz zwischen dem Arbeiter als dem unmittel baren Produzenten und dem Eigentümer der Produktionsmittel beruhn. Je größer dieser Gegensatz, desto größer die Rolle, die diese Arbeit der Ober aufsicht1* spielt. Sie erreicht daher ihr Maximum im Sklavensystem. Sie ist aber auch in der kapitalistischen Produktionsweise unentbehrlich, da hier der Produktionsprozeß zugleich Konsumtionsprozeß der Arbeitskraft durch den Kapitalisten ist. Ganz wie in despotischen Staaten die Arbeit der Oberaufsicht und allseitigen Einmischung der Regierung beides einbegreift: sowohl die Verrichtung der gemeinsamen Geschäfte, die aus der Natur aller Gemeinwesen hervorgehn, wie die spezifischen Funktionen, die aus dem Gegensatz der Regierung zu der Volksmasse entspringen.(MEW,Bd.25,S.397) 

さて、ここにIndividuen(Individuum の複数)と kombiniert が登場する。諸個体 Individuen は上 の個別化された労働vereinzelte Arbeitの反対語だから、vereinzelt から派生する個別者Einzelne と個体 Individuum は反対語であるという(私がかねてより指摘している)用法が貫徹している。ただしここでkombiniertはkapitalistishの反対語になっている。これは変則的用法である。というのも一般にこれらは同義語だが、大谷禎之介 氏(『マルクスのアソシエーション論』桜井書店、2011年)がkombiniertとassoziiertを反対語と みなした場合の例外として、再帰動詞の過去分詞と考えなくては意味が通らないケースがあるという。これはたとえkombiniertでも、資本が外から掴んでいるのとは違い、労働者自身が能動的な意味を持って行為する場合にあたる。だから、例外的にこのkombiniert1はassoziertと同義と読まねばならない。

1970年代の篠原氏は、おそらく格別こうした区別を知らなかっただろうが、このコンテクストでは大したダメージになっていない。

管理の二重性は生産過程の二重性 (労働過程と価値増殖過程)のような歴史貫通性と特殊歴史性の二重性ではなく、資本主義的労働過程と価値増殖過程の二重性としてつかまれねばならないということである。篠原氏以外の論者は この論理次元の相違になんら注意せず、管理労働は超歴史的な規定と歴史的な規定の二重性であるというふうにつかんでいた。こういう(篠原氏の)緻密な解読によって、ふつう読み飛ばされる第1巻第3篇第5章の「労働過程と価値増殖過程」の箇所がはじめて正確に読めるようになる。

この点もしばしば篠原氏は語っていた。マルクスは、 労働過程一般の性質は、労働力が商品化されることによってふたつの特有な現象を示すようになると言う。①資本家は生産手段が合目的的に使用されるように見守る。②労働者は生産者一般ではなくなり、労働力の所持者となったから、労働過程は資本家が買った物と物とのあいだの一過程となる。労働過程一般は、ここで特殊歴史的な、そう言うべきなら資本主義的労働過程へと変化する。

以上2点の考察は、『資本論』が存立構造論として書かれていることをよく示すものだ。つまりマルクスは1867年(49歳)当時、非常に成熟した目で事柄を記述する。

4.マルクスは論理次元の相違を無視したか

「監督や指揮の労働が資本の対立的性格、資本の労働支配から発生し、したがって、階級対立にもとづくすべての生産様式と資本主義的生産様式とに共通なものであるかぎり、この労働は、 資本主義体制のもとでも、すべての結合された社会的労働alle kombinierte gesellschaftliche Arbeit が特殊な労働としてals besondre Arbeit 個別的諸個人 einzelnen Individuen に課する生産的諸機能と直接に不可分に混ぜ合わされている」

この引用文に関する篠原氏の読みは、実に興味深い。氏によれば、一般的機能と歴史的に規定された機能は論理次元が違う。にもかかわらず、歴史的な機能が「すべての結合された社会的労働が課すところ一般的機能と直接に不可分に混ぜ合わされている」などということが起こりうるのかを氏は問うからだ。この鋭さは、マルクスがまさに意識していた存立構造論から出てくる問題関心を篠原氏が理解していたことを意味する。

篠原氏以外にこれに気づいた論者は皆無だった。先に労働力の商品化によって労働過程一般が資本主義的労働過程に変わる(ゆえにふたつの特徴が加わる)というふうにマルクスが処理していたことを踏まえると、篠原氏の問いはまさに正鵠をえた問いかけだったと言わざるをえない。

「しかり」というのは、一般的機能は、まさしく篠原氏が指摘する通り、個々の社会を超えた共通性であり、抽象の次元が高いのであるから、そのまま歴史性と混ざることなどありえない。まことにもっともな指摘である。しかし、私はそこに注釈を加えたい。というのは、まさにマルクスは、先に資本主義的労働過程という媒介項を入れたのとまったく同じやり方でこの文章を書いているからだ。すなわち、この共通性は抽象の次元が高い、したがって歴史性が希薄なものなのだが、しかし、搾取するという機能(歴史性)をなりたたせるためには、すべての結合された社会的労働alle kombinierte gesellschaftliche Arbeitが求める「諸個体の活動の調和を媒介する機能」を全員で担うのではなくて、特殊な労働としてals besondre Arbeit 個別的諸個人 einzelnen Individuen に、固定分業的に課するのでなくてはならない。だから管理労働の高度な抽象性、すなわち超歴史性は、そのまま資本主義に混ぜ合わされることはできないけれども、特権的な資本家または管理労働者という上層労働者の機能として、歴史的に特定化されてはじめて「混合」されうるのである。

マルクスは超歴史的機能がそのまま歴史的なものに混合されると言っているわけではない。そうではなくて、具体的な歴史の次元へ厚みを増して降りてくる場合、その時々の歴史的に規定された搾取機能と混合できるのは、ただ「バラバラな私人」の特殊労働として請け負われた場合だけだと言っているのではなかろうか。マ ルクスがわざわざ搾取機能は「個別的諸個人(einzelne Individuenつまりバラバラな私人たち)に特殊な労働としてに課する生産的諸機能と直接に不可分に混ぜ合わされている」と限定を付け足して論じたのは、あらかじめ生産的機能が全員による民主的管理機能から疎外されて、一部の「個別者」に特権化されたうえで「混合される」と言いたかったからであるようにも読めるのだ。

ゆえに篠原氏が「混合される」というのは表現として適切ではないと指摘したのは、あくまでも超歴史的機能と歴史的機能が「混合」されるかのように読まれる危険を感じてのことである。それはそのとおりである。ただ、私が言いたいのは、ここでeinzelne Individuenという言葉が入っているのは、互いの労働の調和を媒介する機能、この意味での生産的機能がグラスルーツから切り離され、疎外され、特権的管理者の独り占めの機能に独占されているということだ。そのように、捻じ曲げられた媒介機能、本来は自治の機能に内属すべきものが資本のもとでは特権的管理者という外的存在に吸い取られてしまって、一般的生産的機能が、階級的な搾取の機能と「混ぜ合わされる」と論じたまでのことだと思われる。

これは表現として適切でないけれども、マルクスの方法意識が働いていることを認めたいと私は思う。つまり、篠原氏の深い方法意識と完全に同一の方法的神経を使ってマルクスが事柄に応えているまさにその箇所なのだと読み取りうる。

たとえば、近代の公的な国家権力は、本質的に資本の代弁者にすぎないとはいえ、住民の生活道路を整備する(共同事務という一般的機能)ことによって総資本のために機能することができる。つまり、一般的機能は、いったん歴史貫通的なものとして抽象されたわけであるから、そのままで実在するわけではないが、トータルな資本の支配、搾取の遂行にとって有効であればという条件付きで、そしてその限りで、 歴史的に規定された機能と「混ぜ合わされる」のである。このばあい、歴史的に規定された機能が主軸であることは言うまでもないが、この主軸を維持するために、一般的機能は時代に応じて選択的に取り込まれる形で「直接に不可分に混ぜ合わされている」ということは起こりうるし、また現に起こっている。しかし、歴史的に規定された機能が主軸であらねばならないのだから、どれほど住民運動が強くても、生活用道路に産業用道路の機能を持たせようとこころみるにちがいない。

肝心なことは、篠原氏が言う通り、論理次元が異なるものをそのまま二重性として掴むことはできないということであって、管理論の次元で言えば「価値増殖過程に基礎づけられた労働過程の二重性は具体的有用労働の側面、労働過程論的側面にそくして考えられるものである」ということである。「そくして」というのは、価値増殖過程に応じて労働過程は絶えず変容し、形成される、その使用価値の歴史性において、ということなのである。

私は『資本論』が商品論から資本論へ論理次元を上げる(具体へ近づく)ばあいにたえず個体と私人の違いについて関心を払っていると思うものであるが、 篠原氏の問題意識はまったくそれにふさわしいのである。協業論を読み進む場合もそうである。有名な記述でマルクスは協業をこう論じた。 「すべての比較的大規模な直接に社会的または共同的な労働は、多かれ少なかれひとつの指図ディレクションを必要とするのであって、これによって個体的諸活動individuelle Tätigkeitの調和が媒介され、生産体の独立な諸器官の運動とは違った生産体全体の運動から生ずる一般的な諸機能が果たされるのである。単独のバイ オリン演奏者自分自身を指揮するが、ひとつのオーケストラは指揮者を必要とする。この指揮や媒介の機能は、資本に属する労働が協業的になれば、資本の機能になる。資本の独特な機能とし て、指揮の機能は独自な性格をもつことになるのである。 (MEW,Bd.23,S.350)

従来の訳では、下線部のdie Harmonie der individuellen Tätigkeiten vermittelt を「個別的諸活動の調和が媒介され」と訳していた(大月版、岩波版、新日本版)。だが、細谷昂氏がかつて指摘したよう に、マルクスは歴史貫通的な人間の営みを「賃労働」と区別して「諸活動Tätigkeiten 」とすることが多い。これを考慮すると、「個別的諸活動の調和」という訳はいかにも不自然である。なぜなら、個別者は疎外された存在だから活動しないと思われるし、互いに活動をやり取りする際に、私利私欲でおこなうから、原理上調和できない、または調和が難しいからだ。ゆえにここで述べられているのは、私人の協業とは違って、諸個体が歴史貫通的に力を合わせて調和的に働きうる、外的妨害がないばあいの事態を、まさにひとつの抽象において論じたものであろう。だから、「個体的諸活動」と訳さなくてはならない。協業章で「価値生産では、多数はつねにただ多数の個別者として数えられる」(Bd.23,S.341)を「多数の個」と誤訳してきたツケが、管理労働の場でも再現され、諸個体の協業と私人の協業の決定的な違いを見落とさせている。ついでに言えば、最近の筑摩書房版『資本論』も同じ過ちを繰り返している。

「それゆえ、資本家の指揮は内容から見れば二重的であって、それは、指揮される生産過程そ のものが一面では生産物の生産のための社会的な労働過程であり、他面では資本の価値増殖過程であるというその二重性によるのであるが、この指揮はまた形態から見れば専制的である。」 (ibid.,S.351)

協業章の管理の二重性論は、あまりにも圧縮しているので、上に見た第3巻との整合性を考慮して読まねばならない。 マルクスは第一に歴史貫通的な諸個体間の協業を論じる。これは調和的でありうるから諸個体の諸活動がディレクションによって媒介される。このディレクションは搾取機能なしでも自立できる。純粋に調和を媒介するだけだ。そして、踏み込んでいえば、「諸個体の活動の調和の媒介」という一般的諸機能が果たされるだけで十分であるから、資本主義総体が養育費を削って人を「分業に凝固化させる」(『ドイツ・イデオロギー』)こと、この条件が消えてしまうならば、指揮者はたっ た一人の特権的な人物に凝固する必要はない。そもそも特別な人に分業が固定化するのは、養育費の開放がないからなのだ。

諸個体による社会的労働過程においては、演奏者が指揮を持ち回りで分担したり、弦楽四重奏のばあいのように、指揮者なしで指揮機能を誰かが引き受けることが可能になる。「諸個体の活動の調和を媒介する」機能は、特定の社会とは無関係な抽象において得られる。しかし、だからこそ、一定の歴史的条件を、たとえば非資本主義的な歴史的条件を確保することが可能になれば、ジャズのように、ディレクションを即興で各自がつないでもよいのだ。

ジャズはもっともアナーキーな音楽表現の極限であるが、それでもディレクションの一般的機能が消えるわけではない。分権化されているにすぎない。 これにたいして第二に、「賃金労働者の協業は、ただ単に、彼らを同時に充用する資本の作用である。彼らの諸機能の関連も生産的全体としての彼らの統一も、彼らの外にあるのであり、彼 らを集めてひとまとめにしておく資本のうちにある。」(ibid.,S.351) ここでマルクスは一方で諸個体 Individuen の諸活動の調和的協業を、他方で賃労働者 (Bd.,23,S.351, der einzelnen Arbeiter つまり個別的労働者)の協業を比較対照し、前者では媒介機能は活動の共同性に内属するが、資本のもとでは媒介機能は敵対的なかたちで統一を外部化させると述べている。この違いを論じて、後者では前者の媒介機能が資本による「外」からの統一に内部化されてしまうと考える。

すると後者には前者に存在しなかった「資本家の計画」「資本家の権威」「自分の目的に従わせようとする他人の意志の力Macht eines fremden Willens」が存立するようになる。これこそが、社会的労働過程一般が資本主義的労働過程になることでどう変化するか、である。前者の 指揮・監督・媒介の機能は資本の機能に「なる」のだ。この場合、諸個体の諸活動individuelle Tätigkeiten の協業は、さしあたり歴史貫通的なものであるが、それは 資本主義的労働過程の協業に歴史的なものとして同格化されることをつうじて、価値増殖過程の相手(または手段)となる。しかし、媒介の機能は、本当に調和させる機能ではなく、調和を欲しながらも換骨奪胎されて資本の機能(搾取機能)に内部化されると読むべきであろう。

およそ以上のように読むことによって、私の個体/個別者(私人)の議論を導入した場合に読み取りうることを1970年代に読み取っていた。

ところで、管理労働の社会化が高度に進行するという事態は、いまや1970年代よりも一層進んだ。ゆえに一般労働者から個別的労働者を抜擢、リクルートして、あるいは監督機能を「ふたたび一つの特別な種類の賃金労働者に譲り渡す」(ibid.,S.351)のであるから、これは潜在的に労働者諸階層内部の葛藤と緊張を再生産する。

これをいかにして解きほぐすかという主題についてわたしの知恵は限られている。篠原流の言葉で言いかえれば、これは「管理の社会化」は「管理の民主化」となるどころか、それを否定して進行しているということである。労働者の内部の諸階層化が拡大すればするほど、ディレクションは、労働者の内部から外部へ遠隔化されてしまう。これを外部化、遠隔化させることなく、労働者に近づけ、内部化できるようにするには、ではどういう手立てがあるだろうか。

ひとつのヒントは社会権である。現在までのところでは公法とも私法とも異なる社会法(社会権)が、私法の限界から生じ、 そして公法の中へ浸透していく傾向はまだ完全に消えたわけではない。このことが非常に重大な歴史的意味をもつことだけ指摘しておきたい。 現在は新自由主義の進行途上にあり、脱社会権の動きが出てきて久しい。脱社会権化は、資本家と労働者をもっともと私人化させるものである。そうなればなるだけ一層、ディレクションは遠隔化し、外部化する。これに対して、私人でもなく、公人でもなく、公法内部の社会権の適用範囲が大きくなるならば、つまりこなれない言葉だが、人間の「社会権人化」が成熟をとげるならば、けっきょくは人間を個体として大事にすることがますます可能になる(4)

 

2.『資本論』と史的唯物論の関係の再検討

 また少なからぬ論者は、史的唯物論を「歴史貫通的なもの」と「特殊歴史的なもの」の二重性から解読し、その理解に立って生産力と生産関係の矛盾を捉え得ると考えた。それが『資本論』に適用されたために、労働過程を歴史貫通的な生産力であると考え、価値増殖過程を特殊歴史的な生産関係と考えた。しかし、篠原氏は、『資本論』を正確に読んで、史的唯物論をこの読解との関係から豊饒化させようとした。すると、二重性の理解が変わった。氏には「管理技術の継承論と史的唯物論」(『批判』第2章)という労作がある。ここで篠原氏は「資本論」と史的唯物論を切断したり、分離したりすべきだと述べたことは一度もない。むしろ『資本論』を読み込んで史的唯物論を再考したのである。ゆえに篠原氏は両者の「関係の捉え方の再検討」(『展望』216頁)を積極的に提案していたのである。

「導きの糸」としての史的唯物論を軽視せず、しかし、『資本論』の読解から、通俗的な史的唯物論解釈を問い直すことをつうじて、両者の関係の捉え方を再検討するというのが篠原氏の学問的態度であった。

 

3.社会科学にける抽象の次元を区別することの大切さ

 論争をつうじて、篠原氏は、論理次元の区別をつとに強調した。すると、管理の二重性を同一論理次元に均しておいて考えることができるようになった。二重性は、資本主義的労働過程と価値増殖過程の二つの側面の二重性として捉えるべきことが解明された。では、たんなる労働過程という論理次元、多くの論者が頼ったところの歴史貫通的な、超歴史的な、いかなる社会形態からも抽象された労働過程は何のためにあるのか。これについて篠原氏は、「社会科学の解明していくべき課題は『特定の社会形態』における労働過程にあるのであって、そのための理論的な前提として、労働過程の一般的な規定が求められているのである」(『批判』28頁)とした。価値増殖過程と並べられるべき資本主義的労働過程は、その前提にたんなる労働過程を置くのであって、それを資本主義的に、一段具体度を上げる(抽象度を下げる)から得られるものである。この意味では、論理次元の抽象度の高いものから並べると、①たんなる労働過程、②資本主義的労働過程、③価値増殖過程となる。二重性を構成するのは②と③であることは言うまでもない(むろん三重性説などではない)。では、②と③の関係を二重性と把握する篠原理論をもう少し別の角度から考えてみよう。

4.生産関係が生産力の一要因であること(『現代管理論批判』1978年、99頁)

 はじめに 篠原三郎氏がマルクスの二重性論を批判的に解読するなかで、①歴史貫通的な労働過程、②資本主義的労働過程(1)、③価値増殖過程という3つの異なる範疇を読み取った仕事は、必ずしも多くの人々に共有されていない。氏は、いわゆる管理の二重性とは正しく言えば②と③の二重性であると規定する。では、いかなる社会形態からも抽象された一般的規定としての労働過程、つまり①は何のためにあるのだろうか。特殊歴史的な価値増殖過程と同格の側面として統一されるのは③資本主義的労働過程である。①は同次元にはないから、同格化されていない。

しかし、現にそれだけで存在するわけではない、たんなる労働過程一般は資本主義的労働過程を考える前提として役に立つのである。あるいは、現に眼前にある資本主義という現実のなかにも、資本主義に還元しきれない、どの社会にも共通するところの抽象的次元が存在することを①は教えてくれる。②は、①がそのままの抽象性では実在しないが、ある変化(二つの変化)をもって、変容つきで実在することを教える。

だからこそマルクスは資本主義的労働過程という範疇を『資本論』に残したというのが篠原理論である。すなわち資本主義的生産過程は、資本主義的労働過程と価値増殖過程の統一として把握しなければならないと言う。 この解読を裏づけるのは、『資本論』の第3編絶対的剰余価値の生産 第5章「労働過程 と価値増殖過程」の労働過程論の末尾にある次のようなくだりである。 「ところで労働過程は、資本家による労働力の消費過程として行われるものとしては、二 つの特有な現象を示している」 マルクスはこう述べた後、①労働者は資本家の監督Kontrole のもとで労働し、彼の労働 はこの資本家に属する。それゆえ、資本家は労働者の労働を監視下におくaufpassenこと。 ②労働生産物は資本家の所有物となること、をあげた。 これら二つの特有さは、特殊歴史的な現象であるから、労働過程一般を論じる段では現れない。同じ労働過程であっても、価値増殖過程によって規定されたところの労働過程(資本主義的労働過程)をマルクスは論じたい(一段上向する)のだから、篠原氏はここに注目し、これを「資本主義的労働過程」と呼んだわけである。 本稿は、篠原氏がなげかけた独特のカテゴリーがどういう意味をもつものであったかを再検討し、その意義を位置づける試みである。

理論の適切な抽象度とはどういうものか 1970 年代後半に起こった論争(管理論論争)において、多くの論者が二重性を歴史貫通性と特殊歴史性の関係として把握できると主張したのに対して、篠原氏は労働過程/価値増 殖過程という組み合わせに執拗に反対した。氏によれば、そうではなく、事態を資本主義的労働過程/価値増殖過程というふうに二つの側面からなるものと分析し、統一することがただしい方法なのである。しかも、こう考えてこそ具体的な管理様式の歴史的変遷を扱いうるとも述べていた。

すなわち管理論は、資本主義的労働過程の範疇があってこそ、具体的に分析できるのであって、歴史貫通的な労働過程はまさにいかなる社会形態からも抽象されているから、管理様式の歴史的変遷を具体的に分析する道を開くためには、そこへ歴史性をつけ足さねばならないということである。 まことに示唆的である。 さて、本稿は篠原説に立った上で、このことが無視できない問題提起を含んでいると受け止めて、その可能性をもっと拡張してみたい。

一般に搾取のない社会とか無階級社会という場合、従来の非同格的二重性論で考えるならば、労働過程は自然と人間の物質代謝過程一般として想定されるわけだから、価値増殖過程が廃棄された後には、この抽象的次元がのこるというふうに考える。このとき、篠原氏が考えた通り、労働過程は一体どういう歴史的規定性を持つようになるのかということはいっこうに問うべき問題になってこない。搾取がなく、したがって価値増殖過程がないなら、いわば無規定の、歴史貫通的労働過程が無加工のまま遺されるとしか考えられないことになるだろう。

だが、もしも『資本論』がそう考えているように、資本のもとで労働過程に起きた特有さに引き続き注目するならば、労働過程はいったいどうなるのか、という問題が積極的に考えられなくてはならないはずである。 当然、①資本家の監督コントロールと②資本家による生産物所有は、価値増殖過程の廃棄 ともに変化するはずである。いま②生産物所有のほうは比較的簡単である。すなわち、生産物所有は、生産手段の所有が資本家的私的所有から個体的所有に転換するがゆえに取得様式は変わるし、変わらねばならない。すると、生産物の一部は生産手段になるのであるから、取得や所有が変われば、生産手段の個体的所有を維持する方向へ貨幣の使い方、投資様式が変わる。すなわち、生産手段の個体的にして共同的所有が再建されるわけである。これに異存はあるまい。

むしろ難しいのは①資本家による労働者の監督コントロール(言いかえると専制支配と別の個所では言われたもの)のほうがどういう変化を被るかである。ここには様々な応えがありそうなのだ。資本家は排除されるとすると、監督コントロールを務めていた機能は誰が握るのか、が問題になる。それは国家である、というのがソ連型社会主義であった。国家の中身は、より具体的に言えば、国家の官僚であるか、または役人をさらに上から指導する共産党が想定されていた。

だが共産党およびその指導下の官僚が善人のヒューマニストならそれで良いが、歴史の現実はそれを裏切った。権力を私物化した者は「悪人」となり、「専制君主」化した。そして「権力は腐敗する、絶対的権力は 絶対的に腐敗する」という法則をわれわれは旧ソ連で1991年に検証したのだ。後進国から 出発したから無理があったというのも、一要素ではあるが、では先進国を前提にすればずっと無理なく進行できるという保証があるわけではない。私は、疑う。余談であるけれども、代表制民主主義は、 ソ連と中国でまったく不十分だが、それがあるからと言ってたいした安心材料にはならない。 かえってワイマール憲法下でナチズムが合法的に台頭したこと、またワイマール民主主義の 理論的支柱であったケルゼンの民主主義論がカール・シュミットに敗退したことを、日本国憲法の代議制民主主義下でつきつめて検討しておかないとやはり危険である。

現在の共産党は議会制民主主義を肯定する。それはよいが、ワイマール憲法のすぐれた法学者ケルゼンを継承 した清宮四郎の学説を私は、現代において、全幅的に信用することはむつかしいと考える。

 20 世紀の社会主義の酷さをすでに知った人は、レーニンが過度に暴力革命に偏ったからダメだったとか、スターリンが大悪人だったから失敗したなどの説明に到底納得しない。それでは平和革命と集団指導があるので大丈夫という貧しい結論しか出てくるまい。歴史の現実というのは、もっと重たいのである。理論は、せめてそれに釣り合わねばならない。いわゆるスターリン主義の問題は解決済みとは言えない。「搾取のない社会」「無階級社会」がとんでもない悪夢のような社会になった根拠はいったいなんだったか、それを考える場合のヒントが「資本主義的労働過程論」にあるというのが、篠原理論からうけとめることができる一つのアイデアである。

ここには後述するように、社会科学における適度な抽象とは何かという問題が含まれている。 まさにこれを考えるばあいに、労働過程ではなく資本主義的労働過程を考察する必要が出 てくる。対照化するうえでまず、労働過程一般が協業的になった場合の規定はこうなってい る。 「すべての比較的大規模な直接に社会的または共同的な労働は、多かれ少なかれ一つの管 理 Direktion を必要とするのであって、これによって個体的諸活動の調和 die Harmonie der individuellen Tätigkeiten は媒介され、生産体の独立な諸器官の運動とは違った生 32 産体全体の運動から生ずる一般的な諸機能が果たされるのである。」(MEW,Bd.23,S.350. 大月訳、434 頁) これは、歴史貫通的な労働過程の記述である。従来訳と違って、「ディレクション」をこ こで私は「管理」と訳しておきたい。あとでマルクスは資本が担う権力を「監督コントロー ル」と規定する。従来はディレクションとコントロールをいずれも「監督」と訳していた。 だがこれでは「ディレクション」と「コントロール」の論理次元の違いが見えなくなる。 正しくは、「管理」の資本主義的形態が「監督」なのである。さらに「すべての比較的大規模な直接的または共同的な労働」というのは、貨幣によって媒介されない計画的な協働のことである。だからこそ個体的諸活動の調和と 規定される。従来訳はこれを個別的諸活動と訳していた。だが、個別と個体は別のものでなくてはならない。ここでマルクスは、個別者と個体、労働と活動を対置する用語法にしたがっている。むろん諸個体が協業するばあい、「管理ディレクション」という一般的機能が人々の間の活動の調和を媒介するために必要である。管理の契機は自由なジャズの場合にもあることを認めなくてはならない。「管理ディレクション」が全く存在しない社会は望めないし、望むべきでもないが、管理が協働の外部に敵対的権威となる(監督が現れる)ことはこの論理次元では宿命ではない。諸個体の活動の調和があれば、ディレクションは活動と横に並んでおり、外や上に立つものとはならない。

調和がある限り管理機能(固定化する必然もない)だけで充分である。あるいは、監督なしの管理が構成できる。 だが、諸個体が活動して協業するときに一つの管理が必要となるという単純な規定は、資本が登場すると変わるものであった。個体Individuum は、労働力の売買による協業による ものに上向すると、今や個別的(従属的)労働者Einzelne のコンビネーションという形態をとる。そうなれば、労働過程一般から引き出されるところの指揮Leitung、意識的管理 Überwachung、媒介 Vermittlung の機能は資本の独自な機能となる。マルクスが言うように、資本家は一方において指揮Leitung,意識的管理、媒介の機能を独自に編成しつつ他方で搾取Ausbeutung の機能を遂行しなければならない。というよりも、搾取の機能に合致す るように指揮、意識的管理、媒介機能を独自に歴史的に編成しないと、やっていけない。 マルクスが「監督Kontrolle」という用語を使うのは、管理Direktion とは次元が違うからだ。そして意識的管理Überwachung は管理の方の系列に属しており、いずれも歴史貫通的な管理の諸契機である。監督コントロールというのは、これらの歴史貫通的な管理機能を資本家的特有さによって歴史的なモメントとして再編したものと考えざるをえない。 だから、篠原理論がいうとおり、もしマルクスが資本主義的労働過程と価値増殖過程の統一的把握をめざしたと考 えることができるならば、当然歴史貫通的な管理(指揮、意識的管理、媒介)と搾取の外在的統一ではなく、特殊歴史的な監督(それは歴史貫通的な管理機能を再編したところのもの)と搾取の内在的な統一を把握しようとするであろう。そして、実際、そういうふうに書かれているように私には思われる。 ゆえに、管理という歴史貫通的な機能は、資本主義のもとにおいて一定の具体的な監督様 式をとるようになる。それは、テーラー・システムや小集団管理、稲盛和夫のアメーバ経営のように、その都度の資本主義的環境に適応しており、賃労働者を機械の付属物に変え、同 僚との情動的組織化に巻き込み、また労働者に経営者意識をもたせるようなかたちで、監督様式(資本主義的経営様式)として歴史的に変化してきた。

マルクスの用法を綿密に見ればわかるように、資本が担う監督コントロール機能というの は二つの特有さをもつのだが、歴史貫通的な機能そのものではなく、それを価値増殖に見合うように(搾取機能に合体できるように)管理ディレクションを再編したものであって、常に階級的敵対者の被治者に対する圧力的行為なのだ。であるから、抵抗の大小や階級的な力関係、あるいは国家による介入度合い(私法対社会法)、世界資本主義の状況などに応じてさらに細かく、しかも状況に応じて変化する。

言うまでもなく、資本家の監督Kontrolle 下に置かれるのはもはや単なる「個体的諸活 動」ではない。「個体的諸活動」がマルクスにおいて歴史貫通的な、もしくは非資本主義的 な意味を帯びる限り、資本家の監督下に現実に置かれてあるのは、個別的労働者の協業 (Kombination)である。すなわち、労働力が商品として売られ、それを貨幣所有者たる資本家が買い取り、外なる監督として個別的労働者Einzelne を協業化して、物と物の醗酵過程を価値増殖過程たらしめるからこそ、監督者は協業の外側に必要になるのである。

だから、理論の抽象度というのは、そのときに理論的に何を言いたいかに応じて、あるいはどのような細部に目配りするかに応じて、いかなる抽象度がもっとも適切かが決まってく るのである。

ここで、篠原理論がほとんどはじめて提起した生産関係が生産力の一要因となる、ということを考えてみよう。階級の基礎には分業の法則があるが、階級はみずから分業に介入できる。この意味で階級という生産関係要素は「資本の生産力」を構成する。個別的労働者の労働力商品の価値は、平均すれば労働力再生産費に等しい。労働者によっ てばらつきはあるが、特殊な技能や知識の持ち主の場合ですら、自己形成費としてのビルドゥングス・コストはほんのわずかしか上乗せされない。だから、資本家が 持っている監督機能(指揮、意識的管理、媒介の特殊歴史的形態)と搾取機能をともどもに 合成したコンピテンス(統治能力ガバナンスの能力)をコンビネーション化された全体労働者(個別的労働者の総和)は持ちえない。

階級の基礎にはいつでも分業の法則がある。しかし、階級がいったん成立すると、階級が分業を構成できる。監督と搾取という二重機能を保有するために、資本家は搾取される者たちよりも多くの「帝王学」を必要とする。ひとたび「帝王学」を具備すれば、「上」は 「下」の管理能力を削り、「下」が「上」に依存する状態を構成し、維持できるようになるものだ。

帝王学のある者(資本家およびその代理)とない者(全体労働者)の間には、架橋しがたい能力(コンピテンス遂行能力)上の断絶があるだけでなく、「上」は賃金水準をオペレ―ションすることによって「下」 の自治力を破壊する。それゆえに、「下」からの自主管理(自治)は不可能である。 したがって価値増殖過程を廃棄するというのは、搾取の廃棄にほかならないのであるが、 この移行の過程で協業一般の高い水準を維持するためには、個別的労働者の労働結合 Kombination をアソシエーションに変えなくてはならない。 資本主義的価値増殖過程に随伴する資本主義的労働過程では、資本家に監督機能を握らせ るものであった。だから、資本主義的労働過程にとって代わるべきアソシエーション的労働 過程では、歴史的に固有に定義されるものとして「指揮、意識的管理、媒介」の機能を、ま さしくアソシエーション社会にふさわしいようにデザインしなおさねばならない。いったい、 誰が、誰に対して、どのようにデザインするかは、大きな課題である。 少なくとも監督機能の資本独占を壊して、「指揮、意識的管理、媒介」機能を現場労働者 が状況に合わせてデザインし、取り戻すことによって、監督機能とともに搾取機能を積極的 に廃止できるわけである。しかし、これは待ったなしで、日々の需要と供給に見合うように 連続的に行われなくてはならない。社会的ニーズにたいして適切なサービス提供ができなけ れば、危機的状況が襲ってくるだろう。労働する民衆の自治能力の形成が間に合わなければ、 仕方のないことであるが、既存の監督者に命じて、機能転換を遂行させ、それを現場労働者 がいち早く学習できるようにもっていかなくてはならない。指揮、意識的管理、媒介の機能 のアソシエーション的編成が間に合わぬまま、それらの機能を資本家から党官僚や国家官僚 に移し替えるだけにもしとどまるならば、何度でも容赦なく、コンビネーションは専制支配 をもたらすのである。すなわち、もし、資本家から奪った監督および搾取機能をそのまま、 私的資本家から国家官僚や党に譲り渡すだけであるならば、私的資本主義に代わって国家資 本主義を延命させるだけに終わることになろう。 34 3.管理のデザインとビルドゥングス・コスト 同じことを労働力の商品の廃棄という面から、原理的に考えておこう。賃労働者は「自由 な人格」であるから、誰であろうとじぶんの好む購買者にたいして労働力を売ることができ る。これを労働力処分権という。労働力の売りが成功すると、自由な労働者は工場へ入る。 工場へ入った後、彼はどうなるか。労働力はもう買われたのだから、労働力処分権の行使の 場面は済んだ。ゆえに買われた商品の消費過程に入る。賃労働者の労働処分権は本人には属 していない。それは林檎が買われたあとでは、林檎の売り手がその消費の仕方についてとや かく言えないのと同様である。この理屈通り、労働力商品の所持者(賃労働者)は、労働力 の使用価値、すなわち流動化される労働についてどう使われようととやかく言えない。自由 な労働者は労働力処分権を持つが労働処分権を持たないのである。 労働処分権はいまや資本家に属する。ゆえに資本家は当の労働者にたいする労働処分権を もつのだから、かれを監督と搾取のもとに置き、いつ、どこで、何を、なんのために、誰が、 どのように(5W1H)働くべきか、資本家的に監督コントロールするのである。 労働力商品の廃棄とは、したがって、たんに労働力が売買されなくなるという消極的な意 味ではなく、労働という行為の主体であるところの労働者が、自由な生産者free producer となって、喪失していた自己の労働処分権を回復するという積極的な意味をもつ。 むしろ、こういうべきである。労働処分権を一人一人の人間が皆回復すことができてはじ めて、資本家的監督と資本主義的搾取を本質的に乗り越えることが可能になる。資本家によ るプラン(構想独占)を打破できるためには、働く者たちが共同するプランを実践的に構想 できるのでなければならない。この意味において生産手段の個体的所有die individuelle Eigentum の再建とは、言い換えれば労働力商品の売買がなくなるだけでなく、自分の労働 を自分自身で処分できること、つまり共同的なコミュニケーションの中で5W1Hの様式を 立て、自己自身の労働処分をプラン(構想)のなかに位置づけることを意味する。重要なこ とは個体的所有の再建というのは、法的な名義の問題ではなく、指揮、意識的管理、媒介の 機能を万人が遂行するコンピテンスを持つにいたり、それによって人間的管理能力をこれま でにない高さで達成すること以外ではない。これは過渡期の課題であるだけでなく、「永久 革命としての民主主義」のプロセスなのである。

5.「管理の民主化」概念が予告したもの

篠原氏は、賃労働者の一部が管理職となって資本家の監督労働を遂行する傾向、すなわち 「管理の社会化」は「管理の民主化」と同義ではないと指摘した。これは管理の社会化の積極的意味を否定したものではない。実態として管理の社会化は進行するし、そのことのもつ意味は小さくない。だが篠原氏にとっての問題は、もう一歩先にあった。「管理の社会化」を、どのようにして「管理の民主化」、すなわち労働者による管理へ転化できるかとの課題である。 70 年代において山口正之氏は「管理の社会化」論の積極的主張者であったが、氏や同様の議論をしていた人々の理解は、単純な二重性の理解に立脚していた。こうした理解は、一種の管制高地論につながりやすい。つまりトップ・マネージメントや雇われ社長、管理労働者が増えていくならば、これら管理労働者が「上からの革命」を起こせば、あとの人びとはついてくるという(語られざる)計算が想定されていた。 篠原氏は直観的にこの危険に気づいていた。管理論におけるスターリニズムの危険は、原理上、資本主義的労働過程に代わるべきアソシエーション的労働過程を把握しないし、構想できないところから生まれる。 それゆえ篠原氏は、「管理の社会化」と「管理の民主化」を区別した。後になって明らかになったことであるが、田畑稔氏(『マルクスとアソシエーション』1994)の「コンビネー ション/アソシエーション」はマルクス学の発展によって、篠原氏の「管理の民主化」論を 裏づけるものとなった。また、拙著『近代社会と個人 私人を超えて』(2022年)は、 「私人/個体」の視角から『資本論』の協業論の読みなおしをおこない、私人を個体に転換 せずにコンビネーションが放置される危険をさえぎるために「個体的所有論」があることを指摘した。篠原氏は生前これらの出現を喜んでいたのだが、それは1970年代にこうした作業が必要であることを自ら予告したからなのである。 「管理の社会化」と「管理の民主化」は、ずばりコンビネーション化とアソシエーション 化にそれぞれ対応するものであった。当時の論争者たちは、篠原氏の問題提起が、事実上コ ンビネーションとアソシエーションの区別と関連という問題をなげかけるものだということに気づくことができなかったのである。これは、先述した通り、社会科学における スターリニズムの理論的な克服という問題と深部で絡む重要問題であった。直接労働者が管理機能を実務的に分担し、遂行するコンピテンスを持ちえなければ、必ず、コンビネーションを外から牛耳る専制者が生まれざるをえない。上に立つ専制者がどれほど善人であろうと、 あるいは倫理的に潔癖であろうと、権力は自己のもとにますます集中するから、必然的に独裁的となる。それでもなお最初は「人民のために」やっているかもしれない。しかし、人間 であるから小さい判断ミスが重なったり、政策論争がギスギスした状態を生む。時間的な余裕は限られている。専制者は次第に疑心暗鬼になり、排外的となり、必然的に腐敗してゆく。 これが専制支配者の独裁者への発展法則である。 旧ソ連や中国で起こったことは、原理上は、コンビネーションの上に社会主義を接ぎ木しようとする理論的誤謬であったと言ってよい。これを世界史的に見つめながら、管理論争に加わる場合、巨視的な判断能力と清新な視点が必要であった。あらかじめ危険を取り除きうるように議論に介入するために、篠原氏は労働過程一般ではなく、資本主義的労働過程という次元 を認める貢献を残したのだ。

6.賃金論を超えて

個体的所有の再建とは、だから、労働処分権の全的回復であり、管理の社会化を民主化へ 切り替えること、管理機能の直接労働者への帰属である。個体概念は、たんに社会的個人と いう哲学的な意味を超える、強い意味を持つと言えるかもしれない。現代言語哲学を援用す るならば、個体とは固有名のことである。個体的所有とは、社会的にして個人的であるとい うのが原意であるが、「社会化された個体」という原理に沿って、どこの誰という具体的な 人間が共同活動の中でその人の固有性と一回的な人生を賭けて生きること、名前をもつ固有 なそのひとが生命の発現としてひとびとのなかで生きることを指すものでなくてはならない だろう。 マルクスは1875 年、自身が筆を入れた唯一の『資本論入門書』(2)のなかで、改訂作業 を行った。そこでアソシエーション社会のことを「民衆が支配される状態に代わって、民衆 の自治が現れるのでなければなりません」と加筆した。「民衆の自 治 die Selbstverwaltung des Volkes」とは、リンカーン的なデモクラシー「人民の、 ● ● 人民による、人民のための 政治」ではなく、「民衆の、民衆による、民衆のための それを基礎とする全社会的自治のことであろう。 ● ● 活動」、 以上のように、篠原氏の「資本主義的労働過程」という問題提起は、資本主義的労働過程 をアソシエーション的労働過程にむけて変革すること、管理の民主化を範疇的に求める。こ のような精緻な解読が「民衆の自治」を初めてもたらすこと、また個体的所有とは管理機能 の全民衆的社会化であることを教えている。  つまるところ、現代において必要なのは管理能力をますます身につけることである。管理 能力とは、では、いったい何であろうか。どうすれば一人一人の人間は管理能力を身につけ ていけるだろうか。 すでに述べた賃金論とビルドゥング・コスト論を考慮すると、中下層のごくふつうの人々 がそれを賃金とビルドゥング・コストの低さのもとで、得られるとは言えない。そうであれ ば、体制転換以前に民衆が管理能力を身につける展望はないのであろうか。それは『資本 論』にはない新規の議論である。賃金論の範囲内では管理能力をボトムアップする条件は与 えられない。「食える賃金」「生活できる賃金」などによっては、管理能力の発展は保障さ れえないからだ。では、どういう理論が必要であろうか。 少し原理論から離れて、考えてみよう。ややさかのぼるが、「箱もの行政から人への投資 へ」と言われたことがあった。「人への投資」は、それまでの公共事業への過剰な投資、し たがって、ゼネコンを支援する財政構造へのアンチテーゼとして出てきた。「人への投資」 とは、賃金と利潤と地代から徴収された余剰(剰余価値とは区別する)を主として労働力の 生産と再生産へつぎ込むことを指す。よく「賃金と間接賃金(あるいは社会保障)」という ことが言われるけれども、労働力の中身になるべき能力やスキルを向上させ、それが社会的 生産力につながるように、広義の「間接賃金」を増やすことを指している。 国家歳出の側から見れば、国家が「人への投資」として歳出する主な項目は多岐にわたる。 教育の質量の向上(機会の拡大)。社会人向けリカレント教育・リスキリングの推進(社会 人が学び直しや新たなスキルを習得するためのプログラムへの助成、教育訓練給付金制度、 キャリアコンサルティングの提供など)。職業訓練の提供( ハローワークなどと連携した、 就職に必要なスキルや知識を習得するための無料の職業訓練)。子育て・少子化対策。共働 き世帯への支援(育児休業給付金、時短勤務制度の奨励など)。福祉政策の充実。医療・介 護の提供、国民皆保険制度、介護保険制度の維持・発展)。健康増進・予防医療。雇用・労 働環境の整備。研究開発・科学技術振興費の一部もここに入る。 これに比べて企業の役割はつねに限定されたものでしかないが、労働力を即戦力としてし か扱わず、使い捨てにすることの限界が出てくれば、より長期的な展望をもたせ、個別的生 産力の向上のために従業員のスキルや知識に投資する余地はないわけではない。 民衆側から総括すれば、国家の公共性を問い直し、「人への投資」を質量的に向上させる ことは原理的にみて、あらかじめ絶対的な限界があるわけではない。平和的生存権を拡充さ せる方向で政府を方向づけ、それとの関連づけによって企業を指導していくならば、「人へ の投資」に反対することは非常に困難となる。これは、賃金とビルドゥングス・コストを最 小限に抑える労働力商品化政策の範囲を絶えず狭め、そこから脱出する可能性を広げる。つ まり、賃金の枠が労働力商品化の枠内にあるかぎり、いわゆる「全面発達」はありえないが、 現代的な状況は賃金論を再編し、間接賃金の側から、新しい地平を開きつつあるかもしれな い。 おわりに 民衆の管理能力は、これまでは賃金論の枠内に抑え込まれてきた。現代の教育に引きつけ て言うならば、管理とは分析と総合、自然科学と人文・社会科学、理論と実践の高次の統一 にほかならない。これは、狭義の政治的実践に限定することができない、もっと巨大な能力 の開発過程である。すなわち、初等、中等、高等教育、およびそれらを基礎にして平和・福 祉の向上、基本的人権の尊重をすすめるため文化の全面的浸透、これによって人々の全コン ピテンスが世界経済を管理できるところまで高められる前提条件の整備を意味する。 現実をみれば、戦争、環境破壊、格差、人間の劣化は進行中である。これらは、どんなお まじないによっても解決できない。しかしながら、社会的余剰の使い方(投資構造)に介入 し、あらゆる場面で私人化Vereinzelung を止め、単独者の孤立性を超えたアソシエーショ ン的結合を構想し、実行するならば、日常構造をいくらかでも変化させることは可能である。 これまでの人件費の矮小性に還元されたコンピテンスを乗り越えることによって初めて「人 類の自由」はいくぶんかは進歩しうるのである。 注 (1) 篠原三郎『現代管理論批判』新評論、1978年、60-61頁。 (2) ヨハン・モスト原著、カール・マルクス加筆・訂正、大谷禎之介訳『資本論入門』 大月書店、2009 年、166 頁

 

6.人間的主体の立場から未来を構想すること

 篠原氏以外の論者は、労働過程一般と価値増殖過程の二重性を考察した。このために、資本主義のあとの、社会主義の労働過程についてあれこれ考えるばあい、様々な恣意的発想に陥った。たとえば、価値増殖過程を廃棄すれば、労働過程一般が残らざるをえない。ところが、労働過程一般はいかなる社会形態にも関係のない抽象的規定にすぎないはずである。そうであるにもかかわらず、価値増殖過程を廃棄した労働過程を論者は「自由・平等」な労働過程であるとか、「民主的協働、自主対等の相互援助、共存共栄の原理」、目的意識のもっとも進んだ計画的な労働過程であるなどと形容した。これらはいずれも歴史的な、新しい特徴を持つ労働過程であるから、特定の社会形態の労働過程でなければならない。ところが、二重性を誤って理解したために、最も抽象的なものに最も具体的な人間の解放を発見するという背離に陥る。これは分析の誤りによって、恣意的な未来をつけ足すという論理的な飛躍あるいは無残な倫理主義である。篠原氏は、こうした誤った社会主義像はみな二重性の通説から派生すると述べた。

 では、他の論者が夢見た「民主的協働、自主対等の相互援助、共存共栄の原理」と言われたものを篠原氏は愚かな幻想に過ぎないものと捨て去ったのであろうか。そうではない。むしろ固有の二重性の把握の上にたって、あるべきものを追求したというべきである。氏によれば、「資本主義では、その発展にしたがって、みずからを支配し、『管理』する商品経済的機構が個々人の意志にかかわりなく、客観的に、あるいは、自然成長的に形成されていくのであるが、社会主義ではそうはいかない。商品経済がみずからつくりだした機構に匹敵するものを、こんどは、労働者が自前でつくりださなければならない。」(『批判』117頁)。けれども自前でつくりだすというばあい、何でも自由につくりうるわけではなく、客観的な歴史的条件のもとで自前でつくりだすしかない。別の箇所で氏は「なにを、どれだけ、いかように生産するかを、利潤追求の目的のためにしかおこなえない社会と違って、人びとみずからが生産とその管理の体系を直接社会的に決定しなければならない。そうせざるをえないのである。社会主義とはそういう社会である」(『展望』280-281頁)。

 ここで「直接社会的に決定する」というのは、当然、資本主義社会における労働の社会化を踏まえている。篠原氏の二重性理解に従うならば、資本主義は、どこまで行っても商品経済機構のもとでの利潤追求のかつ増殖過程を過程の主導的動機とする。しかし、利潤を実現するためには、ますます資本主義的労働過程の労働を「直接的に社会化された労働」にせざるをえない。商品経済機構や利潤は、すべて生産の無政府性または自然成長性にもとづくにもかかわらず、まさにそうであるがゆえに、「労働の直接的社会化」を進めていくほかはない。しかし、後者は進めば進むほど、それだけ資本の内部で、自然成長性と計画性の矛盾を強化するしかない。これを根本的に解決するのは、「労働力商品化の廃止」(『批判』115-119頁)にほかならない。篠原氏が「管理主体論と『社会主義像』論」(『批判』第3章)において、労働者による「生産とその管理の体系を直接社会的に決定する」ことを展望したばあい、これは彼の恣意的な展望を読者に押しつけているだろうか。私にはそうとは思われない。社会主義が官僚主義的な独裁社会になるのか、それとも「自主、民主、互恵」の共同体になるかは、事前に決定できるものではない。客観的に資本主義か社会主義かという二者択一が迫られることになるであろうことは、商品経済機構と労働の直接的な社会化の間の矛盾、によって解明された。しかし、この択一を首尾よく遂行し、搾取や資本による管理を、したがって労働力の商品化の廃止を本当になしとげることができるかどうかは、氏によれば、最終的には人びとの主体的力量次第なのである。

 しかもなお、この人々の主体的力量は無前提のものではない。篠原氏は、『批判』のなかで平田清明『市民社会と社会主義』1969に理念像に関して、「わたくしも氏の『社会主義像』を共有したい」(同、119頁、注16)と述べていたことを見落とすことはできない。

篠原理論と平田清明氏の理論上の関係については、非常に大きいテーマであるけれども、理念像の次元で強い関係をもつものである。というのも、先の二重性の理解において、もしも資本主義的労働過程を提起したうえで社会主義を考えるなら、氏の論理にしたがう限り、社会主義の労働過程は、特定社会の労働過程である以上、もはや労働過程一般へ戻ることは不可能である。すると、資本主義的でない労働過程とは、それまでの労働過程における資本家による指揮と労働者の従属を否定するものであるほかない。すると、労働者が互いに共同して「直接社会的に決定する」を踏まえて、しかも労働力商品化によって避けがたくされた労働者の「労働処分権」のはく奪を廃止する以外ないのである。マルクスにはもともと「間接的なもの」にたいする「直接的なもの」の優位という考え方があるのではなかろうか。これは、一人一人の労働者の労働処分権の奪還である。だが、この奪還は分散的な自己決定の回復ではありえない。それは、労働の直接的な社会化を基礎とし、その共同性のなかでの自己決定の保障、すなわち、人間的活動の直接民主主義へたえず向かい続けるほかはない。

 篠原氏が「直接社会的に決定する」を労働の発展からみていることは明確だが、同じことを所有の側からみると、平田清明氏の「個体的所有の再建」という理念像が対応する。そうであるからこそ、篠原氏は「共有したい」と述べたのだと解しうる。なお、遅まきながら、拙稿「個体的所有 その後」(『唯物論研究年誌』第28号、2023年)において、私は自分なりの社会主義像の再検討をおこなった。このとき、私は、私人としての人間を個体としての人間へ転回させることなしに、個体的所有を運営することはできないこと、またぎゃくに個体的所有の制度的実現抜きに個体としての人間をもたらすことはできないことを、両者が主体的客体的一体であることを強調した。

 だから、『展望』のある個所で篠原氏が次のように論じているのは、たんなる人々に声を傍観する観察ではない。

 「すでにのべたように、管理論、管理論史、あるいは、管理史の研究業績をみれば、管理の有り様は、社会的に変化してきている。それゆえにこそ、そのような経営学の諸研究も必要であったのであろう。そして、現在もあらたなる変容、形成が追求されているに違いない。ときには、資本主義的管理の『価値増殖過程的側面』を優先せざるをえないという論理とは異なって、それを隣に置き、まず、人間主体の立場から管理の『労働過程的側面』のあるべき体系の創造を求めようとする声すら起きている。そういう歴史としての現代のなかに今日の管理は立たされている」(『展望』第8章あとがき、216頁)

 歴史としての現代に今日の管理は立たされている。さすれば、「人間主体の側から管理の『労働過程的側面』のあるべき体系の創造を求めようとする声」は、篠原氏にとって自分と縁もゆかりもない恣意的なユートピアの声とは映るまい。この声が篠原氏自身の内なる声であったことはもはや言うまでもないであろう。そこには歌人と社会科学者の本当に実り豊かな促しが聞こえてくるかのようである。

 

7.おわりに━主題の提起と発展させるべき論点の提示

 では最後に以上のように要約されうる篠原理論の骨子から、いったいどういう論点を考え、かつ発展させることが論点あるいはフォーカスとなるのであろうか。それを列挙してまとめに代えたい。

(1)   「管理の社会化」から「管理の民主化」へ

篠原理論は、1970年代の論争の文脈が客観的に指定しているとおり、「管理労働の社会化」を受けいれている。しかし、論者たちとは異なって、「管理労働の社会化」がすすめば、「社会主義の成立条件」が整うとはまったく考えなかった。ありていに言えば、労働者の一部に資本家の管理機能が委ねられるようになることは、資本主義が終わる兆候であるどころか、通常の発展の一モメントにすぎないと考えていたようである。この洞察は、論争以降の現実によってすでに証明されている。

だが、理論的な課題をそのときから篠原氏は投げかけている。「管理の社会化」と   

「管理の民主化」は区別すべきだということである。しかし、ひとたびこの区別が提起されると、「管理の社会化」にいかなるモメントや条件がつけ足された場合に、「管理の民主化」が実現されるか、という論理が求められることになる。これは、資本主義から社会主義への体制的移行を「管理論」の場面で精緻化するということにほかならない。だから、管理論に絞って理論的に投げ出された課題であるはいえ、実際には巨大な過程のあるドット(点)を示しており、答えはまったく簡単ではない。

また、これがいったい原理的に解明できる範囲のことなのか、それとも現状分析を以ってようやく応答できる範囲のことなのか、そのこともふくめて、篠原氏の「管理の社会化」と「管理の民主化」の区別と連関が問われ続けている。私見では、この論点が篠原理論がなげかけた最大にして、決定的な問題提起である。

 

(2)   私的労働と社会的労働の関係について

 すでに『市民科学通信』7月号で論じたように、「私的労働と社会的労働の関係」を把握することはきわめて重要である。マルクスが資本論で発見したのは、資本が資本を破壊するとの衝撃的なテーゼである。これがマルクスの経済学批判の中心テーゼである。にもかかわらず、今日までこの資本の自己破壊のテーゼは十分理解されているとはいいがたい。『資本論』が商品論から始まり、資本論へ移ることはよく知られている。この論理構成が意味することは、商品が発生するのは共同体同士の接触においてだということである。これは、共同体の成員が協働してつくった生産物が、接触において、他の共同体に対しては、私的労働として扱われることを意味する。ところが、共同体が解体後、私的所有にもとづく自己労働からスタートする資本主義(ただそい西洋でのことであるが)は、今度は私的労働そのものをユニットとして出発するにもかかわらず、私的労働そのものが労働力商品の購入をつうじて、社会的労働になってしまうのだ。私的労働が内的に社会的労働になるという不断の動態が、資本の資本による自己破壊である。なぜなら、無政府性が絶えず、目的意識的計画を準備するからだ(ただし資本家の指揮のもとで)。よく労働の社会化と資本主義の資本主義的、私的所有の矛盾と定式化される。だが、これは、その前に、私的労働と社会的労働の関係に内在する自己破壊ということを理解していなければ、たぶん、よく理解できないだろう。労働の内部の矛盾があって、それが労働と所有の間の矛盾を理解させるのである。つけ足せば、交換様式論などは、生産や労働の理解をはじめから排除しているので、資本主義の内的分析には役に立たない。生産様式論を中心にしたマルクス主義が限界だから交換様式に置きかえたらうまくいくなどというトリッキーな理論展開はいたずらに学問を混乱させるだけでなく、資本主義が次にどうなるかの構想をすべて押し流すものである。

(3)ビルドゥングス。コストへの注目

ところで「社会化」と「民主化」が異なるものだとすれば、この境目に社会化をとげてもなお民主化を阻むものがあるはずだ。そうであればこそ管理労働者と一般労働者の間の溝が厳然とあるわけだ。この溝は、ではいったい何によってつくられているのか。人々が「直接的に社会的に決定」を遂行するためには、資本家に代わって管理労働者となった階層に一般労働者が付き従うという伝統が続く。これでは本当の意味での「自治社会」あるいはアソシエーション社会が成立したとは言い難いであろう。そうだとすれば、労働者の自治社会、もっとするどく言って、熊沢誠氏が強調するような「ノンエリートの自立」という課題は、どのように準備されるのか。私は、これを考えるばあいに賃金に含まれる「ビルドゥングス・コスト」の概念と現実を分析しなくてはならないと思う。現実にまったく低い賃金で生活せざるをえない場合、労働過程を自治的に決定する能力は身につかない。しかし、賃金が高めであり、また剰余価値の一部をうけとる管理労働者は、一般労働者よりも相対的におおきい管理能力を獲得したり、維持したりできる。これは、貧乏人が自腹で政党を結社し、政党職員に管理能力を養ってもらい、その指導についていくというやり方をとっても、やはり管理能力が身につかない点では、変りばえがしない。抜本的な溝の解消ではないとはいえ、いわゆる労働力の脱商品化が進行すれば、市場に過度に依存することなしに、人びとは生活を維持し、税金による社会的消費を高めることができる。様々な成人教育、生涯教育、共同空間、芸術表現、芸術鑑賞の安価な提供や無償化がすすめば、またそれだけ「箱モノから人への投資」がすすめば、賃金や社会的資本に応じたディスタンクシオン(格差)は小さくなる。これは、『世界人権宣言』と『国際人権AB規約』がもともと目指した目標である。せめて、自分が損をしない選択能力、国内国際政治を冷静に見極める能力などは、幅広い社会文化運動の権利が広がることによって上昇する。このコンピテンスは、たんなる意識の問題ではないし、ルカーチ流の階級意識の問題でもない。もっと生活に染み込んだ文化的な統治能力、遂行能力の問題なのである。あるいは目の前の分業に人間の一生が縛りつけられてしまうという問題なのだ。したがって、ただの賃上げではなく、すべての人everyoneが自己形成できるためのビルドゥングス・コストを資本主義の争点にしていくことが、結果的に管理労働者と一般労働者の格差を埋め、じゅうぶんに成熟した一般労働者をつくるための条件となるだろう。食べていける賃金だとか、最低賃金のかさ上げがいまなお現実の問題であり、非正規労働者の待遇をいかに救済するかが目下の課題であるけれども、もしそこにとどまるならば、戦争、格差、環境破壊、人間の劣化といった諸課題を解決することはなかなか難しいだろうし、文化的遂行能力が脆弱であれば、奇妙なかたちでSNSなどによる世論操作、争点隠しなどが横行し、正常な人間的発展は繰り返し阻止される恐れが高い。

(4)   権力の発生(ゲネシス)論

 ところで、管理労働者に資本の権力の一部が移譲されるということは、そもそも資本が権力を握ることができるのはいかなる根拠によるのか、という権力発生論を考えさせる。こういう意味での権力の存立構造論は篠原理論のうちには備わってなかった。私見では、「管理の社会化」から「管理の民主化」へ議論をすすめるためには、そもそも権力を少数者の独占とさせている根拠とこの権力を人民全体で運営することをつうじて、特権的権力を廃棄する過程を理論的に対象化しなくてはならないであろう。私は『市民科学通信』2025年4月号に「権力についてー覚え書きー」を発表したことがある。これは、何を問題にしているかというと、実は篠原氏の「管理の社会化」と「管理の民主化」の問題を媒介する理論的諸契機を解明するうえで必要だと思われたからであった。端的に言うと、資本という社会的権力は、商品群から貨幣という特別商品が排除され、特権を独占することを第一次的に前提するものである。資本は、とくに労働力商品にたいして、つねに貨幣を独占して買い手に立ち続けることで、労働者の外に、労働力を持続的に買い続ける一つの持続的買い手である。この買い手であることは、通常の商品流通に隠れている。買い手と売り手はまったく法的には自由・対等・平等なのである。にもかかわらず、こうしたベンサム的外観のもとで、価値形態論の論理、すなわち商品と別の商品が、相対的価値形態と等価形態として相対峙し、売る側の商品は、自己の価値を相手の使用価値をつうじて、回り道によって表現するしかない。これが私的労働と別の私的労働の間の商品交換である。私的労働の主体は私人であるから、私人と私人の交際は必ず貨幣を生み出す。私人と私人の交際は、その地平をとびぬけるところの持続的貨幣所有者としての資本家を生み出すのである。価値形態論はとても難しいけれども、どうして互いに平等な私人が交際すると私人の群衆の中から内在的に貨幣という権力的商品を生み出すか説明できる。社会学には、このような意味での価値形態論は欠如している。それはなぜかというと、政治権力とメディアはどのような特定の社会にも関係なく。およそ人々が複数でくらすところには必ず政治権力と貨幣は存在するというふうに、いきなり、前提してしまうからだ。しかも、権力は資本主義的協業がひろがるにつれて、それなしには組織が動かない必要物とされるために、パーソンズやルーマンにような高名で、わりに理論的と定評のある人の場合でも、A・スミスや俗流経済学者とまったく同様に、説明すべきものを前提してしまう。これはトートロジーであるから、一種の論点先取であるがゆえに、権力があるということと社会(あるいは組織)が存在するということは、同じだということにされている。

 だから、なにゆえに権力は発生するのかという存立構造的な問いかけは、ブルジョア理論家には一切欠落しているのが当然なことなのだ。

 しかし、批判的視点を重視する私たちは、こうしたトートロジーに拘束される必要はまったくない。価値形態論によって貨幣を説明したならば、貨幣所持者が資本家となり、貨幣非所有者が労働力を売る側にたつことを容易に説明できる。すると、資本と労働の対立は、貨幣の自己増殖過程のなかでたえず再生産され、拡大再生産されることがわかる。

 ここでは国家論にはわずかにしか触れないが、私的所有(土地や生産手段と貨幣)を保護するのが市民政府(政治社会)の設立目的であると述べたのは、J・ロックであった。これは私人の財産を守ることが近代主権国家の目的であるという意味である。一般に受け取りやすいように彼は泥棒をつかまえるために国家があると言う。しかし、そういう世論操作のもとでロックが本当にねらっているのは、私人が構成する民間社会が自動的に貨幣を生成し、さらに貨幣を所持する資本家が自動的に労働者という非所有の大衆をうみだすならば、近代主権国家のもとで資本は安泰であり、誰も反対できないだろうということなのである。

 私人から貨幣、資本、国家がうまれる。そして、国際関係もまた究極的には私人から帰結する。このことを通常人々は商売繁盛が幸せの条件で、資本主義は便利だし、かつてない文明だと称賛するのだが、本当は大量の貧乏人につまらない日常生活を押しつけるものなのである。これを廃止するためには、どうすればよいか。先の論理を考慮すれば、私人、商品、貨幣、資本、国家をみんなの力で共同して制御することに尽きる。これ以上やりがいのある仕事が君たちの一生のうちのどこにあるだろう。人は、良い仕事やお金のために生きるのではない。そんなことは偶然の中でいきる愚かなことである。本当に世界を洞察すれば、水、食料、住宅、などを潤沢に提供し、人間的に生きるに値する世界をつくることである。しかし、眼前の資本制社会においてその目的は決して達成されえないだろう。このことが分かって来れば、君はいくぶんか私人であるという宿命からほんの少し距離を採り、世界の大半の人々が長い間、どうして差別やアパルトヘイトや戦争に苦しんできたか知ることができるにちがいない。つまり、権力がなぜ発生するかを追求していくと、けっして権力が役にたつからではない。そうではなくて、権力が無理やり人々に忠誠心をおしつけて、階級支配を温存していることが理解できる。

(5)   資本の過程と言語の過程

篠原理論は、「管理の社会化」と「管理の民主化」を区別して、前者がいかにして後者に向かうことができるか、問うものだった。しかし、このあいだを媒介するものはいったい何であるのか、明示するところまでは行かなかった。ところが、書いたものにそれがなくても、実は書くことや喋ること、つまり言語によってコミュニケーションすることを篠原氏は大いに挑戦した。歌人としての活動もその一つであった。美的言語は、かならず認知的言語と倫理的言語にかかわるからだ。

私は「社会・言語・移行」(『市民科学通信』2025年5月号と「言語発生論について」(『通信』2025年6月号)でこの問題をまだ非常に幼稚な形ではあるが、考察した。ヴィトゲンシュタインの言い出したことであるが、私たちは言語が対象化する範囲で対象を把握する。言語が知らぬものをわたしたちは知ることはできない。すると、学校、会社、マスコミでどのような言論空間が開かれているかに対応してのみ、人びとの知・情・意の世界は広がりを持ちうる。だから、統治能力とか遂行能力とこれまで述べてきたコンピテンスは、言語に注目したばあい、この言論空間がどのていどまで開かれているかによって制約されている。たとえば、働き方の多様性が広がることは素晴らしいことだと言えば、正規労働やフルタイム労働が減ることはよいことである。財界は1990年代にこうしたキャンペーンを盛んにやった。とこが、非正規やパート、派遣になった労働者側から同じ事態を見たばあい、これは多様性というよりもワーキング・プアではあるまいかという問いかけが始まった。そして、二つの表現が財界対労働者の争点になり、誤魔化されないように注意しようという成人が増えた。

こういうことをみると、管理能力というのは、資本主義的労働過程と価値増殖過程の二重性で掴めるとしても、ただたんに目の前の仕事をこなし、労働者を指揮し、組織を動かすだけでなく、人間らしい働き方や職場内の階層的な差別、官僚制の上下間格差を大きくするか、小さくするか、といった意味での管理能力は、工場内の管理労働の二重性をはるかに超えた、言語過程の問題である。そして、もし、学校・会社、マスコミの言語が非常に脆弱で、場合によってはボキャ貧であるばかりか、現実を資本に有利に捏造するものである場合は、これと闘わなければ遂行能力をわがものとすることはできない。

ここでは、詳しく扱わないが、言語過程の科学的把握といかなる言語を駆使して、どのように自然、人間、社会を対象化するかは、知識の問題である以上に、人間の自己形成にかかわる重要な問題である。

 

 以上のように、私は社会化と民主化の問題を考察するにあたって、私的労働/社会的労働、ビルドゥングス・コスト論、権力のゲネシス論、および言語過程論をおもいつくままに列挙した。篠原理論との関係で整理すると、どうなるか要約してみる。

 資本主義労働過程と価値増殖過程というのは、いったい何かというと、ようするに会社の中で生産がどういう分析的側面で行われているか、ということである。資本主義では、働かないと生活できないが、それは会社の中で二つの側面の二重性をつうじて生産が行われるからこそ、労働者は賃金を(形成した価値の一部として)受け取るのである。しかし、考えてみると、どうしてこんなことになったのだろう。アマゾンや前近代社会に生まれ合わせていたら、わたしたちは川や山や野原、畑で採集したり、植物を育てて生きただろうに、いまでは皆が皆ほとんど会社に行かないと生きていけなくなってしまった。他にはほとんど選択肢がない。

 だが、他に選択肢がないのは事実だからその論理を突き通すと。けっきょく、私的労働と社会的労働の背理によって、資本は自己破壊に陥る。これが資本主義の宿命なのだ。会社のことを篠原理論は適切な分析水準で初めて解明した。私は、会社というのは、最も論理的な底辺まで降りていくと、私人に到達することを示した。会社はが会社として存在するためには、人びとが汎通的に私人になっているのでなくてはならない。私人は交際すれば必ず商品を生み出し、貨幣という特権を排除し、特権は自己の独占的地位を維持する。貨幣という独占的特権者を独占するのが資本である。資本は、篠原理論が解明したように動く。そして、夥しい数の会社が民間社会のなかで浮いたり、沈んだりしているが、それを「民事不介入」の原則で自動機械のごとく動くが動かすのが、上限にある近代国家である。私人―会社(資本)―主権国家という3つの層のなかにわたしたちはお行儀よく並べられて、養殖魚のごとく生きている、あるいは生かされている。

 だから、「社会化」を「民主化」へ練り上げ、つくりかえ、転換させるためには、私人の次元から国家の次元までの各次元での会社の社会的権力の動きを、私たちのコンピテンスと自己形成過程によって、総体的に制御するしかない。このことを、私は篠原理論が私たちに提起した主題の中心にあるものとみなすとともに、ただ二重性の過程だけを分析したとしても、それはコアの解明であって、真っ先におこなわれねばならないが、しかし、人間が会社的存在にとどまるものでない以上、生活全領域で私人/個体、私企業/公器としての協同組合、戦略的言語/コミュニケーション的言語、主権国家/世界政府といった対抗軸の中で自己を貫いていかねばならない。そのことをいわば暗示して本稿を閉じる。

(1)篠原三郎氏(1930-2022)は、『現代管理論批判』(新評論、1978)、『現代管理社会論の展望』(こうち書房、1994年)、『“大学教授”ウェーバーと“ホームレス”マルクス』(晃洋書房、2015年)を著し、またいくつかの歌集(たとえば『キャンパスの四季』など)で時々刻々の社会、人間、自然を短歌形式で豊かにその詩情を表現した人であった。

ここでは、個人的なつきあいは脇において、いわゆる篠原理論がいかなる主題を提起したか。そして私たちが、そこから受け継ぎ、発展させるべき論点がいったい何であるかを、できるだけ客観的に整理することを目標とする。

(2)渡辺憲正氏の『物象化論の研究』(桜井書店、2025年)における指摘は様々なことを考えさせる。たとえば『経済学・哲学草稿』において「疎外された労働」章でマルクスは頻繁に「対象化が対象の喪失として現れる」と書いている。当初私はこれは「働いても働いても我が暮らし楽にならざる」という意味だと考えた。いわば現象レベルでの把握である。だが、もう少し進むと、この「対象化」は人間と自然の関係における労働過程論的な意味合いの労働のことではないかと考えるようになった。この読みには細谷昂氏の『マルクス社会理論の研究』がおおいに影響を与えた。意味的には、労働過程論的な次元で対象化しても、資本主義的生産の現実の次元においては、所有者によって対象が排他的に所有されているから、働く労働者は対象を喪失すると読めるようになった。このとき、抽象度の高い意味での「対象化」は消えない。こうした『経哲草稿』の発想は、後に『資本論』では労働過程と価値増殖過程の区分へつながるのだ。ところが、それでもまだ不十分である。というのは、対象化が対象性はく奪として「現れる」というのは、生産力が上がれば、生産関係となって現れるというような、かつて山口正之氏が論じたような一種の生産力史観に陥ってしまう恐れがあるからだ。労働過程は価値増殖過程として「現れるerschein」というのでは、 歴史貫通的なものが歴史的なものとなって「現れる」ということになり、論理次元をひとつひとつ詰めていくという上向法や『資本論』の存立構造論が生かされない。もともと存立構造論は、理想と現実の対比だとか、かくあるべきだがそうはなっていないなどという俗論とは無関係なのである。ここで渡辺憲正氏が指摘したように、存立構造論が徹底され、それを論じ切ったうえで、歴史的発生論が扱われるというふうに整理すると、存立構造論の内的編成の論理次元で、抽象的な労働過程に具体的な条件を付加して、資本主義的労働過程を論じることができるということになる。そうすると、抽象性の次元にあったひとつの対極が具体的な場面ではその対極となって「現れる」という『経哲草稿』の、直観的には正しいが、なかなか難しい説明の仕方は自然に消えていく。この意味で、『経哲草稿』の「○○が~として現れる」という言い回しは、抽象と現実の関係を劇的にあらわす一つの方法であったのだが、『資本論』では上向法にしたがって、抽象の高いものから低いもの(現実的なもの)への適切な抽象度をその都度、議論の目的に応じて確保するという、社会科学論になっていった。

(3)近代は公私二元論であって、法的にこれは公法と私法を成立させる。ところが、近代のもう一つの特徴は、労資二元論であって、これは、私法の処理によっては労資の激突を処理しきれないことの承認を迫る。このために、労資問題の処理のために、公私二元論的な法編成を変えて、社会権を設定するしかない。だが、社会権は公私二元論を消し去るわけではない。社会権は、私人間のトラブルや契約からの排除を公的責任において救済することを目的とし、公法の中へ浸透していく。すると、一方では市場関係と資本関係を維持しながら、他方ではその関係の限界を公的に補足することになる。これは、市場と労資関係の非合理を承知で、その非合理を国民国家によって部分的に是正させるわけである。福祉国家とか混合経済というものは、この中途半端さをけっして乗り越えたり、問題を解消することはできない。しかし、この曖昧な綱引きを十分自覚的に闘うことが個体の覚醒をひきだすための最も重要な闘いの舞台になるのである。

(4)D・グレイバーの「ブルシット・ジョブ」2018年は「なくても社会は困らない」と感じる仕事である。「取りまき」「脅し屋」「ダクトテーパー」「書類作成人」「監督者」などである。同じ時期に「エッセンシャル・ワーカー」という用語が登場した。こちらには看護士、介護者、清掃員、配送労働者などがふくまれる。ブルシット・ジョブには高い報酬が支払われているが、エッセンシャル・ワーカーは通常低賃金である。価値増殖の上から見て必要であっても、社会的再生産から見て不要に見える仕事がたしかにありそうだ。社会的再生産から見て本当に必要なものを必要性において評価していくことが、人間を私人としてではなく、個体として見ていく視座が育っていくのではないだろうか。

(この原稿はある雑誌で不掲載となり、不幸な生い立ちを負うものとなった。)



 

 

 

 

 
 
 

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